猫の額








『まるで湖の底』 #ルイス
ルイスルート、エンド後のお話です。2022年4月28日~29日のネップリ企画用に書き下ろしました。糖度高めを目指して書きました。




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 真新しい油の匂い。カチャカチャと鳴る軽い金属音。彼が武器の手入れをしていることを、まどろみの中で悟る。
 絵面もやっていることも、物騒としかいいようのないはずなのに、その音で落ち着いてしまう私はやはりおかしいのだろう。
 思うように開かない瞼に眉をしかめて身じろげば、私が起きたことに気がついた彼が『怪獣ちゃん』と呼ぶはず――。

「アリス?」

 けれど、掛けられた声は想像とは違うもので。ゆるゆると目を開ければ、いつの間にか近くに寄ってきていた彼が私を覗き込んでいた。

「すみません、起こしてしまいましたか?」
「……ううん」

 怪獣ちゃん、なんて。
 久しく呼ばれていないのに、何故そんなことを思ったのだろう。一人苦笑しながら、ベッドから身を起こそうとしたところで彼に肩を抑えられる。肩紐以外は剥き出しの肌にじわりと移る熱に、思わず彼から目線を逸らした。

「まだ寝ててください」
「でも、……もうお昼よね」

 私のために締められたのであろうカーテンからは、わずかに光が洩れている。
 時間帯はただの目安だけれど、やっぱり明るい時間には起きていたい。それに、お互い休みの時間帯なのだから、共に過ごしたいと思うのが普通だろう。
 彼の手を軽く押し退ければ、今度は少し唇を尖らせるだけで、私の背に手を添えて起こすのを手伝ってくれる。ルイスは相変わらず『過保護』という言葉がぴったりな扱いをする。
 ふと、彼がシャツ一枚の軽装であることに気が付き――すっかり変わってしまった関係を思い起こし、頬が熱を持つ。望んでいたこととはいえ、まだ『恋人』に慣れるのには時間がかかりそうだった。

「? どうかしましたか」

 私の変化を敏感に悟った彼が、再び顔を覗き込むように近づける。心臓が跳ねるような感覚とともに、息が詰まる。

「……何でも」
「ないことないでしょう」

 そして彼は私に身を擦り寄せる。今のは、『以前』のような触れ方。だけれど、異なるそれを知ったあとでは、慣れていたはずのものでも動揺するには十分だった。
 きっと赤くなっているであろう顔を隠したくてシーツを引き寄せたところで、彼は声のトーンを落として話し始めた。

「――俺、ちゃんとあんたのこと大事に出来てます?」
「は?」

 急に何の話だろう。思わず顔を上げれば、眼鏡の奥で揺れる彼の青い瞳。

「言ったでしょう? ペットは難しいけど、恋人ならちゃんと出来る気がするって」
「……だ、大事に出来てるんじゃない?」

 以前のような他意のない触れ方であっても、この至近距離。ましてや、彼の言わんとすることを察して口ごもってしまう。けれども別に嘘というわけでもない。
 『恋人』になった彼は、前にも増して私に丁寧に触れるようになった。彼の視線からも、触れ方からも。全身で、大切にされているのが伝わってくる。ただ、独占欲も更に増した。それは時に厄介でトラブルも引き起こすのだけれど、『怪獣ちゃん』と私を呼んでいたあの頃よりも、私のことが特別で大事なのだと思わせられる。少し窮屈であると同時に、私を満たしてくれていた。

 ――重症ね。

 内心呆れながらも、そんな自分は嫌ではなかった。
 ルイスはというと、じっと私を見つめたあと、するり私の頬に指を滑らせた。ほんのり香る油の匂いと、私より低い体温。そしてその触れ方は、先程とは違う艶かしさを含んでいて――。

「っ、ちょ」
「まだ、あんたに愛する方法を教えてもらえてないから……。うまく出来ているかわからないんですよね」

 ギシリ、とベッドのスプリングが軋む。彼が身体の重心をこちらに寄せ、私の上にのし掛かるような体勢になる。

「『壊して』はいなくても、――ちゃんと愛せているのかわからない」
「っ、だから、出来てるって言ってるでしょ‼︎」

 羞恥に耐えきれず、枕を掴んで彼の顔に押し付ける。顔は熱いし、胸はばくばくと早く脈打っている気がするし、嫌ではないけれど耐え難い。
 枕をさらりと除けたルイスは、ずれてしまった眼鏡を外す。思わずどきりとしたことが悔しくて、そっと唇を噛む。
 恋人になってから見せる姿は、心臓に悪い。もう乱れることはないはずなのに、以前の感覚のまま『ないはずのもの』があるように感じてしまう。

「でも」
「わ、私が――嫌とか……そういうのくらいは、わかるでしょう?」

 つっかえながらも言葉を紡ぐ。
 あなたのことだもの。きっと、私より私の変化には聡い。
 ルイスは私の言葉を受けて、きょとんと目を瞬かせて動きを止めた。

「もうっ、この話は終わ――」
「じゃあ」

 彼とは反対側からベッドを降りようと背を向けたところで、視界がひっくり返る。彼に、ベッドに押し倒されたのだ。

「あんたの思う『愛し方』を知りたいです」
「は、え……?」
「『されるばかりは嫌』。なんですよね?」

 そんなことを言ったこともある。でも、そういう意味で言ったわけじゃない。けれども、熱を帯びた青い瞳に見据えられ、出てきたのは僅かな抵抗の言葉。

「……私、起きたばかりなんだけど?」
「ええ。だからちゃんと待ってました」
「……私が何て言おうと、そのつもりだったんじゃない」

 くすりと笑って、ルイスが続ける。

「そういうわけじゃあないですけど――。あんたが、嫌じゃないとか言うから」

 私のせいにしないでよと軽く睨むも、彼は愛おしそうに目を細めるだけ。――何てずるい。そんな顔をされて、逃げられるわけがない。

『怪獣ちゃん』

 ふと脳裏をよぎるのは、かつての呼び名。あの関係も、欠けさせたくないほど私にとっては大事なもので。でも、やはり今の方が特別だと思い知らされる。
 一つ、ため息をついて。観念して彼の顔に手を伸ばし、頬に触れる。たったそれだけで、彼の瞳が、口元が、触れる手つきが。全身で愛しいと伝えてくるから。
 溺れてしまいそうなほどの幸せの中で、息が出来ない。

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