猫の額
『五十歩百歩』
#エース
ハートの国のアリス15周年で書きました。このCPに15年狂ってる……。
****************
「……どう?」
サクリ。
軽い音を立てて、彼の口の中に飲み込まれたパイ。その瞬間、ほんの少しだけ目を見開いたような気がする。いや、私の期待が見せた幻覚かもしれない。
相手に気取られぬように一旦視線を逸らして、給仕するために使ったトレーを握り直した。
「──すごくおいしい」
驚きに満ちた、と言ってもいい声音。
抑えきれぬ高揚を内にありありと感じて、口元がゆるまぬよう引き締めた。
「で、でしょう。ちょっと色々研究してみたのよね」
あえて高慢に返しながら、垂れた横髪を耳に掛け直す。おいしい、と言われた事実に浮き足立つ心を隠すことができなくて、彼に視線を向けられない。
それが、いけなかった。
「研究、ね。
何回も作ったの?」
「そりゃ、まあ」
会いたいと思ったときに会えるわけではない人。ちょっと待っててと言ってそのまま迷子になり何十時間帯も会えない、なんてこともザラにある。それがエースという男だ。
彼に会えたタイミングで食べさせるために、それは何度も何度も作ったのだ。
よりおいしく作るための実験だと称して――。
「へえ」
さっきまで浮かれていた心が、たった一言で嘘のように冷え切る、低い声音。
続いて、いつの間にか背後に回っていた彼に抱き寄せられた。
「ちょっ」
「誰のために作ってたの?」
──誰の。
耳元で囁かれ、普通なら顔を赤らめるような場面なのだろう。でもちっとも甘くない。
ただただ、『痛い』。
「――あなたのためよ」
わかってもらえない。どこまでも。
私が、あなた以外の人に、手作りのパイを食べてもらいたいとでも?
唇を噛みしめ目線を落とせば、赤いコートの袖と、白い手袋が映る。
はっきり言葉にしても、この男に私の言葉は届かないのだろう。喜んでたって、笑っていたって。それは表面だけだ。
気軽に触れてくるくせに、エースの奥底を動かす衝動に、私はなり得ない──。
「……そっか」
拍子抜けしたような声音に、痛みがじくじくと増す。欠片ばかりも自分のためにとは思わなかったのだろう。なんなのよ。あなた以外の誰に作ると思ってたの。
痛みが段々、苛立ちへと形を変え始めたときだった。
「じゃあ、今まで作ったやつは誰が食べたの?」
「は──?」
思わず、首だけで振り返って彼の顔を見てしまう。赤い瞳が、私を捉える。そこに冷たさはない。
「……ビバルディとか、ペーターとか、同僚のメイドたちとか」
「ふうん」
面白くなさそうに口をへの字に曲げた彼の子どもっぽい表情に、くすぶり始めていたイライラが収まり始める。
──これは、妬いていると解釈していい?
そう思った途端、頬が熱く、息が苦しくなる。今のこの態勢がいたたまれなく、でもコート越しとはいえ伝わる熱が、どうしようもなく心地良い。
「ねえ。もう、俺以外に食べさせないでくれる?」
「──あなたが、作る間くらい待っててくれたらね」
たまにしか会えないこの人に、そのままそばにいてと正直に言えば──。
彼はいてくれるのだろうか。
でも、そんなことを言える可愛げさも勇気も、私は持ち合わせていない。
だから、近づく瞳に無言で応じて目を閉じた。
2022.02.14 17:37:38
ハートの国のアリスシリーズ
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ハートの国のアリス15周年で書きました。このCPに15年狂ってる……。
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「……どう?」
サクリ。
軽い音を立てて、彼の口の中に飲み込まれたパイ。その瞬間、ほんの少しだけ目を見開いたような気がする。いや、私の期待が見せた幻覚かもしれない。
相手に気取られぬように一旦視線を逸らして、給仕するために使ったトレーを握り直した。
「──すごくおいしい」
驚きに満ちた、と言ってもいい声音。
抑えきれぬ高揚を内にありありと感じて、口元がゆるまぬよう引き締めた。
「で、でしょう。ちょっと色々研究してみたのよね」
あえて高慢に返しながら、垂れた横髪を耳に掛け直す。おいしい、と言われた事実に浮き足立つ心を隠すことができなくて、彼に視線を向けられない。
それが、いけなかった。
「研究、ね。
何回も作ったの?」
「そりゃ、まあ」
会いたいと思ったときに会えるわけではない人。ちょっと待っててと言ってそのまま迷子になり何十時間帯も会えない、なんてこともザラにある。それがエースという男だ。
彼に会えたタイミングで食べさせるために、それは何度も何度も作ったのだ。
よりおいしく作るための実験だと称して――。
「へえ」
さっきまで浮かれていた心が、たった一言で嘘のように冷え切る、低い声音。
続いて、いつの間にか背後に回っていた彼に抱き寄せられた。
「ちょっ」
「誰のために作ってたの?」
──誰の。
耳元で囁かれ、普通なら顔を赤らめるような場面なのだろう。でもちっとも甘くない。
ただただ、『痛い』。
「――あなたのためよ」
わかってもらえない。どこまでも。
私が、あなた以外の人に、手作りのパイを食べてもらいたいとでも?
唇を噛みしめ目線を落とせば、赤いコートの袖と、白い手袋が映る。
はっきり言葉にしても、この男に私の言葉は届かないのだろう。喜んでたって、笑っていたって。それは表面だけだ。
気軽に触れてくるくせに、エースの奥底を動かす衝動に、私はなり得ない──。
「……そっか」
拍子抜けしたような声音に、痛みがじくじくと増す。欠片ばかりも自分のためにとは思わなかったのだろう。なんなのよ。あなた以外の誰に作ると思ってたの。
痛みが段々、苛立ちへと形を変え始めたときだった。
「じゃあ、今まで作ったやつは誰が食べたの?」
「は──?」
思わず、首だけで振り返って彼の顔を見てしまう。赤い瞳が、私を捉える。そこに冷たさはない。
「……ビバルディとか、ペーターとか、同僚のメイドたちとか」
「ふうん」
面白くなさそうに口をへの字に曲げた彼の子どもっぽい表情に、くすぶり始めていたイライラが収まり始める。
──これは、妬いていると解釈していい?
そう思った途端、頬が熱く、息が苦しくなる。今のこの態勢がいたたまれなく、でもコート越しとはいえ伝わる熱が、どうしようもなく心地良い。
「ねえ。もう、俺以外に食べさせないでくれる?」
「──あなたが、作る間くらい待っててくれたらね」
たまにしか会えないこの人に、そのままそばにいてと正直に言えば──。
彼はいてくれるのだろうか。
でも、そんなことを言える可愛げさも勇気も、私は持ち合わせていない。
だから、近づく瞳に無言で応じて目を閉じた。