猫の額








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『何に願えば』 #雲長
エアスケブでリクエスト頂いた「雲花で甘いお話」でした。広生くんではなく、雲長さんで……!で精一杯頑張ってみましたが糖度が足りなかったかも。




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「あ、雲長さん」

 声を掛ければ、角を曲がった先を歩いていた彼が振り返った。私の顔を見て柔らいだ表情に、思わず胸元の書簡を握りしめる。緩みそうになる頬を引き締めて、小走りに近寄った。

「これ、玄徳さんからなんですけど――」
「ああ、ありがとう」

 皆に二人で故郷へ帰ることを告げてから、その離れる準備で雲長さんは前にも増して忙しくなった。何せずっと玄徳さんの右腕として働いてきたのだ。きちんと引き継ぎをしたいという雲長さんらしい。私は、そんな彼のお手伝いをする日々を送っていた。


 
 二人並んで執務室に戻り、書簡を置く。用事は終えてしまった。けれど去り難くて、何か仕事はないものだろうかと、椅子に座った彼を眺める。実のところ、書簡を運んだり、仕分ける以外に手伝えることはほとんどない。

「……明日、遠乗りでもするか」
「え」
「いや……。――息抜きも必要だと思ってな」

 彼が呑み込んだであろう言葉に、気づかないふりをして微笑む。
 きっと、仕事ばかりでは退屈だと思ったのだろう。でも、それだけではないはずだ。
 一緒に、元の世界に帰る。
 けれど、上手くいくか、その先も一緒にいられる保証なんてどこにもない。ときおり、今が幸せであると思えば思うほど、途方もない不安に襲われる。雲長さんも、同じなのだろうか。
 思わず、じわりと熱くなった目に顔を伏せ――そのまま身を屈めて、雲長さんの肩に額を乗せた。

「っ、花……?」

 戸惑う雲長さんの声が珍しくて、笑いがもれた。

「すみません」

 濃い色で染められた袖の上に散る、長い綺麗な髪。そっと手を伸ばして、その腕に触れる。

「少しだけ」

 息を吸い込めば、温もりを含んだ慣れぬ匂い。これを、覚えていよう。元の世界で会えたときに、彼だとわかるように。不確かな証だとわかっていても、すがらずにはいられなかった。

「…………」

 雲長さんは何も言わない。けれど、戸惑いの空気が緩んだ後に、こつりと私の頭に何かがくっついた。――雲長さんが、頭を傾けたのだろう。見えなくてもわかるそのぎこちなさに、くすくすと笑いが抑えきれない。

「――何だ」
「だって」

 じわりと伝わる重さ。開け放たれた窓からは、小さく鳴く鳥の声。柔らかな風が吹き込んで、私達の髪を揺らしていく。――ずっと、このままだったらいいのに。
 会えないかもしれない未来より、今ここで一緒にいたい。そんな我儘を思う。
 でも、帰らなければならない。雲長さんのために。
 彼がこれまで過ごしてきた『時』を思って、震えそうになった唇を引き締めた。

「……遠乗り、行きたいです」
「……ああ」

 滲んでいた涙は引っ込んでいたけれど、揺れた声音までは隠し切れなくて。それでも優しく返した彼の声に、また目が熱くなった。



 この優しい人が、心から笑える場所に帰れますように。

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