猫の額
『恋とは厄介なもの』
#伯巴
片思いする巴ちゃんが可愛くて大好きで書いたことを覚えています。
****************
鏡というにはあまりにも頼りない、ほぼ石のようなそれをじいっと見つめる。
顔の角度を左右上下変えてみて、手櫛で髪型を整える。以前よりも念入りに身支度に時間をかけるようになった。恋をすると何とやら、は本当らしい。
本当に綺麗になっているかどうかわからないけれど。あの人に、少しでも可愛いと思ってもらいたい。
ふと浮かんだ彼の顔に鼓動が早まり、心なしか顔が熱くなる。話したわけでも、見かけたわけでもないというのに。恋心を自覚してからというもの、ずっとこんな調子なのだ。それが情けなく、でも面映い。
いつもより長く鏡面と睨めっこしているのは、今日がより特別な事情があるからだ。
戦についていくことになり、伯符さんから送られた衣が届いた。刺繍が施された桃色の生地は好みの色味で、これを彼が私にと選んだものだと思うと胸がいっぱいになり、一度深呼吸をしてから袖を通した。
特別な意味なんてない。だってこれは、戦場についていくと言ったから用意してもらえたもの。そう、何度自分に言い聞かせても、頬が緩んでしまう。
初めて会ったときに褒めてくれた制服も、名残惜しくて腰に巻いている。
短く息を吸い込んで気合を入れてから、部屋を出た。
「よく似合っているな」
執務室へ入室するなり開口一番にそう言われ、顔を赤らめ俯く。彼のことだから褒めてくれるだろうとは思っていたけれど、実際にそれを聞くと嬉しさが後から後から溢れてくる。
「……あの、ありがとうございます」
そっと顔をあげれば、満足そうに笑みを浮かべる彼と目が合い、『楽しませるために着飾れ』と言われたことを思い出す。今の私は、彼を楽しませることができているのだろうか。いつだったか、服を贈られるなど恋人のようで恥ずかしいと思ったこともあった。でも今は、こんなにも気分が高揚している。
「あと、これは――」
伯符さんが近づいてくる。そしてあっという間に詰められた近すぎる距離に、思わず一歩退きそうになってしまう。
戸惑っていると、彼の長くて綺麗な指先が顔に――。
「っ!」
触れるかと思ったら、その手は左耳上に。何やらガサゴソと音がして、髪と地肌の間に何かが差し込まれる。近すぎる距離と、何やら髪をいじられている現実に半ばパニックを起こしそうになるが、息を止めて耐える。
彼がそうしていたのは、時間にしてほんの数秒ほど。用を終えたのか、伯符さんの手が離れていくのを名残惜しく感じる。
身じろぎすると、左耳上の何かが、しゃらりと音を立てた。自然と気分が高揚する。――髪飾りだろうか。
「……ふっ」
急に目を細めて笑った彼の顔に、心臓が止まりそうになった。
「こっちは、お前のお守りの礼だ」
そう言って彼は懐を指す。そこに先日渡したお守りを持ち歩いてくれているのだと、胸が熱くなった。
「ささやかなもんだがな」
「いえ、いいえ!」
ぶんぶんと首を振れば、左耳上に挿してもらった髪飾りが揺れる。
「……嬉しい、です」
そっと、髪飾りに触れる。この溢れ出る嬉しさを噛み締めるように、言葉を紡いだ。
「大事に、します」
「……」
満ち溢れる幸福感に息を吐く。これを超える嬉しいことなんて、ないのではないだろうか――。
ふと、静まり返った場に気がつき、視線をあげる。すると、伯符さんは口元を抑え明後日の方を見ていた。
「……?」
首を傾げたくなりながらも同じ方を見るが、特にこれといって何もない。
「ああ、いや……」
こちらに気づいた彼は咳払いをしつつ、気まずそうに声を零す。
「気に入ったのなら、良かった」
「……はい」
何だったのだろうと思いつつ、そろそろお暇しなければ仕事の邪魔だろうと立ち去る旨を伝え、踵を返す。
「――巴」
「はい?」
呼び止められ振り返れば、しゃらりと耳飾りの音が鳴る。ふと、これを直接彼がつけてくれたことを想い、頬がまた火照る。
今の私は、足の先から頭まで。
おそらく、彼が気にいるもので満たされている。
「……いや、何でもない」
横を向き前髪を掻き上げる彼の横顔は、いつもとは違い戸惑いの表情が色濃く心配になる。
けれど。
私はそこに踏み込んでいいのかが、わからない。
「……失礼します」
扉を締めて、息を吐き切るようにため息を零す。
こんなに満たされているのに。いつもどこか苦しい。
2021.06.28 09:33:57
三国恋戦記 魁
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片思いする巴ちゃんが可愛くて大好きで書いたことを覚えています。
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鏡というにはあまりにも頼りない、ほぼ石のようなそれをじいっと見つめる。
顔の角度を左右上下変えてみて、手櫛で髪型を整える。以前よりも念入りに身支度に時間をかけるようになった。恋をすると何とやら、は本当らしい。
本当に綺麗になっているかどうかわからないけれど。あの人に、少しでも可愛いと思ってもらいたい。
ふと浮かんだ彼の顔に鼓動が早まり、心なしか顔が熱くなる。話したわけでも、見かけたわけでもないというのに。恋心を自覚してからというもの、ずっとこんな調子なのだ。それが情けなく、でも面映い。
いつもより長く鏡面と睨めっこしているのは、今日がより特別な事情があるからだ。
戦についていくことになり、伯符さんから送られた衣が届いた。刺繍が施された桃色の生地は好みの色味で、これを彼が私にと選んだものだと思うと胸がいっぱいになり、一度深呼吸をしてから袖を通した。
特別な意味なんてない。だってこれは、戦場についていくと言ったから用意してもらえたもの。そう、何度自分に言い聞かせても、頬が緩んでしまう。
初めて会ったときに褒めてくれた制服も、名残惜しくて腰に巻いている。
短く息を吸い込んで気合を入れてから、部屋を出た。
「よく似合っているな」
執務室へ入室するなり開口一番にそう言われ、顔を赤らめ俯く。彼のことだから褒めてくれるだろうとは思っていたけれど、実際にそれを聞くと嬉しさが後から後から溢れてくる。
「……あの、ありがとうございます」
そっと顔をあげれば、満足そうに笑みを浮かべる彼と目が合い、『楽しませるために着飾れ』と言われたことを思い出す。今の私は、彼を楽しませることができているのだろうか。いつだったか、服を贈られるなど恋人のようで恥ずかしいと思ったこともあった。でも今は、こんなにも気分が高揚している。
「あと、これは――」
伯符さんが近づいてくる。そしてあっという間に詰められた近すぎる距離に、思わず一歩退きそうになってしまう。
戸惑っていると、彼の長くて綺麗な指先が顔に――。
「っ!」
触れるかと思ったら、その手は左耳上に。何やらガサゴソと音がして、髪と地肌の間に何かが差し込まれる。近すぎる距離と、何やら髪をいじられている現実に半ばパニックを起こしそうになるが、息を止めて耐える。
彼がそうしていたのは、時間にしてほんの数秒ほど。用を終えたのか、伯符さんの手が離れていくのを名残惜しく感じる。
身じろぎすると、左耳上の何かが、しゃらりと音を立てた。自然と気分が高揚する。――髪飾りだろうか。
「……ふっ」
急に目を細めて笑った彼の顔に、心臓が止まりそうになった。
「こっちは、お前のお守りの礼だ」
そう言って彼は懐を指す。そこに先日渡したお守りを持ち歩いてくれているのだと、胸が熱くなった。
「ささやかなもんだがな」
「いえ、いいえ!」
ぶんぶんと首を振れば、左耳上に挿してもらった髪飾りが揺れる。
「……嬉しい、です」
そっと、髪飾りに触れる。この溢れ出る嬉しさを噛み締めるように、言葉を紡いだ。
「大事に、します」
「……」
満ち溢れる幸福感に息を吐く。これを超える嬉しいことなんて、ないのではないだろうか――。
ふと、静まり返った場に気がつき、視線をあげる。すると、伯符さんは口元を抑え明後日の方を見ていた。
「……?」
首を傾げたくなりながらも同じ方を見るが、特にこれといって何もない。
「ああ、いや……」
こちらに気づいた彼は咳払いをしつつ、気まずそうに声を零す。
「気に入ったのなら、良かった」
「……はい」
何だったのだろうと思いつつ、そろそろお暇しなければ仕事の邪魔だろうと立ち去る旨を伝え、踵を返す。
「――巴」
「はい?」
呼び止められ振り返れば、しゃらりと耳飾りの音が鳴る。ふと、これを直接彼がつけてくれたことを想い、頬がまた火照る。
今の私は、足の先から頭まで。
おそらく、彼が気にいるもので満たされている。
「……いや、何でもない」
横を向き前髪を掻き上げる彼の横顔は、いつもとは違い戸惑いの表情が色濃く心配になる。
けれど。
私はそこに踏み込んでいいのかが、わからない。
「……失礼します」
扉を締めて、息を吐き切るようにため息を零す。
こんなに満たされているのに。いつもどこか苦しい。