猫の額








『夢幻の果て』 #仲花
webオンリー用に書きました。夏でしたので。




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 細い、高い笛の音。あと、太鼓。ざわざわと人が話し、歩く音。屋台で売り買いする声。
 目を開けると、真っ赤な鳥居があった。その向こうには眩しいほどの提灯や電灯が並び、写真や文字が各々の店の商品を宣伝をしている。甘い匂いはカステラだろうか。綿あめかもしれない。発電機特有の低い音があちこちから混ざって、祭りのお囃子の重低音を飾るかのように響いている。
「……お祭り?」
 見覚えのある場所だ。見渡せば、近所の神社の境内であることがわかった。よく知っている、はずなのに。何故だかとても懐かしい。
 人が往来するど真ん中に、私は突っ立っていた。どうしてここにいるんだろう。先ほどまで何をしていたのか、どうやってここまで来たのかも思い出せない。ふと何かを持っていることに気づき手元を見ると、巾着があった。と同時に浴衣の袖も目に入り、自分が浴衣を着ていることを知った。
 とりあえず、歩くことにした。が、草履を履いていたため思わずつんのめってしまう。
「あっぶねえな」
 誰かに腕を引かれ、前に倒れることは免れた。
「ぼうっとすんな」
「……仲、謀?」
 そこに居たのは、よく見知った人物だった。なのに、違和感がある。
 ――ああ、そうか。
「浴衣着てきたんだ」
「……お前が着てこいって言ったんだろうが」
 ふいっと背けた顔は、やや赤く色づいている。似合ってるよと声をかけると、うるせえと返された。そっか、いつもと違う服だから変な感じがしたんだ。段々と靄が晴れていくような心持ちで、仲謀に笑いかけた。
「私りんご飴が食べたいんだ」
「お前はいつも食い物のことばっかだな」
 自然と手を繋いで歩き出す。が、やはり草履のせいで歩きにくい。人も多く、まっすぐ歩くのも困難だ。やっとの思いで目当てのりんご飴が並ぶ店まで来ると、種類も大きさも豊富でどれにするか迷ってしまう。
「前は苺にしてたぞ」
「そうだっけ?」
 前っていつだろう。ぼんやり浮かんだ疑問。仲謀を仰ぎ見ると、「選べないからって二つも三つも食うと後で後悔するからな」と言われる。
「そんなこと考えてないよ」
「どうだか」
 意地悪そうに笑う仲謀を軽く叩いて、色が一番綺麗な赤いりんご飴を選んだ。
「仲謀は何か食べたいのある?」
「見てから考える」
 手を繋いで歩きながら、りんご飴を一口齧ってみる。途端、強烈な甘さにびっくりして、思わず足が止まってしまった。
「どうした」
「……何かこれ、すっごく甘い」
 甘すぎる。はあ? と言いながら仲謀が私の手にあるりんご飴を齧った。
「別に。普通だろ」
 甘党のくせに何言ってんだ、と言われ首を傾げる。普通? これが?
 再び歩き出すも、りんご飴をもう一度齧ろうという気にはなれなかった。こんな甘すぎるもの、食べたら戻れなくなってしまいそうな気がする。
「射的があるぞ」
 ぐいと手を引かれて転びそうになりながら、仲謀が進むままについていく。
「何か欲しいのあるか?」
「いや、特にはないけど――」
 子どもではないのだから、お祭りの景品には興味がない。男の子ってこういうの好きだなあ、と少し離れた場所から見守ることにした。手に持ったままのりんご飴は、齧った部分が茶色く浸食し始めており、綺麗だと思って買った赤い飴の部分も毒々しい色に見えてくる。
 ごみ箱があるのを見つけて、ごめんなさい、と心の中で断りながら捨てた。普段なら最後まで食べるけれど、今はどうしても食べる気にはなれなかった。
「あーくそっ」
 戻ると、弾を打ち終えた仲謀が悪態をついている。
「当たらなかったの?」
「当たったけど倒れなかったんだよ」
 次行こうぜ、とまた手を繋がれる。いつから、こんな風に仲謀と手を繋ぐのが当たり前になったんだろう。
「ねえ」
「あ?」
 会場の奥の方は、人もまばらで歩きやすい。
「お祭りって、前もここに来たんだっけ?」
「そりゃそうだろ」
 ここが一番近いんだから。そう言われて、殻が剥がれ落ちていくような奇妙な感覚を覚える。――近い?
「……仲謀の家って、どこだっけ」
「家? お前も来たことあるだろ」
 全然、思い出せない。思い出せないけれど、仲謀の部屋を訪れたことはある。その逆も。ふと、祭り囃子の笛の音が耳に届く。そうだ、私の部屋で舞いの練習をした。笛や、色んな楽器を演奏してもらって――。
 思わず、足が止まる。私の部屋って? 誰が私の部屋で演奏していたんだろう。
「どうした」
 わからない。さっきから、何かおかしい。
「おい、顔色悪いぞ」
 額に触れられた手は熱くて、仲謀が確かにそこにいる証のように思えた。心配して覗き込んでくる仲謀の瞳が、提灯と月明かりに照らされて青く見える。
「……帰るか?」
 帰る――。どこに?
 不安に駆られて、仲謀の手を握りしめた。
「い、っしょに?」
「お前一人で帰すわけないだろ」
 呆れたように、でも安心させるように手を握り返された。
「お前が帰りたきゃ帰るし、まだいたいなら、それでもいい」
 何故か、涙が零れた。何でこの人はこんなことを言うんだろう。『一人で帰さない』とは、私と一緒にいるということだ。私がここに残ると言ったら――。この人は大事なものを手放すというのだろうか。
「――決められないよ」
 全部放棄してしまいたい。決めて欲しい。私に捨てる決意をさせないで欲しい。
「ここにいるか」
 ――一緒に。
 付け加えられた言葉に首を大きく振った。決めて欲しいのに、結局私は自分で決めなければいけない。もう一度、この懐かしい場所に立ちながら、捨てなければいけない。――そうだった。私は仲謀と生きるために、この世界を捨てたんだ。
「仲謀、帰ろう」
 そんな辛そうな顔をしないで欲しい。私は、何度故郷を捨ててでも、仲謀が大事なものごと傍にいたい。
 

 


 ジーともリーとも聞こえる音が、遠くから聞こえる。もっと高い音もたまに混じる。――鈴虫だろうか。
 目を開けると、窓の隙間から漏れる柔らかい月明かりが床を照らしていた。ぼうっとそれを眺める。しばらくしてから重い体をひねると、寝ている仲謀が目に入った。
 さっきまで彼と話をしていた気がするのに、記憶を辿ってみても一緒に床に入った覚えがない。最近は忙しく、花が寝付いてからの帰宅が常になっていた。
 見えない不安に駆られて、寝ている仲謀の手をそっと握りしめる。
 ――――。
「…………おやすみ、仲謀」
 何か、違う言葉をかけたかったのに。今の自分はそれを持ち合わせていなくて、常套句を口にした。繋いだ手の温かさに安堵したのか、すぐに眠気が襲ってくる。瞼が重いのは眠いせいだと、自分の頬に残る涙の跡には気が付かないまま、再び深い眠りに落ちた。

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