猫の額
『あなたと一緒に』
#早安
この頃から早安は書きやすい&楽しいなと思っていました。
****************
窓といっても格子しかないこの世界では、屋内にいても外の音や風が容易に入り込んでくる。虫の鳴く声、どこか遠くで嘶く馬、人が地面を踏みしめる音、笑い声……。こうして静かに作業していると、ああ誰か来た、と人の気配は感じられるものだ。――ただ一人を除いては。
「ただいま」
「……あ、お帰り」
急に戸が開いたために、慌てて振り返る。そこには、薬草が入っているであろう籠を背負った早安が立っていた。一緒に暮らし始めてから少し経つが、彼が帰ってくる気配に気づけたことは一度もない。
「何か変わったことはあったか?」
「ううん。特にないよ」
荷を下ろしながら、ふと台所に目を向けて早安が顔を顰めた。
「――お前、俺がやるって言ったのに」
「えっと、そろそろご飯の用意しないとと思って……」
くつくつと煮える鍋を睨むように見ながら、早安が溜息を吐いた。
「手、濡らすなって言っただろ」
「そう、なんだけど……」
反射的に手を重ねて指先を隠してしまう。板の間に上がってきた彼が近づいて、そっと手を取られた。
「ほら、また酷くなってる」
修復と傷を繰り返し、皮が剥がれ赤く腫れあがっている指先を指摘され、俯いてしまう。
「これは出来るだけ濡らす頻度を減らすしかないんだよ」
「……ごめんなさい」
指の傷は、花自身が傷つけたものだった。最初は、少し痒い程度だったのだが、気が付いたら無意識に引っ掻くようになり――この有様である。初期から早安は薬を用意してくれていたが、痛痒い衝動には逆らえず、悪化する一方であった。
早安は溜息を一つついて立ち上がると、早安が調合した薬と、それから先ほど持って帰ってきた籠からも薬草を持ってきた。古布を割いて作った包帯も。
無言のまま薬を塗られると、染みて痛むが息を止めて堪える。その上から、いつもはしない薬草を生のままぺたりと貼られ――何だかその様が子どもの頃に「絆創膏だ」と言って遊んだ時のようで、くすりと笑ってしまった。
「? 痛くないのか」
「痛いけど、何か葉っぱが可愛かったから」
「葉っぱ……」
花の表現に呆気に取られた後、早安も軽く噴き出す。
「お前の方が面白い」
怒っていたような無表情が柔らかく変わって、約束を破ったことと、手間をかけて申し訳ないという罪悪感が薄れていく。
「ありがとう、早あ――」
もうこれで処置はお終いだろう、と手を引こうとすると、手首をしっかと掴まれた。
「まだ終わってない」
そう言うなり器用に花の指先を包帯でくるくると巻いてしまった。――四本の指ごと。
「……早安。これじゃ何にもできないんだけど」
「だからだよ」
にやりと笑われて、随分と近い距離で話していたのだと、急に意識してしまう。
「このくらいしとけば、無理もできないだろ」
「う、うん。そうだね……」
早安の笑う顔が好きだ。そう思っているのは本当なのだけれど。たまに見せる、こちらをひたと見据えるような笑みは――、とても、心臓に悪い。
目を逸らし気味に返事をすると、早安が肩を震わせ――声を出して笑った。
「今更――っ」
「だ、だってっ」
きっと早安にもわかるくらい顔が赤くなっているのだろう、と思うと何を言っても無駄な気がした。繋がれたままの右手に触れる早安の手はひんやりと心地よくて、熱いのは自分ばかりなのだと思うと余計に恥ずかしい。
「お前は、本当に面白い」
年相応の少年のように笑う彼に、羞恥心がじわりと形を変える。”今”を見てくれるようになった幸せそうな早安が、そこに居てくれる。
「――早安」
「うん?」
「ありがとう」
「いつでも治してやるよ」
未だ優しく触れられたままの手のことではなかったけれど。微笑んで頷いた。
2020.08.15 19:00:51
三国恋戦記
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この頃から早安は書きやすい&楽しいなと思っていました。
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窓といっても格子しかないこの世界では、屋内にいても外の音や風が容易に入り込んでくる。虫の鳴く声、どこか遠くで嘶く馬、人が地面を踏みしめる音、笑い声……。こうして静かに作業していると、ああ誰か来た、と人の気配は感じられるものだ。――ただ一人を除いては。
「ただいま」
「……あ、お帰り」
急に戸が開いたために、慌てて振り返る。そこには、薬草が入っているであろう籠を背負った早安が立っていた。一緒に暮らし始めてから少し経つが、彼が帰ってくる気配に気づけたことは一度もない。
「何か変わったことはあったか?」
「ううん。特にないよ」
荷を下ろしながら、ふと台所に目を向けて早安が顔を顰めた。
「――お前、俺がやるって言ったのに」
「えっと、そろそろご飯の用意しないとと思って……」
くつくつと煮える鍋を睨むように見ながら、早安が溜息を吐いた。
「手、濡らすなって言っただろ」
「そう、なんだけど……」
反射的に手を重ねて指先を隠してしまう。板の間に上がってきた彼が近づいて、そっと手を取られた。
「ほら、また酷くなってる」
修復と傷を繰り返し、皮が剥がれ赤く腫れあがっている指先を指摘され、俯いてしまう。
「これは出来るだけ濡らす頻度を減らすしかないんだよ」
「……ごめんなさい」
指の傷は、花自身が傷つけたものだった。最初は、少し痒い程度だったのだが、気が付いたら無意識に引っ掻くようになり――この有様である。初期から早安は薬を用意してくれていたが、痛痒い衝動には逆らえず、悪化する一方であった。
早安は溜息を一つついて立ち上がると、早安が調合した薬と、それから先ほど持って帰ってきた籠からも薬草を持ってきた。古布を割いて作った包帯も。
無言のまま薬を塗られると、染みて痛むが息を止めて堪える。その上から、いつもはしない薬草を生のままぺたりと貼られ――何だかその様が子どもの頃に「絆創膏だ」と言って遊んだ時のようで、くすりと笑ってしまった。
「? 痛くないのか」
「痛いけど、何か葉っぱが可愛かったから」
「葉っぱ……」
花の表現に呆気に取られた後、早安も軽く噴き出す。
「お前の方が面白い」
怒っていたような無表情が柔らかく変わって、約束を破ったことと、手間をかけて申し訳ないという罪悪感が薄れていく。
「ありがとう、早あ――」
もうこれで処置はお終いだろう、と手を引こうとすると、手首をしっかと掴まれた。
「まだ終わってない」
そう言うなり器用に花の指先を包帯でくるくると巻いてしまった。――四本の指ごと。
「……早安。これじゃ何にもできないんだけど」
「だからだよ」
にやりと笑われて、随分と近い距離で話していたのだと、急に意識してしまう。
「このくらいしとけば、無理もできないだろ」
「う、うん。そうだね……」
早安の笑う顔が好きだ。そう思っているのは本当なのだけれど。たまに見せる、こちらをひたと見据えるような笑みは――、とても、心臓に悪い。
目を逸らし気味に返事をすると、早安が肩を震わせ――声を出して笑った。
「今更――っ」
「だ、だってっ」
きっと早安にもわかるくらい顔が赤くなっているのだろう、と思うと何を言っても無駄な気がした。繋がれたままの右手に触れる早安の手はひんやりと心地よくて、熱いのは自分ばかりなのだと思うと余計に恥ずかしい。
「お前は、本当に面白い」
年相応の少年のように笑う彼に、羞恥心がじわりと形を変える。”今”を見てくれるようになった幸せそうな早安が、そこに居てくれる。
「――早安」
「うん?」
「ありがとう」
「いつでも治してやるよ」
未だ優しく触れられたままの手のことではなかったけれど。微笑んで頷いた。