猫の額








『ゼロから』 #エース
ダイヤの国のアリス、ミラーのエースベストED後のお話です。(多分)ハッピー寄り。



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 さわさわと木の葉が擦れる音の中に、土を踏み締める足音が加わった。
 滅多に人が来ない墓地ではあるが、訪問者がいないわけではない。薄目を開けて木の下に視線を落とせば、見慣れた青と白がチラついた。
 風で流される栗色の長い髪を軽く抑えながら、もう片方の手には紙袋。こちらからは頭上のリボンが見える程度で、彼女の表情までは見えない。

「……」

 彼女はキョロキョロと辺りを見回す。誰かを探しているようだ。
 ――探しているようだ、なんて。
 自分の考えに自嘲し息を漏らす。誰を探しているかなんて明白なのに、『もしかしたら違うかもしれない』なんて臆病風を吹かせる己が、ひどく滑稽に思えたからだ。

「アリス」

 彼女の肩がぴくりと震え、上を仰ぎ見る。そうして目が合った彼女の表情に、思わず目を細めた。
 ただ、俺を見つけて笑っただけだというのに、狂わないはずの秒針がブレた気がしてしまう。ただ見かけただけで、俺を見つけたら、笑ってくれることを期待してしまう。

「それ、何?」
「ああ、えっと」

 木から飛び降り、彼女の手荷物について訊ねる。横髪を耳に掛け直しながら、アリスが目を泳がせた。けどそれは一瞬のことで、真正面から俺を見据える。

「一緒に、食べようと思って」
「へえ。じゃあお茶にする?」

 歩き出した途端、「そっちは墓地の奥でしょう」という言葉とともにコートを引っ張られる。最近よく行く湖は、墓地の奥だった気がしたが、彼女がそう言うのなら間違いないのだろう。

「連れて行ってよ」

 振り返り手を差し出せば、アリスが驚いたように目を瞬かせ、そしてゆっくりと微笑んだ。



  ◇  ◇  ◇



「はい、どうぞ」

 すっかり通い慣れてしまった湖畔を眺めていると、エースがコップを差し出した。つい今しがた、火を起こすとこから用意してくれた紅茶だ。――この人がコーヒーを淹れることはないのだなと、ふと思う。

「ありがとう」

 受け取り、エースが自分の分を飲み始めたのを見て、私もそろそろと口をつけた。まだ熱過ぎるけれど、口内から喉に至る頃には、じんわりと身体を温めてくれる。エースの淹れる紅茶は至って適当に見えるのに、何故だかほっとする。

「で、何を持ってきてくれたんだ?」
「あ、うん」

 紅茶で緩んでいた身が、緊張で引き締まる。ちらりと、紙袋に視線をやった。
 一緒に食べようと言ったお菓子は、衝動買いしたものだ。かつ、彼のことを思い浮かべて買った。だけれど、これをエースと食べるべきではないのかもしれないとも思う。――それでも、迷いながら持ってきてしまった。
 コップを簡易テーブルの上に置き、がさがさと紙袋からそれを取り出す。パッケージが見えたとき、わずかに彼が反応した気がした。

「……クッキー?」
「……ええ」

 ――わかるんだ。
 エースが、好きだと言っていたクッキー。こちらの国の、エースが、だ。
 これは甘くないから好きなんだ、とユリウスの部屋で喜んでいた姿が印象的で。何よりユリウスがエースのために用意していたことが、自分のことのようにすごく嬉しくて。今日ここに来る途中に、同じパッケージのこれを偶然見つけて買ってしまったのだ。
 もしかしたら、『エース』も『ユリウス』と食べていた思い出の味かもしれない。高揚した気分で買い物を済ませ店を出て、改めてエースに会いに行こうとしたところで気がついた。
 もし、このクッキーが思い出の味だったとして。それ、嬉しいのかしら――と。

「……食べたこと、ある?」

 たとえ食べたことがなかったとして、この国のエースが好んでいることを知っていたら、いい気はしないかもしれない。
 踏み込み過ぎだと思う。
 それでも、仮にこれが好きだったお菓子だとして。それを懐かしむことぐらい、彼が彼に許してくれればいいと、思ってしまう。――同時に、これはそうあって欲しいと願う、私のエゴでしかない。単なる押し付けだ。
 でも、それですら今の彼は受け入れてくれる気がして、甘えるように持ってきてしまった。

「……どうだろう」

 ぽつりと溢した声は色がないのとも違うけれど、ここではなく遠くに向かっていて。
 ――傷つけて、しまっただろうか。
 謝るのは違う気がして、代わりにきゅっと口を引き結んだ。紙袋の中から、違うお菓子も取り出そうと手を差し込む。

「あの、他のもあるんだけど――」

 けれど、すっと伸びてきた彼の腕に言葉を詰まらせた。あっという間に、私の膝に置いていたクッキーを取り上げ、パッケージを破いてしまう。ふわりと漂った香ばしい匂いに、ユリウスの部屋で喜んでいた、幼いエースの顔が浮かんだ。
 一連の行動をただ眺めるしか出来なかった私を、一度も見ることなくエースはクッキーを一つ摘んで、口の中に放り込んだ。

「……うん」

 もぐもぐ、と口を動かす横顔は、何だか幼く見える。

「――やっぱり、甘くなくて美味しいよ」
「…………そう」

 美味しい、と言う彼の声は、私のよく知るいつも通りの彼のものだった。嘘っぽすぎるほど爽やかで。あのときのように、わかりやすく気持ちを話してくれた彼とは違う。夢と現実の狭間ではないからだろうか。それとも、たわいのない思い出は話だから? まだ、遠い。
 そこまで考えて、自覚した思いに、きりきりと胸が締め付けられた。
 エースに昔を懐かしんで欲しいとか、そんなんじゃなかったのだ。ただ、この人に近づけたことを実感したかっただけなんだわ。
 あまりにもどうしようもない、子どもじみた行動を恥じる。それでも、このクッキーを食べたことがあることを隠さなかったことに、高揚してしまう。彼が、私を好きだという言葉に嘘がないのだと、思いたい。

「ねえ」

 続けてもう一つ、クッキーを摘んだ彼に話しかければ、やっとこちらを見た。赤い瞳の奥に潜む感情を、私はまだ明確に言葉には出来ない。前よりはわかるようになったけれど、それでは足りない。予想するのでもなく、偶然居合わせるのでもなく。

「あなたの、好きなものを教えてよ」

 ようやく、色んなことを見せてくれて、向き合う覚悟ができた今だからこそ。
 今、目の前にいるあなたの口から、聞きたいことがたくさんある。

ハートの国のアリスシリーズ 編集

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