猫の額








『日没とともに』 #早安
#三国恋戦記・今日は何の日  『家族』
早安エンド後の話(早花前提の……というCP色薄めの話です)。
当時ほぼ書き上げてましたが、ちょっとテーマとあれかな……と違うもの出してました。



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 陽が落ちる頃合いが、一番嫌いだった。
 鴉の鳴き声は耳障りだったし、どこかに帰り着く人々を眺めるのも、最悪な気分になったから。
 もっとも、そんな感情なんてとっくの昔に忘れていた。なのに思い出したのは、薬草を集めた帰り、道端にうずくまる子どもを見つけたせいだ。
「…………」
 背格好から察するに、二軒隣のガキだ。どうしたのかと声を掛けるべきなのだろう。
 向こうも立ち止まった俺に気づいていないはずはないが、微動だにしない。意味もなく手を上げ口を開きかけ──何と切り出せばいいかわからず、そのまま頭を掻いた。
 花に会うまで、人の感情なんてどうでもいいと思っていた。別に、相手が何を考えているのかが、わからないわけではない。寧ろ、思考が読めなければ死が待っているような世界で生きてきた。だから『わかる』
だけに、何と言ったらいいのかわからなくなることがある。これが以前の仕事のまま、誰かになりきっていれば、すらすらと言葉は出てくるのだろうが。
 今は『早安』だから、言葉がすぐには出てこない。
 もう一度、鴉が泣く。声を掛けることも、置いていくこともできずに、静かにため息をついて彼の隣に座った。
「……」
「……」
 俺は空を見上げ、ガキはうずくまり顔を伏せ無言のまま。じきに陽が落ちれば、もっと冷えた風が吹くだろう。それは、帰る場所のない自分を惨めに思っていたあの日々を、蘇えらせる。
「……先生、帰りなよ」
 くぐもった声に振り向きも返事もせず、頬杖をついた。
「──何してんの?」
 反応がないことに痺れを切らしたのか、近所のガキは顔を上げた。
「いや、疲れたから休憩中」
「……ふうん」
「お前は?」
「──俺は、」
 ず、と鼻を啜る音。
「……休憩中だよ」
「そうか」
 帰る場所があろうがなかろうが、『帰れない』と思っているのであれば、その気持ちはわかる気がする。
 だから、掛ける言葉もない。掛ける必要もない。どうしてそんなことを思うのだろうか、と考えた瞬間、一つの光景が頭をよぎった。すっかり忘れていた遠い日の記憶。──別に、思い出さなくても良かったとい
うのに。
「──帰るか」
 気づけば、『あいつ』と同じ台詞を口にしていた。
 のろのろと無言で立ち上がる子どもを視界の端に入
れながら、あのとき『あいつ』はどんな気持ちだった
のだろう、と考えて頭を振る。そんなこと、考えたっ
て意味がない。



「あ、お帰り」
 花が、かまどの火加減と格闘しながらこちらを振り向いた。その頬には黒い炭。思わず笑ってしまった。
「……何?」
「ん」
 袖で擦ってやれば、やや薄くなったものの、湯で落とさないと完全には落ちないだろう。
「子どもみたいだな、お前」
「……そんなことないよ」
 半目で口を尖らせる花の頬を摘む。いひゃいよ、と不満を漏らす花を眺めながら、いつも通りに見えるように笑ってみせる。
 けれども思い出してしまった昔のことが頭の隅でち
らつく。近所の子どもの寂しそうな背中が、自分もあ
んな風だったのだろうかと心がざわついて仕方ない。



 失敗すれば容赦なく叱るくせに、夕暮れに一人佇ん
でいると、いつの間にか静かに隣に立っていた。一度
もその顔を仰ぎ見ることはしなかったから、『あいつ』がどん
な表情をしていたのかはわからない。でも──。
『帰りますか』
 必ず、帰る気になった瞬間に一言。ただ、それだけ。
 逃げられたら困るから、居場所を把握していただけ。余計な情などないから、黙っていただけ。思いつくそれらは辻褄が合うし、いかにも『あいつ』らしい。
 なのにさっき繋げてしまった行動と、その中で起こった己の感情は、噛み合わないのだ。

「……どうかした?」
 不安げな花の声に意識が引き戻される。俺を覗き込む瞳が揺れていて、安心させるように目を細めてから抱き寄せる。
「──何でもない」
 そう、何でもないことだ。
 花の体温に、身体が冷えていたことに気がつく。そんな俺の背中を、遅れて宥めるように花が叩き出した。
 子ども扱いされたことに笑いながら、みじめだったあの頃の俺はもういないのだと、肩の力が抜けていく。
 『家族』という言葉で思い浮かぶのは母親だった。ずっと、その一人だけだった。そこに今、花が加わったけれど──。
「……何だったんだろうな」
 あいつとの関係に、名前でもつけていれば良かったのだろうか。そうすれば、今更面倒なことを考えずに済んだのか。
 ぽつりと零した言葉を聞き取れなかったのか、花が身じ
ろぐ。その頭を撫でながら「何でもないんだ」ともう一度呟いた。

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