猫の額








『いつもの春の終わりに』 #仲花
#三国恋戦記・今日は何の日 『いい夫婦の日』

仲花夫婦後のお話です。




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 ふわりと香った花の匂いと、柔らかな風。また好きな季節が巡ってきたことを実感して、ゆるりと微笑んだ。 
 手元に視線を落とせば、琥珀色の液体が揺れる盃に映った月があまりにも綺麗で。ねえ見て、と隣の彼に声をかけようとして、ふと違和感を覚えた。
 いつも通り、自室で二人きりで興じる月見酒。頬杖をつきながら夜空の月を見上げる彼の仕草に特に変わりはない。
 また、風が吹いた。今度は少し強めのそれに、満開の桜に似た木々の花びらが舞い散り、仲謀の髪を揺らしたところではっとする。

「……髪、伸びた?」

 盃を持たない方の手を伸ばし、彼の耳の後ろの金糸を掬い取り――怒られた。

「おっ、前なあ! こぼれるだろうが!」
「……別にくすぐろうと思ったわけじゃなくて」

 その柔らかな髪に触れたかっただけなのに、と釈然としない気持ちを抱えながら謝る。仲謀のぼやきは聞き流しながら、首元を庇うように覆った手の下に、思いを馳せる。

「……もしかして、伸ばしてるの?」
「……」

 図星らしい。いくら首が弱かろうと、隠したままなのは明らかに変だった。

「何で? 珍しいね」

 出会ったときからずっと、仲謀の髪は短かった。
 ――あのときは王子みたいなんて思ったりしたっけ。
 瞬時に浮かんだあれこれに、懐かしいなと目尻が下がった。昔のことを思い出すと、夫婦になったことが心底不思議であると同時に、なるべくしてなったのだろうとも感じる。それぐらい、こうして横にいることが当たり前になってしまった。

「……別に」

 こちらを見ることなく、仲謀もまた盃を傾ける。

「もういいかな、と思っただけだよ」

 何が『もういい』のか。短くない付き合いの中の、彼の言葉や周囲の声が浮かんでは消え――。ある一つの予測に辿り着く。けれど、それはお酒とともに流し込んでしまった。

「そっか」

 風と共に、月明かりに照らされた花びらが舞い散る。一緒にふわりと揺れた金糸を、心から綺麗だと思った。

「どっちも好きだよ」

 髪が長くても、短くても。
 そこにどんな心境の変化があって、その理由が気にならないわけではないけれど。何もかも伝えればいいとも思わなくなった。
 今、こうして隣にいることの意味の大きさを教えてくれたのは、他でもない仲謀だから。
 私の言葉を受けて、光の加減で青く見える仲謀の瞳が私を捉える。ああこの色も好きなのだと、思わず口元が緩んでしまった。
 仲謀が、何かを言おうとして口を開いて、閉じて。そして息を吐くように笑って、私の長い髪を一房手に取った。

「まあ、俺も。どっちも好きだな」
「……うん」

 好きと言って返されたくすぐったさを、彼にもたれかかることで誤魔化す。春の風は暖かくとも身体は冷えていたらしい。当然のように抱えられた頭と身体から伝わる体温の心地良さに、そのままゆっくりと目を閉じた。

三国恋戦記 編集

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