猫の額








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#その他
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録




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 厳かなパイプオルガンの音が、壁に反射して柔らかく響く。古びた木のベンチは、使い古された故の温もりを備えていた。
 毎週日曜にある礼拝の時間は、とても眠い。私が熱心な信者ではないからなのかもしれないし、陽の光が降り注ぐ、この空気が心地よすぎるせいなのかもしれない。
 うつらうつら、夢心地の中ぼんやりと窓際に視線をやると、マリア像を描いたステンドグラスが光に透ける様子が何とも美しい。この、光景は好きだ。
 ほうっと自然と溜息が漏れる。けれど、違和感を感じて首を傾げた。何だか、すごく久しぶりな気がする。

「アリス」

 パイプオルガンの音色に邪魔にならない程度のささやき声。そこで初めて、隣に誰かがいることに初めて気がついた。
 どうして気がつかなかったのだろう。
 少し困ったように眉根を寄せて、けれども優しく頬笑むのは、姉さんだ。私の顔を覗き込む目と目が合えば、不思議と胸が締め付けられた。

「寝ては駄目よ」

 ほんのり笑いを含んだ、私をたしなめる声。聴き慣れたその声音に、鼻の奥がツンとした。
 薄紫色のドレスとおそろいのボンネットは、教会の中では外され、今はベンチの上。その横には、週報と聖書、讃美歌集が綺麗に重ねられていた。

「……姉、さん」
「なぁに?」

 あぁ、姉さんはここにいたのだ。
 呼びかけて、返ってきた反応にじわりと涙が滲む。

「姉さん」
「あらまあ。どうしたの?」

 震えてしまった声に、姉さんが心配そうな顔をしながら、私の頬に触れた。暖かい。柔らかい。――生きている。
 私に優しく触れる姉さんの手に、そっと手を重ねる。とうとう、涙があふれた。




「姉さ――」

 掠れた自分の声に、びくりと身体が震える。
 遅れてゆっくりと瞼を押し上げた。暗闇。けれど目が慣れてくると、ぼんやりと自室の天井が現れ、ここがどこか理解する。
 穏やかでないのに、優しい世界の、私にあてがわれた部屋。

「……夢」

 居所がわかって肩の力が抜ければ、喉が乾いて張り付く。
 喉を潤そうと、ベッドから這い出て素足を床に着けた。冷たい床が、今は心地が良い。
 水差しからコップに注いだ水を一気に飲み干し、息をつく。

 ――何の夢を見てたんだっけ。

 疲労感がすごい。何か大きく心が揺さぶられていた気がする。が、中身を思い出すことができない。
 まあいいか、とベッドまで向かう途中にあくびを漏らせば、さっきまで必死に我慢していたような気がして――そんなわけないわね、と小さく笑う。
 夜にあくびをするのは、当たり前じゃない。
 まだ温もりの残るシーツにくるまれば、まどろみが遠慮なく襲ってくる。
 次の時間帯もまた夜とは限らない。仕事に支障が出ないよう、しっかりと身体を休めなければ。

 ――夢も見ずに、朝になりますように。





15 君と過ごした日々は過去になった

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 私がここでおかしな気分になるのは、立ち込める濃い薔薇の香りのせいなのか、それとも美しい兄弟のせいなのか。未だに、わからない。どちらも原因なのかもしれないし、わかったところで意味はない。



「お前もやってみるか?」

 ご機嫌な女王様は、花びらをむしった薔薇を私に差し出した。彼女は手癖のように、薔薇を握りつぶす。

「やらない」

 かわいそうよ、と言うとビバルディは馬鹿にするように鼻で笑った。

「散るために存在するのじゃ。かわいそうなことなど何もない」
「でも、ただの暇つぶしで、むしられるのはかわいそうよ」
「育てられておるから育つのじゃ。どちらにしろ、朽ちる運命。ならば、いつ散ろうが一緒じゃ」

 確かにそうだが、もったいないものはもったいない。ビバルディの足下には、無数の花びらが降り積もっている。しゃがみこんで拾えば、しっとりとした質感。こんなに綺麗なのに。しかも、ブラッドが手入れをしている薔薇だとういのに、少し離れ場所にいる彼は止めもしない。
 一つ溜息をこぼして、手元にある花びらに視線を戻す。何かに再利用できないかしら。ビバルディはまだむしり続けている。

「ねぇ、ブラッド」
「ん?」

 呼びかけた彼は、薔薇の手入れをしているのか、垣根を素手で触っている。手袋を外したブラッドの手は恐ろしく綺麗だ。反射的に彼の手に関する様々なことが蘇り――思わず頬が赤くなる。

「――これ、貰ってもいい?」

 暗いから、私の変化には気づかないだろう。それでもやや目線を落としながら、地面に降り積もった花びらを指す。お風呂にでも入れれば、きっといい匂いがするはずだ。

「構わない」

 ありがとう、とお礼を言って地面に座り込む。エプロンを受け皿にして、赤い破片をのせていく。白い布地の上に、それはよく映えた。

「っ、え」

 急に濃くなった薔薇の香りにむせ返る。続いて、子どものようなビバルディの声。

「おぉ、綺麗じゃ」
「……ちょっと」

 ビバルディが薔薇の数本をむしり、私に頭から被せたのだった。頭や肩にも大量の花びらが乗っている。遅れて、はらはらと落ちてくるものもある。

「見ろ、ブラッド。ここに綺麗な薔薇があるぞ」
「馬鹿言わないでよ」

 集める手間は省けたが、これでは歩けば落ちるだけだ。何か入れ物を持ってこようかしら、と思った時、薔薇以外の香りが濃くなった。

「ビ、ビバルディ?」

 彼女はドレスの裾が汚れるのも構わずしゃがみこみ、美しい手で私の顎を掴む。

「本当に、綺麗」
「え、ちょっと」

 続きは、薔薇の花びらに邪魔される。長い綺麗な指が、私の唇に花びらを押し当てたのだ。

「可愛い」

 恍惚とした表情でそう言われれば、先程の比にならないほど頬が熱を持つ。
 そして花びらを押し当てられたまま、ゆっくりと口づけられた。――甘い香りがするのに、苦い。

「……姉貴」

 急に聞こえた低い声に、びくりと身体が揺れる。

「何じゃ。こっちの薔薇を愛でるのは気に食わないか?」

 にやりと、意地悪そうにビバルディが笑った。

「当たり前だ」

 言うが早いか、ブラッドに腕を引かれ立ち上がらされる。反射的に花びらを踏むまいと意識したせいで、足下がふらつく。それを見て、ブラッドが舌打ちをした。

「独り占めはしないよ。――この薔薇だけは、二人で育てよう」

 甘く、それでいて妖艶なビバルディの声が、耳元で響いた。常なら受け入れられないことも、ここだと抵抗する気すら起きなくなってしまう。でも、それだけではない。確かに、心の奥から湧き上がるものがある。
 なのに、近づいてくるブラッドの顔をただ見つめることしかできない。
 まだ頭に残っていた薔薇の花びらが、はらはらと視界の端を横切った。






14 好きだと言いたいのに声が出ない

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「お嬢さん、君は今日も麗しいな」
「あら、あなたもとても素敵よ?」
「というわけで、だ。こんなに美しいお嬢さんを差し置いて私だけ――というのは私の信条に反する」
「へー、ブラッドにそんなものがあったの。あなたのことですもの、さぞかし立派な信条なんでしょうね」
「……あぁ、そうだ。だからこれを全て君に差し上げよう。いや、遠慮することはない。美しいお嬢さんのために、私はこんなことしかできないのだから」
「いいえ、十分だわ。居候させて貰っている上に、こんな豪華なお茶会まで。忙しいのに付き合わせて申し訳ないわ。あなたの目の前にあるケーキなんて、素晴らしく栄養価が高いし、紅茶だけじゃ倒れてしまうじゃない。――ほら、どうぞ」
「私の9割は紅茶でできているんだ。紅茶さえあれば何もいらない」

 爽やかに晴れ渡った昼下がり。今日も帽子屋屋敷ではお茶会が開かれていた。
 しかし、天候とは正反対に、卓上の空気はピリピリしていた。その原因は、私達の真ん中に鎮座する『あれ』だ。

「ブラッド、大丈夫? 人間の成分に紅茶は一ミリリットルだってないのよ? とち狂ったことを言いだすなんて、疲れのせいよ。いいわ。私の分もあげる。どうぞ」
「何を言う。客の菓子まで取り上げるわけがなかろう。いい。君が食べなさい。私の分まで」
「はあ? 自分の分は自分できちんと頂くのが最大の礼儀じゃない」
「そういう君だって、食べようとしない」
「あなたが先に言いだしたからでしょ」
「いや、君が――」
「お前ら……」

 表面だけの友好さをかなぐり捨てようとした頃、悲しげに揺れる声が割って入った。小さな声だったが、私達を黙らせるには十分だった。

「……食わない、のか?」
「「…………」」

 しょーん、と擬音が聞こえてきそうなほど、垂れた耳。図体のでかい男が、全身でがっかりとしたオーラを出したところで――なのだが。帽子屋屋敷のNo.2のエリオットが相手では、従わざるを得ない。……だって、胸が痛むからだ。

「な、何言ってるのよ。もう楽しみで楽しみで。取り合いなんてみっともなかったわね。――ねぇ、ブラッド。ありがとー、エリオット」
「……あぁ、そうだな」
「他の人の分まで手を出しちゃ駄目よね?」
「…………あぁ、そうだな」

 目の前には、エリオット特注の巨大オレンジ色のブツ。逃げ場は――ない。先ほど自分で断った。

「俺の分はたーっぷりあるから、いつもみたいに分けてくれなくていいぜ!」

 私の言葉に安心したのか、顔だけでなく全身から喜びいっぱいのオーラをあふれ出させるウサギ、ことエリオット。
 私とブラッド、それぞれの前にはオレンジ色のケーキ。テーブルの真ん中に鎮座する巨大なオレンジ色のケーキの、何十分の一とはいえ一人分にしてはかなり量が多い。オレンジ色のものは見たくない私達とっては、致死量である。


「平和だね」
「ああ、平和だね、兄弟」

 苦い顔をしながら、ケーキを口に運ぶ双子は、たとえ休みを増やされても、今の時間を勤務時間として認められても、まったく嬉しそうではなかった。

「まったく、本当に」
「「馬鹿らしい」」

 彼らのハモる声を聞きながら、フォークをさくりとケーキに突き立てる。ごくりと唾を飲み込み、目をつぶって口に『あれ』を放り込んだ。






13 確かに君たちが好きなのだけれども

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