猫の額
#ユリウス
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録
****************
「……私、何か失敗した?」
そう訊くと、ユリウスは驚いたように目を見開いた。眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れる。
「何故だ?」
「だって、さっきから、何か……」
何か、不機嫌だ。
いつも愛想がいい人ではない。特に仕事中は眉間に皺を寄せて作業するため、怒っているようにすら見える。
それでも、息抜きのために持っていくコーヒーを飲むときだけは、ほんの少し、その表情が緩むのに。
だから、コーヒーを淹れた。休んで欲しくて。なのに、コーヒーを飲んでも何も言わないどころか、顔は強張ったまま。疑問に思うのは当然ながら、こちらが不機嫌になってしまう。
「不味そうに飲んでるわ」
「そんなこと――!」
「ない?」
「ああ。ない」
きっぱりと断言されて、コーヒーが不味いわけではないんだと胸を撫でおろすも、違和感は消えない。
「じゃあ、私仕事で何か間違えた?」
「そうではない。お前はよくやってくれている」
「じゃあ、」
「だから、お前のせいじゃなくて……」
そこまで言って、ユリウスは溜息をつく。まだコーヒーが半分以上入ったカップを、作業台にことん、と置いた。
冷めてしまうわ。
おいしい、と言葉には出さなくても、ユリウスが私のコーヒーを喜んで飲んでくれるのは態度からわかるし、彼は意外とわかりやすい人だということも知っている。その様子を思い浮かべて、丁寧にコーヒーを淹れる。今まで、飲み物にこんなに神経を使うことも、誰かを想いながら淹れることなんてなかった。だから、コーヒーを淹れるという行為は、私の中でいつしか特別になっていた。
「……別にお前のせいではないんだ」
「じゃあ、何でそんなに機嫌が悪いの?」
「悪くない」
「悪いわよ」
「……少し、疲れただけだ」
そう言う彼の横顔は、本当に疲れて見えた。イライラしていた気持ちが、心配に切り替わる。
「休んだ方がいいんじゃないの?」
「大丈夫だ」
そう言いながらも、目頭を押さえる表情は暗いまま。どう見ても辛そうなのに、大丈夫だなんて言われると、突き放されたように感じてしまう。
心配がまた、不満に変わる。自分を大事にしないユリウスにも、彼の行動に口を出せるような仲でもないという現状にも――。
理不尽な怒りを自覚して目線を逸らせば、存在を忘れられたままのコーヒーが目に入った。
「……じゃあ、好きにしたら?」
最悪だ。こんな態度をとれば、ユリウスが更に気を揉むかもしれないのに。
コーヒーも心配も、私がやりたくて勝手にしていることだ。なのに見返りを期待するなんて。自分が幼くて嫌になってしまう。けれど、彼に謝る言葉が出てこなくて、苦い気持ちのまま踵を返したときだった。
足が、床から浮いた。悲鳴をあげる間もなく、身体が後ろへと傾く。
ユリウスに腕を引かれ、抱き留められていたことに気がついたのは、彼の腕の中に納まった後だった。
「すまない。……お前の、せいじゃないんだ」
間近で響く、ユリウスの声。謝らなきゃいけないのは私の方なのに。
「その、エースが……。くだらないことを言っていて、それで」
「あ、ああ。エースね。いつもいつも、本当に困るわよね」
鎖骨辺りにかかる、ユリウスの腕が思った以上に大きくて、早口で中身のない話題を並べ立てる。ほのかに香るコーヒーの匂いに気が付いて、どくりと心臓が大きく鳴った。
混乱しているせいだろうか。
エースがどうとか言っていたけれど、それとこの今の体制は、何か関係があるのだろうか。後ろから抱きかかえられて、じわじわと熱が上がっていく。彼は何も言わない。私も、何も言えない。
背中からわずかに響くのは、乱れのない時計の音。でも、ユリウスの吐息はわずかにそれとずれていることに気が付いて、また心臓が大きく音を立てる。
――駄目。
目をつむって、息を潜める。この、心臓の音が聞かれてはならない。また、何事もなく、コーヒーを淹れて、たまに彼の仕事を手伝って。そんな日常を続けたければ。
この乱れた音を聞かれるわけにはいかない。
09 他の人が君を好きだと言っていた
2024.04.27 21:00:00
ハートの国のアリスシリーズ
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「……私、何か失敗した?」
そう訊くと、ユリウスは驚いたように目を見開いた。眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れる。
「何故だ?」
「だって、さっきから、何か……」
何か、不機嫌だ。
いつも愛想がいい人ではない。特に仕事中は眉間に皺を寄せて作業するため、怒っているようにすら見える。
それでも、息抜きのために持っていくコーヒーを飲むときだけは、ほんの少し、その表情が緩むのに。
だから、コーヒーを淹れた。休んで欲しくて。なのに、コーヒーを飲んでも何も言わないどころか、顔は強張ったまま。疑問に思うのは当然ながら、こちらが不機嫌になってしまう。
「不味そうに飲んでるわ」
「そんなこと――!」
「ない?」
「ああ。ない」
きっぱりと断言されて、コーヒーが不味いわけではないんだと胸を撫でおろすも、違和感は消えない。
「じゃあ、私仕事で何か間違えた?」
「そうではない。お前はよくやってくれている」
「じゃあ、」
「だから、お前のせいじゃなくて……」
そこまで言って、ユリウスは溜息をつく。まだコーヒーが半分以上入ったカップを、作業台にことん、と置いた。
冷めてしまうわ。
おいしい、と言葉には出さなくても、ユリウスが私のコーヒーを喜んで飲んでくれるのは態度からわかるし、彼は意外とわかりやすい人だということも知っている。その様子を思い浮かべて、丁寧にコーヒーを淹れる。今まで、飲み物にこんなに神経を使うことも、誰かを想いながら淹れることなんてなかった。だから、コーヒーを淹れるという行為は、私の中でいつしか特別になっていた。
「……別にお前のせいではないんだ」
「じゃあ、何でそんなに機嫌が悪いの?」
「悪くない」
「悪いわよ」
「……少し、疲れただけだ」
そう言う彼の横顔は、本当に疲れて見えた。イライラしていた気持ちが、心配に切り替わる。
「休んだ方がいいんじゃないの?」
「大丈夫だ」
そう言いながらも、目頭を押さえる表情は暗いまま。どう見ても辛そうなのに、大丈夫だなんて言われると、突き放されたように感じてしまう。
心配がまた、不満に変わる。自分を大事にしないユリウスにも、彼の行動に口を出せるような仲でもないという現状にも――。
理不尽な怒りを自覚して目線を逸らせば、存在を忘れられたままのコーヒーが目に入った。
「……じゃあ、好きにしたら?」
最悪だ。こんな態度をとれば、ユリウスが更に気を揉むかもしれないのに。
コーヒーも心配も、私がやりたくて勝手にしていることだ。なのに見返りを期待するなんて。自分が幼くて嫌になってしまう。けれど、彼に謝る言葉が出てこなくて、苦い気持ちのまま踵を返したときだった。
足が、床から浮いた。悲鳴をあげる間もなく、身体が後ろへと傾く。
ユリウスに腕を引かれ、抱き留められていたことに気がついたのは、彼の腕の中に納まった後だった。
「すまない。……お前の、せいじゃないんだ」
間近で響く、ユリウスの声。謝らなきゃいけないのは私の方なのに。
「その、エースが……。くだらないことを言っていて、それで」
「あ、ああ。エースね。いつもいつも、本当に困るわよね」
鎖骨辺りにかかる、ユリウスの腕が思った以上に大きくて、早口で中身のない話題を並べ立てる。ほのかに香るコーヒーの匂いに気が付いて、どくりと心臓が大きく鳴った。
混乱しているせいだろうか。
エースがどうとか言っていたけれど、それとこの今の体制は、何か関係があるのだろうか。後ろから抱きかかえられて、じわじわと熱が上がっていく。彼は何も言わない。私も、何も言えない。
背中からわずかに響くのは、乱れのない時計の音。でも、ユリウスの吐息はわずかにそれとずれていることに気が付いて、また心臓が大きく音を立てる。
――駄目。
目をつむって、息を潜める。この、心臓の音が聞かれてはならない。また、何事もなく、コーヒーを淹れて、たまに彼の仕事を手伝って。そんな日常を続けたければ。
この乱れた音を聞かれるわけにはいかない。
09 他の人が君を好きだと言っていた