猫の額








『張り紙の効力』 #エース
ピクスクイベントの店舗背景をお借りして描き足させて頂いた、『二人きりの夜間外出禁止』に関するお話です。
ダイヤの「もう少し傍に」EDのその後です。
疑似家族のあれこれを書くつもりが、少年エスアリ寄りのお話になりした。
(多分)ギャグです。




****************




「……ねえ、あれ何?」

 渡されたコーヒーカップを受け取りながら、お礼を言おうと口を開きかけたときだった。見慣れぬものを見つけ、思わず首を傾げる。クローゼットのドアに貼られた、真新しい紙に書かれた言葉。

『二人きりの夜間外出禁止』

 ユリウスって達筆よね、と思いながらコーヒーを口に含む。好みの香りと程よい苦味。当たり前だった日常が、また形を変えて戻ってきた。

「見ての通りだ」

 幸福感を満喫する私とは対象的に、ユリウスの返事は、ほんの少し苛立ちを含んでいた。
 そこでようやく気づく。

「これ、私達宛?」

 私達の『お付き合い』を勘違いした故のこれなのか。ちらりと本棚に目をやれば、真新しい本が増えている。タイトルを読むまでもない。育児本だろう。

「正確にはエースに、だ」

 ユリウスの言葉を受け後ろを振り向けば、相変わらず勝手に床に広げた敷物の上でくつろぐエースと目が合った。テントよりもささやかなそれを、ユリウスは文句を言いながらも受け入れている。

「ユリウスって本当に面白いよなあ」

 手元のトランプをパラパラと敷物の上にばら撒きながら、エースが明るい声で笑いかけてきた。

「ユリウスが心配しているようなことは、夜にしかできないわけでもないっていうのにさ」
「……言っておくけど、夜だろうが昼だろうが、あなたの考えているようなことは『ない』わよ」
「ええ? 俺の考えていることって、何?」

 矯正可能だと思っていた日々はそう昔ではないはずなのだが、やはり幼くてもエースはエース。段々と大人の彼を彷彿とさせる発言が増えて来ていた。正直、殴りたい。否、今の彼なら殴れる。
 手元のコーヒーをテーブルに置いて、立ち上がるべきかと考えたときだった。コンコン、と扉を叩くと音に重ねるように、ユリウスを呼ぶくぐもった声が聞こえた。ジェリコだ。

「何だ」
「悪いな。ちょっと――って、よお、アリス」

 ドアを開けるなり話し出した彼は、私に気づくと眼鏡の奥の目を細めて軽く手を上げた。最初は、私がここにいる度に軽く驚いていたけれど、居る方が当たり前だと認識するようになったらしい。
 けれどそれも一瞬のことで、張り詰めた空気を漂わせながらユリウスに視線を向ける。ドアの取手に触れたまま中に入ってこようとしない彼の行動に、ユリウスがため息をついて立ち上がった。

「少し出てくる。いいか、私のいない間に――」
「わかってるわ。勝手に部品に触ったりしない」

 そう先に言うと、ユリウスが眉根を寄せた。

「それもあるが――。いや、いい」

 何かを言いかけ、早足にドアへと向かい、振り返ることなく二人で消えてしまった。バタン、と閉まった扉の音が、何だか重く感じる。
 平和なここも、不意にちょっとしたバランスで崩れてしまうのだった。

「いつまで見てんの?」

 やや不機嫌そうな声に、ドアから目線を外し振り返る。敷物の上で胡座をかき、こちらを見つめる赤い瞳は、ある意味よく知っている剣呑な色を含んでいた。

「……ユリウスは駄目だ、って言ったの忘れた?」
「そんなんじゃないって言ったはずだけど?」

 抑揚を削ぎ落とした声に呆れながら返し、殺気未満の、けれどほぼ同様のをそれを受け流しながら立ち上がる。もう彼を殴る気も失せていた。本棚に向かい、慣れ親しんだラインナップに満足し、口元を緩める。

「……君が、ユリウスと仲良くしているとイライラするんだ」
「やきもちってやつじゃない?」

 もちろん、ユリウスにだ。適当に受け流しながら、気になったものを手に取ってみる。その隣にあるのは育児書で、ハートの国とはまた違う、親子のような二人の関係を微笑ましく思う。国が違っても、姿が違っても。関係の在り方が違っていたとしても、二人が一緒にいるという事実に、私はこの上もなく慰められていた。

 ――だって、大事な人と居られるのは、幸せなことだから。

 無意識に重ねた姿に、ずきりと胸が痛む。そのせいで、気付くのが遅れた。

「ねえ。今、誰のこと考えてたの?」

 不意に近くで聞こえた声に、驚き振り向く。と同時に、いつの間にか真後ろに立っていたエースが、右腕を本棚に伸ばす。まるで追い込まれるような形に目をみはった。今、私達の間には抱えた本一冊分の厚みしかない。

「な、え?」

 あまりの近さに上擦った声にも、彼は関心を示さず眉はしかめたままだ。

「ユリウスのこと?」
「ち、違うわよ」

 迫力に思わずたじろいだ。彼の殺気もどきは慣れていても、こう距離が近く逃げ場がないと、それなりに堪える。顔を伏せ、本を抱きしめ、少しでも距離を取ろうと無駄な足掻きをしてしまう。

「……ユリウスが」

 けれど、続いた言葉は逸らした視線を戻してしまうほど、苦痛に満ちていて。

「ユリウスが、君に心を開いているのがすごく嫌だ」
「……ええ」

 そうでしょうね。返事を飲み込みながら、小さく頷く。
 まるで父親離れしていない子ども、と言い切ってしまえばわかりやすいのかもしれない。けれど、彼の、彼らの関係はそう一言で表せるものではない。もっと、根深く重い。

「――そして、君がユリウスに心を開いているのは……。もっと……、嫌な気がする」

 絞り出されるように紡がれた言葉に、再度頷きかけ――首を傾げた。

「え、ええ?」

 私が呆気に取られて見つめるのにも気づかず、エースは私を本棚に追い詰め、床を睨みつけたままだ。赤いのに、深い海の底みたいな冷たい瞳は、いつの間にかくしゃりと歪んだ顔によって消えていた。

「……ユリウスだけで良かったのに。余計な物が増えた」

 ぽつりと溢した言葉は、ただただ悔しそうだった。思わず、手を伸ばしそうになる。
 エースは、エースだ。
 国が違っても、姿が違っても。厳密には同じ人ではない。それでも、根っこの一番その人がその人たる部分は、同じなのかもしれない。
 そう思ってしまうほど、大切な存在が気持ち悪いと言う彼と、目の前の彼を、とても近くに感じた。
 そして、笑顔という仮面のない、幼い彼の言葉は、まっすぐ私に届く。

 ――『余計な物』……か。

 それはどんな言葉よりも、彼の中で私の存在が大きくなっていることが察せられて、むず痒さを覚えてしまう。
 ふと、静まり返った部屋にカチコチと時計の音が聞こえてくるような気がして、頬が熱を持ち始めた。それだけ近い距離に、居心地の悪さがふつふつと湧き出す。いやいやいや、『お付き合い』ごっこの関係で、何をそんな――!
 一人沸騰し始めた頭を冷ましたのは、ガチャリと鳴ったドアの音だった。

「はあ……。ちっとも仕事が進まな――」

 続いたユリウスのぼやく声が、途中で止まってしまった。エース越しにばちりと合ったユリウスの目は、見たことがないほど大きく見開かれている。

「あ、お帰りなさい」
「早かったんだな」

 エースの声は、先程とは違いいつもの調子に戻っていた。

「っ、な――」
「「?」」

 二人首を傾げたところで、エースの服の衣擦れの音に距離の近さを思い出し――ふわ、と熱がぶり返した。のも良くなかったのだろう。

「なにをしている!!!」
 
 ユリウスの渾身の一喝に、美術館中の人間が駆けつけるのは、この少し後のこと。

ハートの国のアリスシリーズ 編集

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