猫の額








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『金の夕陽』 #マイセン
アラビアンズ・ロスト
マイセン←アイリーンの小話です。
以前コピー本として頒布したもののWeb再録となります。
今回upするに辺り、大幅に加筆修正を行いました。




****************






「攫ってやろうか?」

 光る、金の目が、私を捉えて離さない。
 



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 
 その日は、魔がさしたのだ。

 王宮の廊下も、壁も、何もかもが黄金色に染まる時間。
 幼い頃からから見慣れた夕方の光景も、改めて見ると感動すら覚えるものだ。
 だが、今日はそんな景色もどうでもいいぐらい、今すぐにでも部屋に帰って休みたかった。
 両親――つまり国王と王妃の交わした取引きに勝つために、毎日王都を出てモンスターと戦う日々。期限は差し迫っているが、目標金額まではあと一息といったところだが、余裕を持てるほどではない。
 カジノで一発逆転を狙うか、でも――。

 疲弊した身体を引きずりながらも、頭だけがぐるぐると回転させる状況に辟易してくる。気が付けば、自然と足は自室ではなく、通いなれた客室に向かっていた。
 ほんの少し。ちょっと、雑談するだけ。
 吸い寄せられるように訪れた客室の扉を前に、内心言い訳のような言葉を並べてからノックした。

「マイセン?いる?」

 返事はない。

「ねぇ、マイセン?ミハエル?いないの?」

 少し声を荒げても、扉の向こうは静まり返ったままだ。

「……どこに行ったのよ、って」

 駄目もとで押した扉が小さな軋みとともに開く。
 不用心な。
 そう思うと同時に、開いた扉から差し込んだ光に目が眩む。
 うっすらと目を開ければ、美しい、金色に彩られた部屋が飛び込んでくる。

「……入るわよ?」

 誰もいない部屋にそっと入り込む。
 入るべきではないのかもしれない、そう思いながらも後ろ手で扉を静かに閉めてしまった。
 空気中の塵が、光に舞ってきらきらと輝いている。
 部屋の中は生活感が溢れる程度には散らかっていて、彼らが本当にここで生活をしているのだ、と今更ながらに思った。
 取引が始まる前、彼らはここにはいなかったはずなのに。もう何年もの付き合いのように感じるほど馴れてしまった。
 けれど。
 彼らは客人だ。いつかは、ここを出ていくのだろう。
 ぎゅっと胸が締め付けられる。
 得体の知れない客人など、早々に出て行ってもらうに限るはずなのに。
 用がなくてもこの部屋に通うことが習慣になってしまった今、彼らがいなくなるかもしれないことを思うと寂しくなるほどには、慣れ合ってしまった。

 ――何て、愚かな。

 ため息をこぼし部屋を出ようと踵を返したときだった。何気なく視線を遣った寝台に、目を瞬かせる。

「……マイセン?」

 半ば埋もれているせいで気付かなかったが、豪勢な布の隙間に、誰かが寝ている。
 そっと近付いて、思わず息を呑む。
 大きな天蓋付きの寝台の中、やはり眠っていたのはマイセンだった。だが…。
 どこぞの王族、だなんて言葉。
 今なら信じてもいいかもしれない。
 ぼうっとした頭で、別人のようなマイセンの寝顔を見つめる。
 黙っていさえすれば、丹精な顔立ちなのだ。普段の態度や、ミハエルが横にいるせいで霞んではいるけれど。

『今更気づいたわけ?』

 馬鹿にするようなミハエルの声が聞こえるようだ。
 夕陽で全身を金色に染めたマイセンは、まったく起きる気配がない。すぅすぅと小さな寝息に呼応して、身体が上下するのみだ。
 寝ているところを眺めるなんて、不躾だわ。
 そう思うのに、吸い寄せられるように彼の髪に手を伸ばす。
 触れた前髪は見た目の通り柔らかく、髪型が決まらないと大騒ぎしていたときの光景がよみがえった。
 思わず頬が緩み、ゆっくりと前髪を撫でたときだった。

「っ!」

 突然の衝撃に言葉を失う。マイセンが、前髪に触れていた私の腕を引っ張ったのだ。

 ――まさか、狸寝入り!?

 瞬時に沸き上がった怒りに任せて叫ぼうとした瞬間、


「―――」


 マイセンが、誰かの名前を呼んだ。
 いや、誰か、ではない。一度だけ聞いたその名前を、私は知っている。
 マイセンに掴まれたままの腕が熱くて、そこから脈が早くなるようだ。規則正しい寝息が近くて、耳が灼けてしまいそう。
 彼に抱きしめられるような形だから、彼の顔は見えない。ただ、熱だけがじわじわと私を侵食する中、”彼女”の名前を呼ぶ声が、頭の中で反響する。


 ――何で。

 ぎ、と唇を噛みしめる。
 マイセンの腕は動かず、背中までがっちりと固定されている。寝ぼけて人を寝台に引きずり込むなど、最低すぎる。
 そんな最低な奴が。今、私の名前を呼ばなかっただけで。
 何故、こんなにも傷つかねばならないのだろう。
 あんな、聞いたこともない愛おしげな声で、誰を呼ぼうと関係ないのに。
 鼻がつんとする。おまけに、心臓のあたりもずきずきと痛む。

「……なんで、私がっ!」

 泣きそうにならなきゃいけないんだろう。
 理不尽さに、思いっきり腕を振り下ろした。

「起きなさいよ、この変態!!!」




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 


「「あ」」

 また、夕陽。忌々しい、と廊下を憤然と歩いていたときだった。
 勢いよく角を曲がった瞬間、今一番会いたくない顔を見て思わず声が出てしまう。それは向こうも同じだったらしい。むかつくことにハモった。

「よぉ、プリンセス。相変わらずお忙しそうでっ」
「えぇ。誰かさんみたいに暇じゃないのよねー」

 あっはは、と表面上だけはにこやかに笑うが、お互いに目は笑っていない。

「先日はどうも。いやぁ、まさかプリンセスが短期間に強くなった証を身を持って知るとは思わなかったぜー」
「客人風情で一国のプリンセスを寝台に連れ込むなんて最低な奴には、当然の仕打ちだと思うけどね」
「いくらプリンセスだからって、客人の部屋に勝手に入っていいってことはないんじゃねぇの?あ、もしかして夜這いにきたわけ?あーあー、かっこいいってのは罪だなぁー」
「マイセンったら、ふふ。一度鏡を見た方がいいんじゃないの?あんたに夜這いをかけるような人間、どこを探したっていないわよ?いい加減現実を見なさいよ」
「あっはははは」
「うふふふふ」

 マイセンに抱きしめられたあの日――。怒りにまかせた渾身の力で彼を殴り飛ばし、逃げるように部屋を飛び出した。
 だからマイセンにしてみれば、いきなり寝込みを襲われた形になる。そして、彼の言うとおり勝手に部屋に入ったのも私で、寝ぼけていたマイセンに罪はない。はっきり言って非があるのは私だけだ。それでも、到底謝る気にはなれなかった。
 あの時感じてしまった胸の痛みを、受け入れたくない。

「じゃあね」

 にっこりと、形だけは友好さを装って通り過ぎようとする。すると、その腕を掴まれた。

「ちょ、」

 何するのよ、と睨みつけようとしたが、真面目な顔をしたマイセンに言葉を失う。

「プリンセス」
「な、によ」

 腕を掴まれたまま、思わず身を引く。心臓の鼓動が速くなったのが、自分でもはっきりとわかった。

「本当に、夜這いじゃないのか?」
「……」
「俺、知らなかったぜ」

 苦しそうな顔で俯くマイセン。

「プリンセスがそんなに俺のことを、ってぇ!痛いっつの!!」
「うるさい、黙れ、とっとと腕離せ」

 蹴りながらも冷たく言い放つが、マイセンは聞いちゃいない。

「何だよ、怒るこたねぇだろ。悪ぃな、プリンセス。俺はお嬢さん方、皆のものなんだ、だから……」

 その言葉に、思わず手が出ていた。
 ――バシン!
 派手な音が、廊下に響き渡る。

「……ふざけんのも、いい加減にしなさいよ!」

 マイセンの頬を殴った手が、びりびりと痛む。それよりも今すぐにも涙が溢れそうなほど、目頭が痛い。堪えるために、必至で唇をかみしめた。
 殴られた頬を押さえたマイセンが、眼を瞬かせる。謝らなきゃ、と頭の片隅で思うけれど、吹き荒れる感情の嵐に飲み込まれそうだ。
 何故、私はこんなにも傷ついてるの?

「落ち着けよ、プリンセス。どうしたんだ?最近何か情緒不安定じゃねぇ?」
「うっさいわね!関係ないでしょ!?」

 が、マイセンは怒るどころか、却って心配などするものだから、また頭に血が昇る。
 とにかく離してほしい。いますぐ、ここから立ち去りたい。

「プリンセス、そんなに困ってるなら力を貸すぜ?」
「金貸しの力なんか借りないわ」

 ろくなことにならない、と切り捨てる。

「おいおい、いくら期限まで時間がなくてやばいからって、自棄になるなよなぁ」
「放っておいて!」

 なおも暴れる私に、マイセンが笑う。

「ったく、しょうがねぇの」

 そう言って、腕を掴んでいない手を私の頭の上に置いた。

「だーじょうぶだって。ほら、困ってんならこの流浪の美貌の賢者に相談しな?」

 ぽんぽん、と軽く頭を叩かれる。見上げれば、いつもの胡散臭い笑いはどこにもなく、呆れたように、そして慈しむような目がこちらを見つめていた。

「……で、」
「ん?」

 唇が戦慄く。

「……んな、目で、私を見ないでよ」

 駄目だ、泣きそう。

「……私は、あんたの妹じゃないんだからね」

 震える声を必至に抑えて、マイセンを睨みあげる。私を通して、誰かを見ないでほしい。私は、ここにいるのに。いないみたいに、扱わないでほしい。
 私のその言葉に、マイセンは驚いたように眼を瞬かせた。そして、ゆっくりと息を吐く。色のない表情。

「……そう、だな。プリンセスは、プリンセスだ」

 そう言って自嘲気味に笑ったマイセンの顔は、回廊に差し込んだ夕陽色に染まっている。あの時の、寝ていたときのような、別人の顔。

「――あいつじゃない」

 その言葉に、とうとう涙が堪え切れず溢れた。
 どうしようもなく胸が痛くて、張り裂けそうだ。
 私を通して妹を見られても嫌なのに、彼にとって特別な妹と同じではないと言われるのも、同じぐらい辛い。
 頬を伝う涙が気持ち悪いのに、身体が思うように動いてくれなくて、拭うことすらできない。

「じゃあさ、アイリーン」

 夕陽に照らされたマイセンの瞳が、金色に光って。
 はっきりと、"プリンセス"ではなく私を捉えている。


「攫ってやろうか」


 マイセンが笑う。いつもの軽い笑いではなく、底の冷えるような、笑み。
 何がじゃあ、なんだ。とか、どうしてそういう結論になるんだ、とか。思考が一瞬で駆け巡って、結局何も言えない。“私”に向けられた瞳に、息が詰まって言葉が出ない。

「どうする?」

 選ばせやるよ、と腕を離された。

「……今、すぐに?」
「攫うなら、今すぐ」

 俺の気が変わっちゃわない内にさ。
 目を細めて笑ったマイセンの顔は、やはりいつもとは違う。
 ――ここを、出る?
 ギルカタールを。
 マイセンと、一緒に?
 ぐらりと、自分の中で何かが揺れる感覚。


「……いいえ」


 乾いた口で、それだけを絞り出した。
 攫ってほしいと思ってしまった。でも、同時に沸き上がってきたのは、恐怖だった。

「そっ、か」

 その答えを予想していたのか、マイセンが薄く笑う。いつもの彼の顔になっていた。

「期限までまだ時間もある。途中で諦めるわけないもんな?」
「………」
「じゃあ、今のは、なかったことにしようぜ」

 指きり、と小指を差し出される。躊躇っていると、プリンセス、優しく名を呼ばれ促される。
 ゆっくり差し出したそれに、マイセンの小指が絡んだ。

「約束、な?」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ものすごく長い25日間だった。少なくとも、人生の中で一番密度の濃い期間であったことは間違いない。
 私は、無事両親との取引に勝ち、自由を手に入れた。
 はずだったが、実際は何も変わらなかった。
 『普通』になりたい。ずっとそう思ってきたし、この取引の期間中はその実現に向けて努力したようなものだった。しかし、蓋を開けてみれば、私は『普通』とはまた縁遠くなってしまったような気がする。
 誰もいない廊下を、一人歩きながら重い溜息をついた。いくつもある大きな窓からは、惜しむことなく黄金色の夕陽が降り注いでいる。

 ふと気がつけば、何度も訪れた客室の前に居た。
 何故、自分はあんなにもこの場所に通っていたのだろうか。
 扉を押すが、びくともしない。鍵がかかっている。

『よぉ、プリンセス。何か用か?』

 今となっては懐かしい声が、脳裏に響いた。
 25日。
 それは両親との取引の期間の日数でもあるし、マイセン、そしてミハエルといた日数とも重なる。
 誰よりも、顔を合わせていた。どうでも良い話を、たくさんした。
 急にたまらない気持ちになって、髪の中に潜ませていた細い針金を取り出す。そして、客室の扉の鍵に差し込んだ。
 カチリ、という軽い音ともに、扉はあっけなく開いた。

「………」

 部屋一面が、別世界のように光り輝いている。思えば、ここに来るのはいつも夕方だった。一日中、取引のために外を駆け回って、用もないのに立ち寄る。
 一歩踏み出せば、空中に舞った埃が、以前と同じようにきらきらと光り輝く。
 なのに、この部屋に人の気配はない。
 当然のことながら、部屋中全て綺麗に整えられていた。ここに誰かがいた痕跡まるごと、何もなかったかのように全てがひっそりと佇んでいる。
 まっさらな寝台にそっと腰掛けると、スプリングが僅かに軋んだ音を立てた。

 ――本当に、彼らはここに居たんだろうか。

 呆然と、空中を見つめる。
 彼らは全部夢で、存在しないのではないか。それを確かめるものを、彼らは何一つ残していかなかった。

『攫ってやろうか』

 あの日の、マイセンの金色の目がちらつく。
 ただの気まぐれ以外の何物でもなかったであろう、その言葉が頭から離れてくれない。
 攫ってくれと頼めば、本当に攫ってくれたのだろうか。
 でも、行けない。だって――。

「やっと、」

 弱々しい声と、涙が溢れた。

「やっと、好きになれたのよ」

 ――何を?
 何故そんなことを呟くのか、自分でもわからない。そして、留めなく溢れる涙の理由も、わからない。

「……あんたが言ったくせに」

 “あんた”とは、誰だろう。

『なかったことにしよう』

 絡まった小指を振り切る感触だけが、やけにリアルに残っている。


 どうせなら、全てなかったことにしてよ。

畳む

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