猫の額








『手繰った先にあるもの』 #仲花
黄巾党の時代に飛ばされたばかりの頃のお話。
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 居心地が悪い。雑踏の中、ちらりと横にいる人物を盗み見た。色素の薄い髪が、陽光を受けて光りを散らす。女性とすれ違えばヒソヒソとはしゃいだ声がついてくる。そうなるのも納得するぐらい、不機嫌そうな顔つきは彼の魅力をよく惹き立てていた。

 また、あの本によって過去に飛ばされたその日。今度は、たまたま居合わせた彼――孫仲謀――も一緒だ。一人きりよりはマシだけれど、あまり仲が良いとも言えない人が横にいるというのは、なんとも気まずい。
 下山し、とりあえず目的地も決まったところで、今は入用の物を見繕っている最中だ。


「おい、ぼさっとしてんなよ」

 少し馴染み始めた彼の苛立った声にこっそりため息をつきながら、早足で横に並ぶ。

「あと必要なものは――」
「「椀」とか?」

 思わず被った声。じろりと彼がこちらを見た。言葉に詰まれば、鼻を鳴らしてそっぽを向く。――本当に感じ悪い人だな。
 椀は川の水を飲むにも、街中で何かを買う際にも洗ったり拭いたりしては使い回しをする。行軍で知ったこの時代の習慣だ。玄徳軍で貰ったものは、京城であてがわれた客室に置かれたままだろう。

「あそこで揃えるか」

 彼に倣って同じ方を見れば、路面に敷布を広げた雑貨屋のような露店があった。言うなりさっさと一人で向かった仲謀の後を、慌てて追いかける。

「おい、椀が欲しいんだが」
「はいはい。――っとそうですね、こちらはどうでしょう。お安くしときますよ」

 店主はちらりとこちらを一瞥した後、椀を二つ差し出した。一目で揃いだと分かるそれらに、思わず気持ちが上がる。漆塗りのそれは、子どもの頃のままごとの椀を思いださせた。特に紅い色が良い。

「かわいい」
「……他にないのか」
「え、これでいいと思うけど。大きさも丁度良いよね」

 仲謀の声は渋い。店主の提示する値段も悪くないと思うが、もう少し質が良いものを、ということだろうか。しかし、これまで買い揃えた物にそういう拘りを見せることはなかった。
 仲謀の言葉に気を悪くすることもなく、店主のおじさんは籠の中からいくつか椀を取り出した。けれど――。

「……私、やっぱりこれがいいな」
「お、前なぁ」

 何故か上擦った仲謀の声に疑問を挟む暇もなく、店主が畳み掛けてくる。

「いやぁ、中々揃いを求める人がいなくてね。もう少しまけてあげよう」
「本当ですか?」

 ほら、やっぱりこれにしようと仰ぎみれば、見たことのない渋面。意味がわからず首を傾げた。――怒っているわけではなさそうだが。

「……わかったよ」
「いやあ、良い旦那さんだね」
「え、いや、あの」
「行くぞ」

 さっさとお金を渡し、仲謀は先に立ち去ってしまった。慌てて追いかけて、財布代わりにしている巾着を取り出す。

「半分出すよ」
「いい」

 言葉少なにこちらも見ずに、赤い器を一つ押しつけられる。

「……ごめん」

 そんなにこれが嫌だったのだろうか。色が嫌いとか? 手元の椀を心許ない気持ちで眺める。さっきまでの浮きたった心はどこかに消えてしまった。

「あのなあ」

 急に足を止めた仲謀が、頭をがしがしと掻きながら、振り返らずに言葉を溢した。

「そう言う時はまず礼が先だろうが」
「……ありがとう」

 “ひとまず”の礼に、彼は舌打ちした。機嫌は相変わらず悪い。ただ、今まではとは種類が違うように思えたが、それが何故なのかはわからない。
 相手が何を考えているのか捉えられないことが、こんなにも足元をおぼつかなくさせるなんて。これまでの交友関係を思い出しながら、今後どう付き合っていくべきか頭を悩ませ――たところで話しかけられた。

「――気に入ってんだろ」
「へ?」

 目を瞬かせて仲謀の顔を仰ぎ見る。相変わらず彼は向こうを向いたままだなので、表情まではわからない。

「なら、もっと嬉しそうにしとけよ」

 ――それはそれで文句言いそうなんだよなあ、この人。
 自分の思いつきに、口端が自然と緩む。だって、その光景が目に浮かぶ。

「何笑ってんだよ」
「ふふふっ」

 やっぱり。堪えきれずに笑いをこぼせば、ものすごく嫌そうな視線が向けられる。

「変なやつ」

 それは仲謀の方なんじゃないかな、という言葉をかろうじて飲み込んで、歩き出した彼の後ろをついていった。

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