猫の額








『雨とこれから』 #仲花
夫婦後のお話です。『雨と嘘』と対になっています。




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 ――本当にどうしたというのか。
少し前までは、こんな風ではなかったと思う。暖簾に腕押しというか、こちらが好意を示してもせいぜい顔を赤らめるぐらいの反応しかしないし、返ってくる言葉は素っ気ないものだったり。
 そもそも告白した時だって、はっきりと好きだと言われたわけではなく、やや強引であったことも自覚している。それがこの世界に花が残り、婚儀まで決まって。この辺りもまだ今ほどではなかった。
 ――今みたいに、花から触れてくることは。
 夫婦になって、数か月。きっかけというきっかけは思いつかない。いつの間にか、少しずつ花の方から手を伸ばして、触れてくるようになった。
 ――お前、最近変だぞ。
 いや駄目だ、これは悪手だ。まるで嫌みたいに聞こえる。
 ああでもないこうでもないと考えこんでいると、仲謀、と名前を呼ばれた。
「好きだよ」
 ぐっ、と息が詰まった。まただ。
 こうやって触れてきた時は、大抵はっきりと好きだと告げてくる。――ていうか予定も詰まってる日中に、と頭を抱えたくなった。
「…知ってる」
 違う。そうじゃねえ。
 積極的にこられると、逆に身動きが取れなくなる。少し手を伸ばせば触れられた以前の方が、容易だったのに。大きな溜息をついて、天を仰ぎ見る。
 ――降参だ。
「…お前な、そんなに俺を煽って楽しいか」
 まだ昼間だぞ、と言いながら花に抱きしめられている腕を少し解いて後ろを振り返る。が、背中にしがみつかれて顔が見えない。
「おい」
「だめ」
「あ?」
「今顔赤いから見ないで」
「…………」
 ――だから、何で昼間に。
 怒りと何かに耐えながら苦し紛れに言い捨てた。
「…夜覚えとけよ」
「………」
 花の腕にぐっと力が入った。
 ざまあみろ、と思っていたのに。不意打ちを食らったのはこっちだった。
「……うん。待ってる」
 ――最近のこいつには本当に適わない。
 息を吐きながら開け放たれたままの窓の外を見ると、雨足は和らいでいるようだった。遠くから、自分を探す声が聞こえてくる。もうそろそろ行かなければ。
「花」
 雨の中、背中合わせに触れていた日が昨日のようでもあり、もう何年も昔のようにも感じられる。あんな風に何にも縛られずに過ごせる日は二度と訪れることはないだろう。孫呉を背負う自分には抱える物が多い。一緒にいることで自動的に背負わせてしまう花の重荷を取り除いてあげることもできないから。せめて伝えなければと思う。
「好きだ」
 ――ああ、二人きりの日々が二度と来ないなんてことはないか。
 何年もこうして過ごして、世代が変われば。お前のことだけを考えられる時間が増える日がくるのだろう。だからそれまで――。
「傍に居ろ」
「――うん」
 答えの後に、くすくすと笑い声が続く。
「急に変なの」
「…お前にだけは言われたくねえんだよ!」
 探す声が更に近づいてきた。もう、時間だ。雨も止みそうだ。
「雨がね、降るたびに思い出すと思う」
 何がとは言わない。でも、顔は見えないまま背中から伝わる声音で十分だった。
「そうだな」
 こんな雨が降るたびに。きっと何度も何度も、思い出す。

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