猫の額








『かんたんなこと』 #仲花
「三国恋戦記深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」に参加で書きました(実際には1時間半)。
お題は「甘える/甘やかす」。
夫婦後のお話です。お題両方の意味をこめて全力で甘々に振り切りました(個人的に)。




****************




「正直、"甘える"とか不得意分野だよね」

 ずばりと断言されて、お茶が変なところに入ってむせてしまう。

「だよねえ」
「まあ、花ちゃんにだけ言っても仕方ないんだけどさ」
「似たもの大婦だからねえ」

 咳き込む私を気にも留めず、ため息をつく二人を涙目で見遣る。

「な、そんなこと、ないですよっ」
「え、じゃあ出来るの?」

 全く期待していない双眸二つに見られて、ぐっと息が詰まった。

「……で、出来ないかどうかはやってみないと」
「やったことないんだよね」
「知ってたけどね」
「……」

 長関な午後の昼下がり、おいしいお茶にお菓子。友人との楽しい語らいの時だ──のはずが、今日は少し勝手が違っていた。それもこれも、夫である仲謀のせいだった。




 婚儀をあげ晴れて夫婦になってから数週間。元々忙しい人ではあったけれど、近頃は以前とは比べものにならない状態になっていた。なんやかやと開かれていた宴もめっきり減った。荊州のことを含め、次から次
へと難題が絶えないらしいと聞いている。
 問題は、多忙を極めるがゆえに、仲謀の機嫌が悪いということだった。

「だ、大体、仲謀の機嫌が悪いのと、私に何の関係が」
「ないと思うの?」
「仲謀かわいそー」
「……私のせいで機嫌が悪いわけじゃないんですけど」

 忙しさをどうすることもできない。
 気晴らしである宴を開く暇すらない。
 そこで自羽の矢が立ったのが私だった。
『甘えられると殿方は喜ぶものですよ』『いや奥方様が一言声をかけてくだされば』『夫婦ですもの。夫を労うのも妻の役日』とか何とか、会う人会う人に遠まわしに『仲謀を何とかしろ』と言われ辟易していた。 
 大喬さんと小喬さんならわかってくれるだろう、と愚痴をこぼしたところ、カウンターを食らってしまった。
「そりゃ花ちゃんのせいじゃないよ? でも仲謀のご機嫌をとれるのは花ちゃんだけなんだってば」
「どれだけ愛されてるのか自覚がないからなあ」
「「かわいそー」」
 ――だからそれと私が仲謀に甘えることに、何の関係があるのだろうか。



 結局、楽しみにしていたお茶会をどんよりとした気持ちで終えることになった。嘘かに仲謀が疲れているのも苛ついているのも、何とかしてあげられたらとは思うけれど。

「……甘える、かあ」

 昼間二人に言われた通り、やったこともなければ、何をすればいいのか検討もつかない。不得意、と言われた言葉がぐざりと刺さったままだ。
 ふと、隣の部屋から声が漏れ聞こえ、戸が開いた。

「あれ、仲謀」

 まだ夕餉の時間ですらない。こんな時間に自室に訪れることが稀で、目を瞬かせる。

「何か忘れ物?」
「少し休む」

 短くそれだけを答えて、長椅子にさっさと座ってしまった。何かを考え込んでいるようで、目線は遠く険しい。……こういう時、部屋が同じだとどうしたらいいのか迷う。一人で考えたいからここに来たのではな
いか。邪魔ではないだろうか。
 居心地の悪さを感じながら、おずおずと声をかけた。

「……。お茶、飲む?」
「いい」

 即答だった。そんな言い方しなくても……。
 昼間のこともあり、ここ最近の不満がもくもくと形を成していく。
 大体、私には『抱え込むな』と言ったこともあるくせに、と腹が立ってきた。自分だって私には何も言おうとしてくれないのに──。
 短く息を吸い、立ちあがる。そのままの勢いで、仲謀の横に腰かけた。彼が不思議そうにこちらを見たところで、睨み上げるように視線を合わせる。

「ねえ、私に甘えてほしいと思う?」
「……はあ?」

 わからなければ、聞くしかない。急な話に、仲謀は呆れたような声を出した。

「そもそも、甘えるって何、どうやったらいいの?」
「な、何だよ急に。すげえ顧怖いぞお前」
「真剣に悩んでるの!」

 思わず声を荒げると、仲謀が目を丸くして驚く。そして、ため息をついた。

「……何でそんな話に」
「仲謀が疲れてるみたいだから、みんなから甘えて癒してやったらどうとか言われて――」
「……」

 私だって、出来るものならしてあげたいと思う。でも、私が甘えることが、何の意味があるのだろうという思いが消えない。
 だって、問題とは関係のないことで、ただ誤魔化しているようにしか思えないのだ。それは仲謀にとって
失礼なんじゃないのか。

「……で、お前は納得してないんだろ」

 心の内を読まれたような言葉に、驚いて顔を上げる。
途端、額に痛みが走った。

「いったああ」
「俺だって、そんなんで甘えられたって嬉しくねーんだよ

 仲謀の指で弾かれた額を抑え、彼を仰ぎ見る。

「⋯⋯⋯そうなの?」
「お前が甘えたいからじゃないと、意味ないだろうが」
「……」

 呆れたように、でも声音はすごく優しくて。胸が痛くなって、息が詰まる。
 どうして、この人は。
 肝心な時には必ず、欲しい言葉をくれるのだろう。

「……ていうか、悪かったな。俺がしっかりしてないからそんな―」
「ねえ」
「あ?」
「甘えてもいい?」
「だから――」
「私が、したいの」

 するりと、自然に言葉が出た。仲謀の目が大きく見開かれて、泳いで、そして逸らされた。

「……そういうのは、訊かないでやれよ」

 そう言いながら片手で顔を覆ったけれど、赤い耳が丸見えで。思わず口元が緩んだ。
 どうしたらいいかわからないなんて、今となってみれば馬鹿馬鹿しいとさえ思うほど、ごく当たり前に身体が動いた。
 隣に寄り添うように座りなおして、仲謀の肩に頭を預ける。くっついた場所からじわりと体温が伝わって、色んなものがゆっくり解けていくようだった。

「なんか、落ち若く」
「……そうかよ」

 そっけないのに照れているのがよくわかる返事に、くすりと笑いが零れた。ああ、こんな風に笑ったのはいつぶりだろう。ただ隣にいて少し触れるだけでこんな気持ちになれるなら、早くそうすれば良かった。
 思ったよりも、仲謀の不機嫌さに参っていたのは私だったのかもしれないと、今更そんなことに気が付く。
 大好きな人が苦しそうなのは、私も辛い。何もできないもどかしさで、身動きがとれなくなっていたのだと、今ならわかる。

「ふふ。私が元気になっても仕方ないね」
「……じゃあ」

 突如、言葉とともに腕を引かれる。気が付いたら、正面から抱きしめられていた。

「俺も甘えさせろ」

 耳元で、いつもより低い仲謀の声が響く。
 背中に回された仲謀の腕が熱くて、頬に触れる柔らかい髪がくすぐったくて。絶対に聞こえているであろう心臓の音を誤魔化したくて、とりあえず言葉を紡いだ。

「……甘えられるのって恥ずかしいね」
「知るか」

 一際強く抱きしめられて、肩口に顔を埋められた。
 あまりにも心臓が早く鳴りすぎているせいなのか、指先まで痛い。

「……元気、出そう?」
「ん」

 短い、短いその言葉に胸をかき乱されながら、そっと仲謀の背中に手を回した。
 今こうして触れているだけで満たされることがわかるから。仲謀が同じように感じていてくれることが嬉しくて、胸がいっぱいでどうしようもなくて、ただ静かに息を吐いた。


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