猫の額








『揺れる、ゆれる』 #仲花
以前書いた『誰がために ―秘め事―』で出てくる髪飾りのお話。




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「あ」
 蒼いまあるいそれは、手からするりと逃げるように落ちて行った。


「何だよ」
「あ、ううん。何でも」

 慌てて拾い上げた物をじっと見つめる。見た所ヒビもなく大事はなさそうで、胸を撫でおろした。

「……それ」

 花の部屋で茶を飲んでいた仲謀が、手を止めてこちらをじっと見つめる。

「あ、仲謀が前にくれたやつだよ」

 あの時は冬だった。うららかな気候の今と対照的な、凍える日々を思い出す。花の手には、以前仲謀から贈られた──押し付けられたに近いもしれない──玉が握られていた。

「革袋の紐につけてたんだけど、ほどけちゃったみたいで」
「……全然見ねえと思ったら地味なとこにつけやがって」
「地味って……。大事にしてたんだよ」

 これならどこへでも持っていくものだし、と丈夫な皮袋ごと見せつける。

「そういえば、仲謀と出掛けた時に買ったんだよね、これ」
「そういえばって」

 忘れてたのかよ、と舌打ちをする仲謀に首を傾げる。

「……何で機嫌悪いの?」
「悪くねえ」

 ぐい、と残りの茶を煽り、仲謀が立ち上がって花の傍に寄ってきた。婚儀までもう少し。部屋は移動することになるからと、あまり持ち物があるわけではなかったが、整理をしているところだ。

「ちょっと貸せ」

 ひょいと手の中の玉を奪い取られ、玉越しにじいっと見つめられ、思わずたじろいだ。

「な、何」
「これ借りとくぞ」
「へ?」

 そのまま懐に収められ、目を瞬かせることしかできない。そうしていると、仲謀に髪を一房救い取られた。

「っ!」
「お前、髪は結わないのか」
「……髪?」

 仲謀の長い指が頬に触れそうで、気もそぞろに答える。

「あんまり、しないかも……」
「ふうん」

 生返事の後の考え込むような仕草。つい、疑問が口をついて出た。

「……結ってる方が好き?」

 今のままでは駄目なのだろうか。そんな不安が知らず漏れだして、思ったよりも弱弱しい声になる。仲謀はというと、弾けるように手を髪から外した。

「そ、そういうわけじゃない!」
「……」
「そうじゃなくて、……普通、何か、結い上げたりとか着飾ったりとか。そういうの好きだろ」
「まあ、それはそうだけど」

 おしゃれは楽しいし、好きな方だとは思う。最近の婚儀の衣装選びだって、大変であったものの最初の頃は心が躍った。──さすがに何度も何度も続いたため、辟易しているのだが。

「だから、……」
「だから?」
「──何でもねえ。じゃあな」

 そのまま踵を返して部屋を出て行ってしまった。

 ──あれ、気に入ってたんだけどな。
 仲謀が持って行ってしまった玉のことを思い出しながら、すっかり色をなくしてしまった皮袋を見つめた。

    ◇

「花様。仲謀様がお呼びです」

 花嫁修業の一環として始めた恒例の書き取りをしていると、侍女が花を呼びに来た。本人ではなくわざわざ侍女をやるとは珍しい。数日前の彼の不可解な行動を思い出しながら、首を傾げる。
 少し前まで使用人が出入りするのみだった花の部屋は、正式に婚姻が決まってから部屋付きの侍女まで与えられていた。とはいえ元々は客室。普段は別の部屋に待機しており、用があるとこうして出向いてくれている。

「……仲謀が?」
「はい。……お急ぎの様でした」

 眉を下げ困った顔を見せる侍女に、慌てて筆の処理をして仕舞う。迷惑を被るのは侍女の方だ。立ち上がってぱたぱたと身だしなみが乱れていないか確認していると、彼女がくすりと笑って背中のよれを直してくれた。

「ありがとうございます」
「いえ、気になさらないでください」

 世話をされることには慣れないものの、こうして笑顔を向けてくれる存在がいると安心できるものだと、侍女をつけてくれたことには感謝していた。欲を言えば、対等に話せる友達が欲しいのだけれど──。それは立場上難しいことも理解していた。ふと、玄徳軍にいる芙蓉姫のことを思い出し、鼻先がつんとしそうになるのを堪えた。

 侍女を連れて仲謀の部屋へ向かおうとすると、別の方向を示される。あまり出向いたことのない方角だ。来客時に使う部屋が多かったように思う。見慣れぬ扉の前に案内をされ、侍女が戸を叩く。

「花様をお連れしました」
「入れ」

 戸越しに聞こえた仲謀の声に肩の力を抜きながら入室すると、卓の上に色とりどりの装飾品が並べられている光景が目に入り、その場で立ち止まってしまった。

「何ぼうっとしてんだよ」
「……え、うん」

 そろそろと入室して仲謀の横に並ぶ。卓の向こう側には人好きそうな顔をした年配の男性が笑顔で立っていた。何だろう、これは。

「どれがいいと思う」
「……何の話?」

 仲謀は見てわかるだろとも言わんばかりに説明を省くことがある。おそるおそる聞けば、ばかにしたような目で見下ろされる。

「どれって。お前の装飾品だよ」
「……婚儀の?」
「婚儀のはもう決めただろうが。普段使うものだよ」

 ふと、先日の髪を結わないのか、という会話が蘇った。

「……仲謀」
「何だ」

 おそらく目の前の男性は城お抱えの商人なのだろう。その人物を前にして言うのはなんだが、言うべきことは言っておかねばと丹に力を込めた。

「私、あまり贅沢はしなくていいんだけど──」
「お前な、孫家の嫁だぞ。これぐらいで贅沢とか言ってんじゃねえ」

 そうくると思った。想定内の答えに、落ち着いて花は返す。

「これは贅沢の範疇だよ」
「~~っ、お前はいっつもいっつも人の好意をなんだと」
「いつもっていつの話──」
「はああ?」
「花様……」

 遠慮したような侍女の小さな声に我に返る。いけない、今ここで喧嘩するようなことではない。落ち着かせようとちらりと侍女を見れば、うんうんと力強く頷きを繰り返していた。……大人しく受けとれということなのだろう。
 内心溜息を吐きながら、ありがとうと義理で言えば鼻をならされる。

「最初っからそう言えばいいんだよ」

 ……このまま部屋を出て行きたい、など不穏なことを考えていると、侍女に小さく、けれど先程より強い口調で花様と窘められた。仲謀より、付き合いの短い侍女の方が花のことを理解してくれている気になる。しかし、仲謀のこういう態度は今に始まったことではないと、自分で自分を窘める。
 さてと気を取り直し、目の前に並ぶ装飾品の数々に向き直る。急なことで圧倒されてよく見てはいなかったが、露天に並んでいたら確実に寄ろうと思っただろう。そんな魅力的な品々が丁寧に並べられている。が、未完成のようなパーツのみの物が多いようで首を傾げる。

「どれにする」

 そう言いながら仲謀が懐から先日預かっていった玉を取り出した。

「それ……」
「どれでも好きなものに加工してもらえるぞ」
「え……」

 まさかここでその玉が出てくるとは思わず、仲謀と玉を交互にまじまじと見つめる。借りるぞ、とはこのことだったのか。

「……何で持っていったの?」

 今ここで花に選ばせるなら、持っていく必要などなかったのではないだろうか。
 そう聞けば、罰が悪そうに目を逸らされた。

「……何に加工するか大喬達に聞いたら、お前に決めさせろって言うから」

 段々と小さくなる声とは裏腹に、花の脈が早まる。─嬉しい。素直に、そう思った。

「ありがとう」

 改めて、心からそう言えば仲謀の耳が赤みを帯びる。

「いいから早く選べよ」

 仲謀のその様子に、緩みそうになる頬を抑えることに失敗しながら、装飾の希望を伝えた。


    ◇

 てきぱきと、そして鮮やかとでもいうべき手つきで、髪が結い上げられていく。先ほどの装飾品をつけるならと、侍女に髪を整えてもらっているところだ。

「仲謀様をお呼びして参りますね」

 心なしかいつもより笑顔を携えながら仕事を成し遂げた侍女は、一礼して優雅に退室していった。鏡の中の自分を見つめてどきどきする。見慣れない姿は心が踊るような、知らない自分を見つけて不安でもある。

 すぐに仲謀の声が聞こえると同時に、部屋に入ってきた。一層鼓動が早まるのを感じながら、開口一番に「どうかな」と感想を聞いてみる。

「……まあ、悪くないんじゃねえの」

 言葉だけを捉えれば不満だが、今にも破顔しそうな顔で言われると笑わざるを得ない。くすくすと笑い出すと、不機嫌そうな顔に変わった。

「なんだよ」
「別に。……つけてくれる?」

 仲謀の手元には、先ほど作ってもらったばかりの簪。蒼い玉と、それに合わせて選ばれた複数の小さな玉が簪の先から垂れ下がり、室内に入り込んだ陽光を受け、動きに合わせて光を散らしている。

「これで良かったのかよ」
「うん」

『仲謀に決めて欲しい』

 花が出した要望はそれだけだった。元々彼が花に似合うものを考えてくれる予定だったのだろう。それが何よりも嬉しいと思い、そう伝えた。

「すごく可愛い。この玉も気に入ってたから、嬉しい」
「……そうかよ」

 仲謀がほっとしたように顔を緩ませて、花の頭にそっと触れて簪を差し込んだ。

「どう?」
「……似合ってるよ」

 先程とは打って変わって素直に褒めるものだから、花も頬を赤らめ俯いた。

「だ、大事にするね」
「当たり前だ」

 簪が差された辺りがくすぐったいし、首元はやたらと風通しがいいやらで落ち着かない気分だ。
 少しでも身じろぎすれば、しゃらしゃらと細い音が聞こえるのが、何とも気恥ずかしい。着飾るのは、玄徳軍の宴に出た時以来だなとふと思った。

「あ、なんかお返ししたいんだけど──。欲しいものとか、ある?」

 照れ臭さを誤魔化すように早口で伝えれば、別にないと返ってくる。

「でも貰ってばっかりだし」
「いいんだよ。それくらい。──俺は、そのくらいしかしてやれねえんだから」

 その響きに、どくりと心臓が嫌な音を立てた。いつもの、特になんてことない顔をしているのに。声だけが、何かを含んでいる。
 彼は負う必要のないことについて考えているのではないだろうか。自信の想像に焦り、仲謀の袖を掴んだ。

「花?」
「──私、」

 幸せだよ? ここに残って良かったよ? いくつも浮かんでは消えていく言葉。仲謀がいてくれれば何もいらないと思うのに、言葉にすると色あせて、あるいは嘘になってしまいそうで──。怖くて口にすることができない。

「……ありがとう」
「……急になんだよ」

 結局不自然に礼を繰り返す花に、仲謀が戸惑いつつも笑う。その笑顔に胸が締め付けられる。
 仲謀以上に好きな人なんて出来ないと思った。その気持ちが私をここに繋ぎ止め、仲謀の作る未来を見たいと思わせた。だから、だからこの人が気にすることなんて何一つないのに。私が仲謀を好きだという気持ちが彼を悩ませてしまうのだとしたら──。それは、あまりにも悲しい。


「──どうした」

 仲謀の手の甲で、頬を撫でるように触れられた。心配する声音に、酷い顔をしているのだろうと首を振り、笑って見せた。

「仲謀のこと、好きだなと思って」

 先ほどは出なかった言葉がするりと出る。誤魔化すために、軽口のようになら好意を素直に伝えられたことに、軽く失望した。これじゃ嘘みたい。

「……」

 仲謀が何かを言いかけようとして、溜息を洩らした。そうして視線がさ迷った後、両肩に手を置かれた。
 仲謀が少し屈んだところで、次の行動を察して花は静かに目線をあげる。顔が近づいて、最初に前髪が少しだけ触れて、そこで初めて目を閉じた。静かに唇に触れた熱。角度を変えて啄ばむように食まれる感触に背筋が震えた。
 ──嘘じゃない。本当に仲謀のことが好きなのだと、踵を浮かせて彼の唇を食むように返せば、一瞬動きを止めたあとに舌が差し込まれた。

「……っ、ふ」

 口内に溢れる質量に思わず声が漏れれば、そっと後頭部に手を添えられ、動けなくなる。
 何かを誤魔化すように始まった深い口付けは、二度ほど繰り返されたところで、仲謀から離れることで終えた。
 軽く肩を揺らして息をすると、仲謀の熱を帯びた瞳に覗き込まれた。今度は甘く痺れを伴いどきりと心臓が大きく音を立てた。
 そうして、そのまま花の肩口に仲謀の額を預けられた。

「……早く婚儀にならねえかな」
「……そればっかり」

 どくどくと早鐘を打つ心臓の音が煩わしい。『これ以上』の行為を求めて婚儀を待ち望む仲謀のことを、いつしか非難できなくなっている自分がいる。──もう別にいいんじゃないかな。不意にそんなことを思うことがある。だが、実際に『これ以上』の内容が具体的にわからないし、その時が来たら怖気づくような気もする。
 だから「いいよ」とも言えず、代わりに頬を仲謀の頭に摺り寄せた。

「毎日つけるね」

 仲謀の頭は依然として花の肩に乗ったままだから、自然と彼の耳が近くなる。耳を傷めないよう声を細めてそう伝えれば、仲謀が顔をあげて身を離してしまった。

「……いや、たまにでいい」
「え、でも、せっかく貰ったし。……それに、結い上げる方が好きでしょ?」

 離れてしまった距離に寂しさを覚えつつ、簪をつけなくていいと言う仲謀に首を傾げる。てっきりつけて欲しがるぐらいだと思ったのに。

「誰がそんなこと言ったんだよ」
「……違うの?」
「……お前の髪に触れられない」

 言いながら、耳の辺りを仲謀の長い綺麗な指がそっと掠めていく
 不意に、常ならば口付けの時に髪に差し込まれる指の動きを、その感触を思い出し、再び熱が立ち昇ってくる。

「っ、……」
「あと」

 思わず恥ずかしさで顔を俯かせていると、独り言のように仲謀が言葉を零した。

「堪えられる自信もねえし……」

 不可解な言葉に熱も忘れ仲謀を見上げれば、明後日の方向を見ながら頬を染めていた。

「……何が?」
「いや項が──って何でもないからな‼」
「……? なに?」
「いい!わからないでいいから!忘れろ‼」

 頭を鷲掴みにされ、がくがくと揺らされる。

「ちょ、ちょっと!」
「あと今日は部屋から出るな!」
「何それ、横暴すぎるよ!」
「うるせえ、これは命令だ‼」

 久々に聞いた言葉に思わず吹き出すと、仲謀がなんだよ、と不機嫌そうな顔する。


 頭から放れた手を軽く握りながら、こうして無邪気に触れ合える今も愛しいと。思わず笑みが零れた。


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