猫の額








『痕』 #伯巴

夫婦の明け方前のお話




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「……痛そうですね」
 寝起きのぼんやりした自分の声。目を開いてすぐ、起きあがろうとする彼の背中に引っ掻き傷を見つけたものだから、頭で考えるより先に口にしていた。長いのと短いのと複数。どれも細い。治りかけのものもあれば、新しいものもある。私の声に顔だけ振り返った伯符さんが「起きたのか」と小さく笑った。
 彼の背中の小さな傷跡たちに、手を伸ばしそっと触れる。どうやったらこんな場所を怪我するのだろう。これか、と彼が呟いた。
「大したことない」
「どこかでひっかけたんですか?」
 外はまだ明るくなりきっていない。早く目が覚めてしまったものだと、質問をしながら頭の片隅でぼんやりと考える。
「なんだ、わかってないのか」
「え?」
 不思議そうに伯符さんの顔を見上げれば、彼はこちらに向き直り私を抱き寄せた。素肌と素肌が触れ合うと、温もりが直に、でも緩やかに伝わるのが心地良くて。そのまま目を閉じそうになる。
「俺が傷つけた分の代償だ」
「……嬉しそうですけど」
 彼がとても穏やかに言葉を紡ぐ。意味がわからない。
「そうだな」
 ぴたりとくっついた素肌の心地良さに加え、彼の大きな手が私の髪を優しく漉きだす。今度こそ瞼が下がり始めてしまった。
「まだ寝ていろ」
「……伯符さんは?」
 多分、彼が起きようとしたから目が覚めたのだ。目が覚めた時に彼が横にいるのは希だ。わかっていても寂しくて、訴えるように訊いてしまった。
「お前が望むなら、まだここにいる」
 なんてずるい。忙しい彼に、まだ一緒に寝て欲しいなど言えないことがわかっていて、そう言うのだ。ずるい。せめてもの抗議にと、彼の背中に手を伸ばした。
「……私が寝るまでいてください」
 わかった、と伯符さんの優しい声が落ちる。ついでに瞼ももう限界だった。
 少しでも、少しでも長く起きていたいというのに――。

三国恋戦記 魁 編集

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