猫の額








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『これからは笑顔で』 #尚香 #仲謀
#三国恋戦記・今日は何の日 『ごめんねの日』
どこかのルートでこういう兄弟もいただろうな、という幕間のお話。




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「すまない」

 聞き間違いかと思うほどの小さな声に、耳飾りをの位置をいじっていた手を止め振り返る。兄の沈痛な面持ちが予想通りで、思わず笑みがこぼれた。何を謝る必要があるのだろうか。この家に女子として生まれたときから、意にそぐわぬ婚姻など覚悟すべきもの。それは兄のせいでもなんでもないのに。

「聞かなかったことにしますね」

 こんな状況ですまない、なんて誰かに聞かれでもしたら、折角の同盟に傷がつく。だが、それでも言わずにはおれない人だということもわかっている。そしてそれは兄だけではなく、今は亡き長兄も、父も――。同じように、私に謝っただろう。そういう、人たちだ。

『皆あなたには弱いものね』

 かつて呆れたように笑った母も、結局は私に甘い。家族が揃って過ごした日など片手で数える機会しかなかったけれど、揃えばいつも笑顔に溢れていたと思う。そう、私は愛されていた。否、愛されている。生まれ育ったこの地を離れても、きっとそれは変わらない。
 ふと熱くなった目頭に、顔を上げて耐える。いつもより念入りに整えた顔を崩すわけにはいかない。それこそ、同盟に要らぬ詮索を与えかねない。
 震えそうな唇を息を止めることでやり過ごし、短く息を吐いて吸い胆に力をこめた。

「兄上」

 毅然と見えるように、背筋をより意識し居住まいを正す。私とは違う色の目が、揺れながらこちらを捉えた。
 お元気で。いいえ、そんなありきたりの挨拶ではなくて。兄上の怒る声が聞けないのは寂しいです。それはだめでしょう。もっと、安心させてあげられるようなことを――。

「私は――、」

 一言発した瞬間、ああだめだ、と思う間もなく目から雫がこぼれ落ちた。

「兄上の妹で、幸せでした」

 平凡で、どこの家族でも交わされるような言葉しか言えない私の幼さが悔しくて。けれども、今だけはたった一人の、ただ家を離れるだけの妹でいたかったのかもしれない。
 頬を伝う熱に失望しながら、口角だけはと引き上げる。

「お元気で」

 こんなことなら練習しておけば良かったと、結局保つことのできなかった口元に手の甲を押し当てた。


 
 ごめんなさい。
 あなたが私のことを思い出すときは、かつての幸せな私でありますように。

三国恋戦記 編集

『日没とともに』 #早安
#三国恋戦記・今日は何の日  『家族』
早安エンド後の話(早花前提の……というCP色薄めの話です)。
当時ほぼ書き上げてましたが、ちょっとテーマとあれかな……と違うもの出してました。



****************



 陽が落ちる頃合いが、一番嫌いだった。
 鴉の鳴き声は耳障りだったし、どこかに帰り着く人々を眺めるのも、最悪な気分になったから。
 もっとも、そんな感情なんてとっくの昔に忘れていた。なのに思い出したのは、薬草を集めた帰り、道端にうずくまる子どもを見つけたせいだ。
「…………」
 背格好から察するに、二軒隣のガキだ。どうしたのかと声を掛けるべきなのだろう。
 向こうも立ち止まった俺に気づいていないはずはないが、微動だにしない。意味もなく手を上げ口を開きかけ──何と切り出せばいいかわからず、そのまま頭を掻いた。
 花に会うまで、人の感情なんてどうでもいいと思っていた。別に、相手が何を考えているのかが、わからないわけではない。寧ろ、思考が読めなければ死が待っているような世界で生きてきた。だから『わかる』
だけに、何と言ったらいいのかわからなくなることがある。これが以前の仕事のまま、誰かになりきっていれば、すらすらと言葉は出てくるのだろうが。
 今は『早安』だから、言葉がすぐには出てこない。
 もう一度、鴉が泣く。声を掛けることも、置いていくこともできずに、静かにため息をついて彼の隣に座った。
「……」
「……」
 俺は空を見上げ、ガキはうずくまり顔を伏せ無言のまま。じきに陽が落ちれば、もっと冷えた風が吹くだろう。それは、帰る場所のない自分を惨めに思っていたあの日々を、蘇えらせる。
「……先生、帰りなよ」
 くぐもった声に振り向きも返事もせず、頬杖をついた。
「──何してんの?」
 反応がないことに痺れを切らしたのか、近所のガキは顔を上げた。
「いや、疲れたから休憩中」
「……ふうん」
「お前は?」
「──俺は、」
 ず、と鼻を啜る音。
「……休憩中だよ」
「そうか」
 帰る場所があろうがなかろうが、『帰れない』と思っているのであれば、その気持ちはわかる気がする。
 だから、掛ける言葉もない。掛ける必要もない。どうしてそんなことを思うのだろうか、と考えた瞬間、一つの光景が頭をよぎった。すっかり忘れていた遠い日の記憶。──別に、思い出さなくても良かったとい
うのに。
「──帰るか」
 気づけば、『あいつ』と同じ台詞を口にしていた。
 のろのろと無言で立ち上がる子どもを視界の端に入
れながら、あのとき『あいつ』はどんな気持ちだった
のだろう、と考えて頭を振る。そんなこと、考えたっ
て意味がない。



「あ、お帰り」
 花が、かまどの火加減と格闘しながらこちらを振り向いた。その頬には黒い炭。思わず笑ってしまった。
「……何?」
「ん」
 袖で擦ってやれば、やや薄くなったものの、湯で落とさないと完全には落ちないだろう。
「子どもみたいだな、お前」
「……そんなことないよ」
 半目で口を尖らせる花の頬を摘む。いひゃいよ、と不満を漏らす花を眺めながら、いつも通りに見えるように笑ってみせる。
 けれども思い出してしまった昔のことが頭の隅でち
らつく。近所の子どもの寂しそうな背中が、自分もあ
んな風だったのだろうかと心がざわついて仕方ない。



 失敗すれば容赦なく叱るくせに、夕暮れに一人佇ん
でいると、いつの間にか静かに隣に立っていた。一度
もその顔を仰ぎ見ることはしなかったから、『あいつ』がどん
な表情をしていたのかはわからない。でも──。
『帰りますか』
 必ず、帰る気になった瞬間に一言。ただ、それだけ。
 逃げられたら困るから、居場所を把握していただけ。余計な情などないから、黙っていただけ。思いつくそれらは辻褄が合うし、いかにも『あいつ』らしい。
 なのにさっき繋げてしまった行動と、その中で起こった己の感情は、噛み合わないのだ。

「……どうかした?」
 不安げな花の声に意識が引き戻される。俺を覗き込む瞳が揺れていて、安心させるように目を細めてから抱き寄せる。
「──何でもない」
 そう、何でもないことだ。
 花の体温に、身体が冷えていたことに気がつく。そんな俺の背中を、遅れて宥めるように花が叩き出した。
 子ども扱いされたことに笑いながら、みじめだったあの頃の俺はもういないのだと、肩の力が抜けていく。
 『家族』という言葉で思い浮かぶのは母親だった。ずっと、その一人だけだった。そこに今、花が加わったけれど──。
「……何だったんだろうな」
 あいつとの関係に、名前でもつけていれば良かったのだろうか。そうすれば、今更面倒なことを考えずに済んだのか。
 ぽつりと零した言葉を聞き取れなかったのか、花が身じ
ろぐ。その頭を撫でながら「何でもないんだ」ともう一度呟いた。

三国恋戦記 編集

『猫とあなたと』 #早安
#三国恋戦記・今日は何の日  『猫の日』
エンド後定住前の二人です。




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『猫とあなたと』
(お題:猫の日)
「早安って、ちょっと猫っぽいよね」
 秣陵を出て、二人で暮らす場所を探す中、そこそこ大きな街に立ち寄った。初めて訪れた場所だが活気もあり、治安も良さそうだ。──しかし、暮らすにはやや人の流れが盛ん過ぎる。
 道の端に腰を下ろし、そんなことを考えながら竹筒の中の水を煽ったときだった。両手で頬杖をついた花が、何の脈絡もそんなことを言うものだから、思わず顔をしかめて聞き直す。
「……何?」
 花の視線の先を追えば、道行く人の隙間を器用にすり抜け歩く野良猫。薄汚れた、どこにでもよくいるようなやつだ。
「……」
 ごくりと水を飲み込みながら、ああ確かにと納得する。居場所もなく、誰かと馴れ合うこともない。猫一匹、誰一人気に留めることなどない。いてもいなくても、同じ――。
 自嘲するように口角を上げると、花もくすりと小さく笑いをこぼした。
「動きがしなやかで綺麗なとことか。身軽で、高いとこにもさっと登れ
ちゃうし」
 花の言葉に合わせたかのように、猫はたたっと斜めに立てかけられた板を駆け上がる。花の横顔を見遣れば、目を細め頬を緩ませていた。
「……」
「懐くまでは素っ気ないけど、でもちゃんと見てるんだよね。こっちのこと」
 かわいいなあ。
 愛おしげに呟いたその言葉に、頬が熱くなり、思わず手で口元を覆った。
 猫に向けられた言葉だろうとしても、だ。そこに俺を重ねた上での発言に、動揺しない方が無理だというものだ。それに――。
「……お前だけだしな」
「ん?」
 花が首を傾げ、俺を見る。
 野良猫なんて、誰も気にしない。煙たがられる方が自然なくらいの存在を、慈しむのは花ぐらいだ。
 俺と一緒にいようと思うのは、花だけ。
「――懐いた後は?」
「へ」
「懐いた後は、どういうとこが可愛いわけ?」
 自分ばかり乱されたのが悔しくて、花の顔を覗き込むように近づける。
 花はまずはその距離に驚き、己の発言を振り返ったのか、じわじわと
顔を赤く染めていく。
「え、っと」
「どこ?」
「う……や、優しい、とこ?」
 俺に訊かれても。
 軽く吹き出しながらも、花から目線は逸らさない。
「優しい、ねえ。それって猫が?」
「……今は意地悪だよ」
 頬を染めたまま口を尖らせた花に、今度こそ声を上げて笑った。

三国恋戦記 編集

『いついつまでも』 #子龍
#三国恋戦記・今日は何の日 「恋人たちの日」
思いでがえし後のお話です。




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「では、行ってまいります」
「うん。気をつけてね」

 恋人になってからお決まりのやりとりを、今日も繰り返す。まっすぐ私を見つめる瞳にはまだ少し照れるけれど、そのまま見つめ返せば微笑んでくれる――はず、が……。

「あの、花殿」
「なに?」

 いつもと違い、目を逸らしてしまった子龍くんに首を傾げる。

「今日は、その……、一緒に夕餉を共にしてもよろしいですか?」
「え? うん……。勿論だよ」

 朝だけでなく、夕飯を一緒に食べるのはよくあることなのに。何故か緊張している雰囲気の彼に、目を瞬かせる。その間にも子龍くんの白い肌が赤く染まっていく様子に、ふと心配になって手を伸ばした。

「……熱?」
「え! いえ、そのっ」

 手の甲で触れた彼のひやりとした頬に、そっと胸を撫で下ろす。風邪ではないようだと安堵したところで、子龍くんの驚きで見開かれた瞳に気付いて――びしりとそのまま固まってしまった。

「あ、ご、ごめんね急に……」

 ――これは、多分あれだ。夕餉だけのお誘いではない。
 居た堪れない気持ちになりながら、そそくさと手と目線を下げる。いえ、ともごもごと言葉にならない子龍くんの返事。勘違いなどではないのだろうと、一気に顔に熱が昇った。結婚の約束までしているというのに、こういう雰囲気には未だ慣れない。

「で、ではっ。行ってまいりますね」
「う、うん。気をつけてね」

 二人で同じやりとりをぎこちなく繰り返しながら、せめて見送りだけはと顔を上げる。そこには、真っ赤になっている子龍くんの顔。きっと私も同じように赤くなっているのだろうと思うと、自然と笑いが溢れてしまった。余分な力がすっと抜けていく。

「いってらっしゃい」
「――はい」

 彼も同じなのだろうか。頬を染めたまま、いつものように笑い返してくれた彼に、今日も胸がいっぱいになる。


 
 子龍くんが恋人になってから繰り返される幸福が、いつか形を変えてもずっと続きますように。

三国恋戦記 編集

『聖なる夜の嘘ひとつ』 #孟徳
#三国恋戦記・今日は何の日
『クリスマス』
エンド後のお話です。ほぼほぼ初めてちゃんとした孟花書きました。




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「どうしたんですか、これ……」

 ちょっと散歩をしよう。凍えるような寒さの日、陽が落ちきると孟徳さんが言った。今からですか? 聞き返すよりも先に暖かな外套を二枚ほど着せられ、ご機嫌な彼に手を引かれる。回廊に出れば一気に芯まで冷え切りそうで、そっと孟徳さんに身を寄せた。辿り着いたのは、いつもの東屋――ではなかった。
 卓に、椅子に、床に。さまざまな形をした灯りが、東屋一面を埋め尽くしている。

「今日、花ちゃんの国だとこういうのが見られるんでしょ」

 本物とは似ても似つかないかもしれないけれど。ツンとする鼻を無視して大きく首を振り否定する。

「……とっても、とっても綺麗です」
「なら良かった」

 嬉しそうな孟徳さんの笑顔が、灯りを受け殊更柔らかい。

「準備してくれたこともですけど――。覚えてくれてたのが、一番嬉しいです」
「俺、花ちゃんのことなら何だって覚えてるよ」

 おどけるような口調に、くすりと笑って繋いだ手に力をこめた。冷たい夜風に時折揺れる灯籠の灯り。元の世界で見たどんなイルミネーションよりも、こっちの方が綺麗で愛しい。

「――寂しい?」

 急な言葉に息を呑んだ私に、孟徳さんが笑った。

「ごめん。意地悪だね」
「……そうですよ」

 答える前に、決めつけないでほしい。そして、傷つくと思いながらも訊かずにはおれない彼の揺れる心に届く言葉を、あえて紡ぐ。

「寂しいです」

 孟徳さんは一瞬驚いたように目をみはって、そして泣きそうに笑う。またひとつ、好きな彼の笑顔が増えた日。

三国恋戦記 編集

『きっと、いつまでも』 #華陀
#三国恋戦記・今日は何の日 『ネクタイ・メガネの日』
エンド後のお話。




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「ねえ、これなんてどう?」

 華佗さんの顔には見慣れぬ眼鏡。やや大きめの銀のフレームが、店内の照明を受けて光を反射する。映画を観て食事をした定番のデートコースから、いつもは立ち寄らない眼鏡屋にいるのは、何だか不思議な感じだ。

「良いと思いますよ」
「じゃあ、さっきとどっちがいい?」
「え、っと――。どっち、でしょう?」

 さっきのは細いタイプ。どちらもよく彼に似合っているから、咄嗟に選ぶことができなかった。

「……真剣に考えてくれてる?」
「勿論ですよ! ……でも、何で急に伊達眼鏡なんて」
「知的な感じを演出しようかな、と思って」

 至極真面目な顔と、彼らしいと言えばらしい答えに、思わず噴き出した。

「……巴ちゃーん?」
「ご、ごめんなさい。――でも、どれも本当に似合いますよ。かっこいいです」
「そ、そう?」

 途端に照れ臭そうに頬を掻く彼に、今度は愛しさで胸がいっぱいになる。

「――私も、眼鏡買おうかな」
「え、本当? 見たい見たい」

 興味を示した華佗さんに笑いかけて、今彼が掛けている色違いを手にとってみる。

「お揃いにしたいので、二人とも似合うものを考えてください」

 予想通りの彼の反応を、眼鏡を掛ける度に思い出すのだろう。

三国恋戦記 魁 編集

『乙女たちの休息』 #芙蓉姫
#三国恋戦記・今日は何の日 『ファッションショーの日』
芙蓉姫と花の、ある休みの日のお話。
時系列はルート分岐前でも、エンド後でもお好きなように。




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 かちゃり、と軽い陶器の音がするだけで、お茶の香りが漂ってきそうな気がする。
 お湯をそっと茶葉に向かって注げば、あっという間に葉が広がっていくから、目でも楽しめる。
 こじんまりとした、けれども手入れの行き届いたことが一目でわかる室内。物が多いわけではないけれど、私の部屋とは違って『自室』であることが感じられるここ――芙蓉姫の部屋――は、友達の自室に招かれた感覚を思い出すから好きだ。
 こうして休みが重なった時は、彼女の部屋でお茶を楽しむことが多い。

「今日のお茶菓子はこれよ」

 私がお茶を配膳する横で、芙蓉姫が手作りのお菓子をテーブルに置いた。たった、それだけ。
 それだけなのに、彼女の動きに合わせてさらりと流れる振り袖や、少しかがめば首元の飾りが軽く音を立てた姿の美しさに、考えるより先に言葉がこぼれていた。

「芙蓉姫の服って、可愛いよね」

 いや、服ではなく芙蓉姫の仕草が綺麗なんだ――。
 言い直そうとして目線を上げれば、心底驚いた表情の彼女と目が合った。

「……あなたって、お洒落に興味があったのね」
「あ、あるよ……」

 あんまりな言葉に眉尻を下げれば、「あらごめんなさい」と悪びれもせず芙蓉姫が答えた。

「だって、あなた全然着飾らないじゃない。宴のときだってすぐに脱いじゃうし」
「別に、興味がないわけじゃなくて……」

 椅子に座り、手元のお茶を一口含む。知らない香りが鼻腔まで届き、ほうっと溜息がもれそうになる。お茶に香りがあることに、すっかり安心するようになってしまった。

「これ、新しいお茶? おいしいね」
「ああ、それ? お父様が珍しいものを見つけたから――って、ほら。やっぱり興味ないじゃない」
「え、あっ。違うんだってば」
「どうかしらね~」

 敢えて意地悪そうに口端を上げる芙蓉姫に、わざとらしく頬を膨らませてみせた。

「ほんとだよ……! ただ、何ていうか――」

 〝お洒落〟といってもピンとこないのだ。宴の時は慣れない服で精一杯。かといって制服にアクセサリーをつける習慣もないものだから、つけてみようなんて思いもしなかった。

「まあ、耳飾りとかならいけるのかなあ」
「あら、試してみる?」
「え」
「そうね、それがいいわ。今日は休みだし――!」

 ぱちりと手を合わせた芙蓉姫が、目を輝かせながら身を乗り出した。

「お洒落、興味あるんでしょ?」
 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
 ピンクに黄色、赤や青……。淡い色合いから鮮やかなものまで、芙蓉姫の寝台を彩り埋め尽くしているのは、全て彼女の衣だ。肝心の持ち主はというと、細工の綺麗な箪笥の中をごそごそと探り続けている。

「あ、あの、芙蓉姫……」
「何よ、今忙しいんだから――。って、あー! そういえば、あの帯譲ったんだったわ。あなたには絶対! あれの方が似合うのに」

 芙蓉姫が頭を抱える。うーんと呻いた後、くるりとこちらに振り返った。

「あれがないとなると……。着替えましょう。花」
「え、もう何着目……?」
「だって、手持ちの中ではこっちの帯の方がいいもの。やっぱり最初に着た物が似合うわ」
「別に、これでもだいじょ――」
「全然大丈夫じゃないわよ。もうっ、まだ一着も着れてないじゃないのよ!」

 それは、芙蓉姫があーでもない、こーでもないって着替えさせるから……。
 喉元まで出た言葉を飲み込んで、大人しくまだ羽織っただけだった衣を脱いでいく。短いような長いような付き合いの中で、こうした方がもっとも早く済むであろうことは学習済みだ。

「うん、これでいいわ。その後は髪を結ってお化粧をして」

 最初に着た淡い色の衣に先ほどの帯を当てながら、芙蓉姫が満足そうに頷き私を見上げる。

「城下に行って、一緒にお買い物をしましょうっ」
「……うん」

 彼女の満面の笑みに、じわりと胸が暖かくなる。私を着飾って、そして一緒に出かけることを楽しいと思ってくれる友達がいることに。口元が自然と緩んでしまうほど嬉しい。
 髪型はそうねえ、と真剣な顔で悩み出す彼女の横顔を眺めながら、何かお揃いのものを探そうとこっそり心に決める。
 きっと喜んでくれるであろう顔を想像して、一人笑いをこぼした。

三国恋戦記 編集

『この温もりをいつまでも』 #本初
#三国恋戦記・今日は何の日 「恋人たちの日」
エンド後のお話です。




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 気がついたら、隣にいること以外考えられなかった。
 


 こちらの世界でも年の瀬が近づくと、人々はどこか忙しない。店頭に並ぶ商品の数も質も、いつもと少し違う。市場を飛び交う声も、賑やかになる。
 基本買い物は女中の仕事なのだけれど、好きだからとお願いして変わってもらうことも多く、すっかり私の仕事の一つになっていた。何より、〝奥方自ら買い出しに向かう〟ことで守れることがある。少しずつ人が減っていく屋敷に、力を持つ人々は興味を示さないものだ。
 少し重くなってきた袋を持ち直しながら、屋敷に戻ろうと踵を返す。それにしても今日は人が多い。特に男女で連れ添う人が多いような気がする。

 ――イルミネーションでもあれば完璧かも。

 煌びやかな電飾の中寄り添う恋人たち。街中には季節限定の音楽が流れて、寒いのにどこか浮き足立つ心。故郷でよく見た光景そのもの、だ。
 久しく思い出した故郷について耽っていると、すっと首元を通り抜けた冷たい風に反射的に体が震えた。これはいけないと襟元をかき寄せ、小走りに屋敷へと向かった。
 
 
「寒かっただろう」

 出迎えた女中に荷物を渡し、お茶の用意をしますねと笑いかけられるや否や、奥から本初様が顔を出した。心配そうなその顔に、私の帰りを今かと今かと待ちわびていたのだろうと容易に想像がつき、顔を綻ばせた。

「少しだけ。でも、良いお天気でしたから」

 日向ぼっこにはちょうどいいかもしれませんね、と言えば何を呑気なと口を尖らせるものだから、くすくすと笑い声を立ててしまった。

「何がおかしいのだ」
「だって」

 本初様は話しながら、手にしていた大判のストールのようなものを肩にゆるりと巻く。ふわりと漂う金木犀の香りに、いつどんな時でも落ち着くこの匂いが好きだと思った。

「まあまあ。いつまでも仲睦まじい恋人のようで」

 ここも寒いですから、早くお部屋に。荷物を渡した女中はそう言い残すと、一礼してから台所へと向かった。

「それもそうだな。巴――どうかしたのか?」
「え、あ。……いえ」

 恋人。
 そう呼ばれるのは、どこか違和感があった。
 何故そう思ってしまうのだろうと、じっと少し上にある彼の顔を見つめれば、不思議そうに目を瞬かせている。長い睫毛が揺れて、その間から覗く翠色の瞳には、私が映っていた。
 ふと、先ほど思い出した故郷のあの空間に、二人で散策する姿が浮かぶ。そして、私のイメージする恋人像などその程度のものしかないことに思い至り――そもそも本初様と〝恋人〟という期間がなかったことに、今更気がついた。
 今更。本当に、今更なのだけれど。
 そして行き着いた思考に、自然と口元が緩む。

「……巴?」
「今日のお茶は、何にしましょうか」

 私より暖かな手にそっと触れる。当たり前のように握り返されたそれに、冷えも忘れてしまう。

「今日は私が淹れよう」

 それは楽しみです、と心からの言葉を返し、共に部屋へと向かう。
 
 〝恋人〟だろうが、〝夫婦〟だろうが、こうしてこの人の隣にいられれば。それに付随する名前など些細なことでしかないのだ。

三国恋戦記 魁 編集

「この寂しさはどこから」 #玄徳
#三国恋戦記・今日は何の日 『ネクタイ・メガネの日』
過去に飛んだ時の話です。玄花未満。




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「じゃあ、行ってくる」

 私は献帝のお世話、玄徳さんは路銀を稼ぐため外へ。まるで家族のようなやりとりの中、玄徳さんのスカーフが歪んでいることに気がついた。

「あの。ちょっと屈んでもらえますか?」

 瞬きを一つ。不思議そうにしながらも、私の言葉にすぐに応じてくれることがくすぐったい。緩みそうになる口端に気をつけながら、斜めに曲がっていたスカーフに手を伸ばして結び目も整える。ふと、懐かしい光景が蘇り、ちくりと胸が痛んだ。

「――こう、かな。もう大丈夫です。……玄徳さん?」

 首を傾げて顔を覗き込むと、玄徳さんは慌てて身を起こした。

「あ、いや、すまない――」
「いえ。お父さんのネクタイも――。あ、こういう、細長い布を首に巻くものなんですけど。よくずれてたなって……」

 お母さんの呆れた、でも慈しみに溢れた声音を思い出す。

「お父、さん――」
「はい。お母さんが、よく直してました」
「……そっちか」
「え?」
「いや、なんでもない」

 玄徳さんがスカーフに手を添えながら、目を細めて笑う。

「ありがとうな、花」
「いえ。――いってらっしゃい」

 出かける人の無事と、早く帰ってきて欲しいという願いを込めた言葉。密かに痛みつづける胸を誤魔化すために、精一杯の笑顔で口にした。

三国恋戦記 編集

『罪』 #仲穎
#三国恋戦記・今日は何の日
『お正月』
ルート途中での、仲巴のお正月(らしさはあまり)。




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 吐く息が白いのは、肺から凍っているからなのかもしれない。
 そんなくだらないことを考えていないと、肌に刺さるような重苦しい沈黙に押しつぶされそうだった。
 仲穎様の後ろに控えるこの瞬間は、針のむしろという言葉がぴったりだと思う。目線をあげることもできないまま、固く唇を引きむすび、震えそうになる手に力を入れることで何とかやり過ごす。
 身じろいだ際にちらりと見えた、知っている赤い髪につられて焦点を合わせ――そして後悔した。彼の顔は以前見かけた時とは全然違う、苦々しいものだったから。
 でも。
 この中にいる誰よりも、私の気持ちに近いような気もして、ほんの少しだけ呼吸がましになる。

「すべては、帝のために」

 けれども、低く、低く底を震わすような声に、あっという間に喉が狭まった。この世界で誰よりも近しいはずの人の声なのに、この壇上で発するものはまだ恐怖に似たものを伴う。
 仲穎様の声を合図に、広間中に衣ずれの音が響き渡る。それぐらいしか音の出るものがないのだ。誰も彼も、息を潜めてこの瞬間を堪えている。震えそうになる手をしっかと握りしめ、恐る恐る目線をあげる。赤い盃を皆が頭上に掲げたその光景は、ある意味圧巻だった。
 今日は新年。新しい年を祝う日。
 広間に集った人々の装いも、目の前に立つ仲穎様の衣も、晴れ着であることが知識のない私にもすぐわかる。
 ただ、『ハレの日』とはとても言い難い雰囲気が重く重くのしかかり、目線をあげることもままならない。
 本来ならば宴会が開かれるらしいのだが、「祝盃のみで終わらせる」とどこか満足そうにこぼした仲穎様の顔を思い出す。敢えて何もしないことが、彼にとっては大事なのだろう。
 唐突に、仲穎様の手がすっと下がり、お酒が注がれた盃が卓の上に戻された。
 一瞬の、声のないどよめき。
 掲げた手とは違い、まばらに下がる手。ことことりと、卓の上に戻される盃。帝のために、と掲げたものをそのまま下ろす意味は、私にはわからない。それでも、いつもと同じように壇上の隅に立ちこの一連の行為に参加しなくてもよい立場を、心の底から良かったと思ってしまった。――きっと、これはとても酷いことだ。

「戻るぞ」
「……」

 立ち上がり踵を返すなり、私だけにかけられた声。え、と思わずもれそうになった声をこらえて、道を開けるために更に後へ下がる。仲穎様が通り抜け、その後についていくために皆に背を向けた瞬間、やっと満足に息をつけた。
 


 
「貂蝉。茶を」

 自室に戻るなり、〝いつも〟の柔らかな声音に戻った彼に、緊張が解けた反動で目尻に涙が滲みそうになる。
 けれども、「はい」と応えた私の声が思った以上に弾んでいて、涙が緊張のせいだけではないことを悟ってしまった。
 私は、嬉しいのだ。今しがたの行為が何を意味するのかわからないと目を逸らしながら、仲穎様のそばでこうして過ごせることを、何よりも愛しく思っている。仲穎様が、他の人にとってどんな存在であろうとも。皆の無言の圧力と、腹の底から冷え切るような悪意を感じても。あの冷たく暗い声が怖くても。

「――どうかしたか」

 湯を沸かす手が止まった私を訝しんだ仲穎様が、わずかな心配を滲ませて声をかける。

「いえ」

 彼の罪を知りながら、それでも胸が弾むほどの喜びを覚える私の浅ましさにがっかりする。

「寒さで手がかじかんでいるみたいで」

 それでも、嘘を織り交ぜたとしても、あなたのそばで笑う私を選んでしまう。

三国恋戦記 魁 編集

#伯巴

#三国恋戦記・今日は何の日
『バレンタイン』
三国恋戦記魁 伯符×巴(現パロ)
戦がなければ、日常の中にいる彼女ならば、こんな一面もあったかもしれないなという思いで書きました。多分続きます(書きたい……)。




****************


 消えてなくならないものがいいなんて



 息を吐けば、街灯の下で白く色づき、一瞬で消
えてしまう。
 バタンとドアが閉まる音に、目当てのバスが到
着していたことを知る。これで何度バスを逃した
のだろうかと頭の片隅で考えた。
 ──いい加減、帰らなければ。
 抱えていた鞄を持ち直し、立ち上がる。
 バスを待つより、駅まで歩いた方がマシな気がしたためだ。
「なんだ、今帰りか」
 背後からかけられた声に、頭の先からつま先まで緊張が走った。
 振り返りたくなくて、でも無視するわけにもいかないと、意を決して後ろを向く。
 予想通り、黒いマフラーを巻いた、伯符先輩がそこにいた。今朝見かけた姿と、まったく同じ――。その事実に、目を疑った。
「……お疲れ様です」
「ああ」
 先輩はちらりとバス停の時計を確認し、軽くため息をつく。
「出たばかりか」
「……はい」
「駅まで歩くのか?」
「……そうしょうかなと」
「じゃあ行くか」
 当然のように一緒に帰る流れに戸惑いつつも、別にこれが初めてではないし、と自分に言い聞かせる。
 これに特別な意味なんて、ない。
 先に歩き出してしまった彼の後ろを慌ててついて行きながら、冷え切った手を擦り合わせて間を埋める。

三国恋戦記 魁 編集

#三国恋戦記・今日は何の日 とは、2021年9月から2022年3月までTwitter上で行っていた企画です。
お題を予告し、かける時間は自由、また作品は再録でも可としたものでした。
現在は大元となるアカウントは削除しましたが、タグを入力すれば当時皆さんに投稿して頂いたものが見られるかと思います。
ここでは、私が企画向けに書いたものを置いています。

三国恋戦記,三国恋戦記 魁 編集

『小さな一歩』 #仲花

#三国恋戦記・今日は何の日  
3/9「ありがとう」

雨宿りイベントの後のお話です。




****************



「あの、これ⋯⋯」
 雨が止んで、馬を繋いだ木まで後少しというところ。
 くじいた足はまだ痛むけれど、仲謀も心なしかゆっくり歩いてくれているようで、そんなに辛くはない。ふと、まだ上着を借りたままだったことに気がつき、脱いでから声を掛けた。
「あ? ああ……」
 仲謀の応える声は、今までよりも少しだけ柔らかくなった気がする。彼は立ち止まり、上着を受け取ろうとして──思いっきり顔を顰めた。
「……お前の上着は濡れてるんだよな」
「そうだね。ちょっとまだ着れないかも」
 水分をしっかりと含んだそれは、とても重たい。とりあえず軽く絞ってはいるけれど、今日中には乾くのは無理だろう。
「なら、まだ着てろ」
「え、でも」
「いいから着てろ」
「寒くない? 私カーディガンもあるし――」
「俺様がいいって言ったらいいんだよ!」
 声を荒げて突っ返され、困惑する。何で急に怒ったんだろう。
 やっぱり、何にも変わってないかも。
 けれど、そんな彼にも慣れてもきた自分もいる。
「少し早いが、次の街で宿を取る。それまで貸してやるから着ろ」
「でも」
「いいか? これは命令だからな」
 強い口調で捲し立てられれば、頷く他ない。それを確認した仲謀は踵を返し、馬の元へと足を速めてしまう。釈然としない気持ちでその後ろ姿を眺めていると、彼の耳が赤いことに気がついた。
 ──照れてるのかな。
 先程の雨の中のやりとりと、背中の熱がふと蘇った。
「……」
 すぐ怒るし、優しくないし。文句ばっかりだと思っていたけれど、彼の背中の温かさを思い出すと、それだけでもないことも浮かんでくる。野犬のときも、おぶってくれたことだって、行動だけ見れば助けてくれているわけで――。
「あの」
「まだ何かあるのかよ!」
「ありがとう」
 私の言葉に仲謀は足を止めて、少しだけ振り返る。その顔が、予想通りの渋面で思わず笑ってしまいそうになる。
「……別にいい」
 ふいっと前を向いた仲謀の耳が、さっきよりもはっきりと色づいたのが見えて、こっそり笑いをこぼした。
 目線を少し上げれば、雨が降っていたのなんて嘘のように空は晴れ上がっている。森を抜けて陽も当たれば、気温も上がるだろうか。
 仲謀が風邪を引きませんように、と心の中で祈った。

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『いつもの春の終わりに』 #仲花
#三国恋戦記・今日は何の日 『いい夫婦の日』

仲花夫婦後のお話です。




****************




 ふわりと香った花の匂いと、柔らかな風。また好きな季節が巡ってきたことを実感して、ゆるりと微笑んだ。 
 手元に視線を落とせば、琥珀色の液体が揺れる盃に映った月があまりにも綺麗で。ねえ見て、と隣の彼に声をかけようとして、ふと違和感を覚えた。
 いつも通り、自室で二人きりで興じる月見酒。頬杖をつきながら夜空の月を見上げる彼の仕草に特に変わりはない。
 また、風が吹いた。今度は少し強めのそれに、満開の桜に似た木々の花びらが舞い散り、仲謀の髪を揺らしたところではっとする。

「……髪、伸びた?」

 盃を持たない方の手を伸ばし、彼の耳の後ろの金糸を掬い取り――怒られた。

「おっ、前なあ! こぼれるだろうが!」
「……別にくすぐろうと思ったわけじゃなくて」

 その柔らかな髪に触れたかっただけなのに、と釈然としない気持ちを抱えながら謝る。仲謀のぼやきは聞き流しながら、首元を庇うように覆った手の下に、思いを馳せる。

「……もしかして、伸ばしてるの?」
「……」

 図星らしい。いくら首が弱かろうと、隠したままなのは明らかに変だった。

「何で? 珍しいね」

 出会ったときからずっと、仲謀の髪は短かった。
 ――あのときは王子みたいなんて思ったりしたっけ。
 瞬時に浮かんだあれこれに、懐かしいなと目尻が下がった。昔のことを思い出すと、夫婦になったことが心底不思議であると同時に、なるべくしてなったのだろうとも感じる。それぐらい、こうして横にいることが当たり前になってしまった。

「……別に」

 こちらを見ることなく、仲謀もまた盃を傾ける。

「もういいかな、と思っただけだよ」

 何が『もういい』のか。短くない付き合いの中の、彼の言葉や周囲の声が浮かんでは消え――。ある一つの予測に辿り着く。けれど、それはお酒とともに流し込んでしまった。

「そっか」

 風と共に、月明かりに照らされた花びらが舞い散る。一緒にふわりと揺れた金糸を、心から綺麗だと思った。

「どっちも好きだよ」

 髪が長くても、短くても。
 そこにどんな心境の変化があって、その理由が気にならないわけではないけれど。何もかも伝えればいいとも思わなくなった。
 今、こうして隣にいることの意味の大きさを教えてくれたのは、他でもない仲謀だから。
 私の言葉を受けて、光の加減で青く見える仲謀の瞳が私を捉える。ああこの色も好きなのだと、思わず口元が緩んでしまった。
 仲謀が、何かを言おうとして口を開いて、閉じて。そして息を吐くように笑って、私の長い髪を一房手に取った。

「まあ、俺も。どっちも好きだな」
「……うん」

 好きと言って返されたくすぐったさを、彼にもたれかかることで誤魔化す。春の風は暖かくとも身体は冷えていたらしい。当然のように抱えられた頭と身体から伝わる体温の心地良さに、そのままゆっくりと目を閉じた。

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