猫の額








#エース
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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「俺、コーヒーを淹れながら笑う子って初めて見たな」

 背後からいきなり声を掛けられて、危うく手がお湯にかかりそうになってしまった。
 後ろから覗き込む彼に聞かせるために、わざと大きく溜息をつく。

「……ノックぐらいしたらどうなの?」
「いやー、盛大に迷っちゃってさ。やっと目的地に辿り着けて、嬉しくてノックも忘れちゃったんだ。ごめんな?」

 ――じゃあ気配を消して入って来るな。

 しかし、どうせ言っても意味がないと、再び溜息をついた。
 振り返れば、予想通り愛想の良さそうな笑顔を浮かべたエースがいた。けれど、その目の奥は笑っていない。いつものことだけれど、この威圧する類の表情は、未だに落ち着かない。
 せっかく良い感じにコーヒーが淹れられそうだったのに。最近は立ち上る香りと、蒸される状態で何となく出来が想像できるようになっていた。

「あっそう。お疲れ様」
「うん、ただいま」
「……」

 ていうか、近い。
 小さなキッチンだ。コーヒーを淹れる手元を覗きこんでいるせいもあるのだが、この男の距離感はおかしい。半歩身体を離しつつ、コーヒー豆が蒸されていく様子を眺める。

「生憎、ユリウスは今いないわよ。出かけてるの」
「知ってるよ」
「は?」

 だって、ユリウスに会いに来たんでしょ? そう思ったものの、一つしかない部屋に彼はいないのだ。訪れた時点でいないことがわかっても不思議ではないかもしれない。でも、さっきの言葉は、それとは違う気がした。
 エースは、もう興味が他に移ったのか、片付いた作業台を眺めている。彼の分も淹れてあげるべきなのかしら。ここにあるのは私一人分だ。
 あまり淹れたくはないが、そのまま放置というのも居心地が悪い。

「あなたも、コーヒー飲む?」
「いや、いいよ。ありがとう」

 その返事に少しほっとしながらも、別に安心するほどのことでもないと引っかかる。面倒くさいわけでもない。お湯だって沸いているし、彼が欲しがれば簡単に淹れられるほど手慣れたのに。湯を注ぎ終え、コンロにヤカンを置いたところで視線を感じた。

「……何?」

 エースが私を見て微笑んでいる。

「いや、難しそうな顔してるなーと思って」
「別に……」
「そういう顔、ユリウスに似てるよ」
「!」

 かっと顔に血が上ったのが自分でもわかった。

「似てないわよ!」
「そうかな。瓜二つだけど」

 今度鏡で見てみたら? と馬鹿にされてるとしか思えないことを言われる。

「ユリウスと仲良くしてるみたいで良かった。安心したぜ」
「…………」

 してない、と否定するのもおかしいが、エースが言うことをそのまま認めるのも腹立たしい。

「ユリウスのこと、好きなんだろ?」

 何と言い返してやろうかと考えていると、エースがとんでもないことを言った。

「っえ、」
「俺もユリウスのこと好きだからさ。同居しているのが君みたいないい子で良かったよ」

 ――そういう、好きか。ただの、好意。

「……ええ、好きよ。口は悪いけど良い人よね。ユリウスって」
「そうそう。誤解されやすいんだけどな」

 ユリウスという共通の話題に、いつの間にか強張っていた身体から、少し力が抜ける。

「こう、眉間に皺寄せて仕事している姿を見てるとさあ。思わず助けたくなっちゃうんだよな」
「確かに」

 眼鏡をかけて、時計の修理をする彼の姿を思い浮かべれば、頬が緩んだ。

「何か手伝おうか? って訊いても『そこで座ってろ』って断るんだけどさ。何回かやってると、根負けして手伝わせてくれるんだよな」
「ふふ、そうね」

 ユリウスの声真似に加えて、目尻を引っ張り顔つきを険しくさせるエースに笑う。ふとした瞬間、この人は『友人らしさ』を垣間見せる。違和感なく、純粋に、ユリウスの友達なのだと思わせる。

「なんだかんだ、押しに弱いんだよな、あいつ」
「本当に」
「コーヒーだって、いつの間にか君に淹れ方を教えてるし」
「そうね」

 エースが腕を組み、キッチンにもたれかかる。

「そして君は、ユリウス以外にはコーヒーを淹れてやりたくないぐらい、好きなんだよな~」
「そうそ……」

 …………。

「って、待って! 今のは違うの! 違うっていうか、その――」
「ユリウスも、君のことが好きだって言ってたぜ」

 一瞬、エースが何を言ったのかわからなかった。――好き? 好きって、言った?
 回らない頭。ただ視界に入っているだけのエースの顔が、再び微笑んだことだけ理解する。

「困る?」
「………………」

 困るに決まっている。恋愛ごとなんて。居候の身だし。
 なのに、答えることができない。

「――困る、ってことでいいのかな」

 ただ押し黙ることしかできない私に、エースはにっこりと笑う。

「嘘、だよ。君のことが好きだ、なんて言ってない。良かったな」

 嘘。
 嘘、か。
 どこかほっとしながら、『困る』と答えなくて良かったと、そんなことを頭の隅で思う。

「これからも、ユリウスに好かれないといいな」

 反射的に漏れた「そうね」は、自分でも虚しくなるほど弱々しかった。嘘。嘘なんだ。だから安心すればいい。なのに――。
 コーヒーを淹れ終わっていたマグカップを手に取り、口に含む。
 何も味がしなかった。






10 嘘を知らせないで 夢心地でいたかった

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