猫の額
#ペーター
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録
****************
透き通った空には、まるで絵画のように、均整のとれた雲。
多すぎず、少なすぎず。
その空の下には、更に完璧な薔薇の庭園。鑑賞する者への配慮なのか、あるいはただの飾りなのか。自分以外に利用しているところを見たことのない、見事な装飾のベンチに、私は一人腰掛けていた。
暑くもなく、寒くもなく、至って過ごしやすい気候。
風という風はないのに、雲はゆっくりと流れていく。
まるで、姉と過ごした日曜日の午後を彷彿とさせる。時々、そんなことを思う。
『アリス』
誰かに呼ばれた気がして、辺りを見回す。そして、自嘲するように息を漏らした。
『誰か』なんて。
今私が今思い浮かべたのは、たった一人ではないか。そう。穏やかに、私の名前を呼ぶ――ここにいるはずのない、姉のこと。
「アリス!」
物思いに耽る静寂を破った声は、今度は幻聴ではない。それにうんざりしながらも、同時に鼓動が少し早まる。
声がした方を振り向けば、切羽詰まった様子で白兎が向かってくるところだった。
「アリス!」
「……聞こえているわ」
「アリス‼」
アリスアリス、と名前を連呼しながら走った勢いのまま抱きつかれる。がたっとベンチが倒れそうなほど傾くものだから、頬を引きつらせながら思わず彼の腕にしがみついた。
「ちょっ――」
「……アリス」
文句の一つでも言ってやろうと口を開いた途端、顔の見えぬ彼から漏れる弱々しい声。ペーターはいつも自意識過剰なストーカーのようなことばかりを言うけれど、たまにこんな、何ともいえない声を出すことがある。悲しい? 寂しい? 当てはまる言葉は出てこない。――そして、私はこの声に弱い。
「どうしたのよ……」
疲れ切った様子を装って、彼の頭を撫でてやる。仕方なく。そういった体で。でないと、駄目な気がした。
彼の髪は、兎の毛のように柔らかく、まっすぐで滑らかだ。小さく光をはじく銀糸を見つめながら、小さく溜息をついた。頬に触れる長い耳はくすぐったいけれど、引き剥がす気にもなれない。
「……あなたが、消えてしまいそうで」
そう言って顔を上げたペーターの赤い目は、今にも泣きそうに潤んでいる。
――私、いつかは帰るのよ。
常なら何のためらいもなく出る言葉。でも、今は何も言えなかった。いや、『最近は』という方が正確だ。
姉さんのところに、戻らなくてはならない。帰るべきなのだ。だから、ずっとここにはいられない。これはこの世界に落とされた日からずっと、変わらず思っていること。だというのに、私は、この白兎に情が移り始めている。
こんな顔をされたら、突き放せないほどに。
だからこそ、早く帰らなくてはと思う。これ以上深入りしないうちに、私はここを去らなければならない。
「アリス」
私の存在をなぞるように、名前を呼ばれる。応えたい気持ちが沸き起こるが、それは白兎への誠意にはならないのだ。はっきりと、言うべきだ。私はいつかは帰るのだと。
「……ペーター、」
「帰らせません」
けれど、私の言葉は遮られ、はっきりと宣言されてしまった。その顔は険しく、彼が持つ残忍性が一瞬垣間見える。帰らせない。どんな手段を選んでも。そう、言われたように気がする。
しかしそれに怖さは感じても、私に触れる手を振り払おうとは、微塵も思えなかった。
「ずっと、ずっと、ここにいてください」
ただただ彼の言葉を受け止めていると、泣きそうな顔に戻る。私の両手を強く握りしめる様は、子どもが必死に懇願しているようだ。でも、握る力は痛みを伴わせ、私を現実に引き戻す。
「……あんたは、私の意志なんてどうでもいいの?」
帰らなきゃいけない。恋愛はしたくない。厄介なことになりたくない。
そんな私の思いを知っているくせに、ペーターは構わず強引に迫ってくる。それはつまり、私のことを見ているようで、ちっとも見ていないということなのだろう。そのことが、すごく虚しくて、悲しい。寂しい。
「僕は、いつでもあなたのことだけを考えていますよ」
愛の言葉みたい。
でも、私の欲しい言葉ではないのだ。まるで噛み合わない歯車のように、少し擦れてはぎこちなく動き、それ以上は進めない。なのに、噛み合う瞬間を、ずっとずっと待っている。
握りしめられた手は痛く、いくら痛いと言っても、きっと離してくれないのだろう。
そして私も、かすかに震える冷たい手を、この独りよがりで勝手な人の手を――離すことができない。決して私の言葉が届かなくても、私を探して悲痛な声を出すこの人のことを、置いていくことを想像しただけで――。
『アリス』
また、幻聴が聞こえる。優しい、暖かな声。懐かしくて、涙があふれそうだ。
ねえ、姉さん。
帰るわ。帰るけれど――。
あと、もう少しだけ待って。
01 彼の人を想い貴方に恋をする
2024.04.27 21:00:00
ハートの国のアリスシリーズ
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透き通った空には、まるで絵画のように、均整のとれた雲。
多すぎず、少なすぎず。
その空の下には、更に完璧な薔薇の庭園。鑑賞する者への配慮なのか、あるいはただの飾りなのか。自分以外に利用しているところを見たことのない、見事な装飾のベンチに、私は一人腰掛けていた。
暑くもなく、寒くもなく、至って過ごしやすい気候。
風という風はないのに、雲はゆっくりと流れていく。
まるで、姉と過ごした日曜日の午後を彷彿とさせる。時々、そんなことを思う。
『アリス』
誰かに呼ばれた気がして、辺りを見回す。そして、自嘲するように息を漏らした。
『誰か』なんて。
今私が今思い浮かべたのは、たった一人ではないか。そう。穏やかに、私の名前を呼ぶ――ここにいるはずのない、姉のこと。
「アリス!」
物思いに耽る静寂を破った声は、今度は幻聴ではない。それにうんざりしながらも、同時に鼓動が少し早まる。
声がした方を振り向けば、切羽詰まった様子で白兎が向かってくるところだった。
「アリス!」
「……聞こえているわ」
「アリス‼」
アリスアリス、と名前を連呼しながら走った勢いのまま抱きつかれる。がたっとベンチが倒れそうなほど傾くものだから、頬を引きつらせながら思わず彼の腕にしがみついた。
「ちょっ――」
「……アリス」
文句の一つでも言ってやろうと口を開いた途端、顔の見えぬ彼から漏れる弱々しい声。ペーターはいつも自意識過剰なストーカーのようなことばかりを言うけれど、たまにこんな、何ともいえない声を出すことがある。悲しい? 寂しい? 当てはまる言葉は出てこない。――そして、私はこの声に弱い。
「どうしたのよ……」
疲れ切った様子を装って、彼の頭を撫でてやる。仕方なく。そういった体で。でないと、駄目な気がした。
彼の髪は、兎の毛のように柔らかく、まっすぐで滑らかだ。小さく光をはじく銀糸を見つめながら、小さく溜息をついた。頬に触れる長い耳はくすぐったいけれど、引き剥がす気にもなれない。
「……あなたが、消えてしまいそうで」
そう言って顔を上げたペーターの赤い目は、今にも泣きそうに潤んでいる。
――私、いつかは帰るのよ。
常なら何のためらいもなく出る言葉。でも、今は何も言えなかった。いや、『最近は』という方が正確だ。
姉さんのところに、戻らなくてはならない。帰るべきなのだ。だから、ずっとここにはいられない。これはこの世界に落とされた日からずっと、変わらず思っていること。だというのに、私は、この白兎に情が移り始めている。
こんな顔をされたら、突き放せないほどに。
だからこそ、早く帰らなくてはと思う。これ以上深入りしないうちに、私はここを去らなければならない。
「アリス」
私の存在をなぞるように、名前を呼ばれる。応えたい気持ちが沸き起こるが、それは白兎への誠意にはならないのだ。はっきりと、言うべきだ。私はいつかは帰るのだと。
「……ペーター、」
「帰らせません」
けれど、私の言葉は遮られ、はっきりと宣言されてしまった。その顔は険しく、彼が持つ残忍性が一瞬垣間見える。帰らせない。どんな手段を選んでも。そう、言われたように気がする。
しかしそれに怖さは感じても、私に触れる手を振り払おうとは、微塵も思えなかった。
「ずっと、ずっと、ここにいてください」
ただただ彼の言葉を受け止めていると、泣きそうな顔に戻る。私の両手を強く握りしめる様は、子どもが必死に懇願しているようだ。でも、握る力は痛みを伴わせ、私を現実に引き戻す。
「……あんたは、私の意志なんてどうでもいいの?」
帰らなきゃいけない。恋愛はしたくない。厄介なことになりたくない。
そんな私の思いを知っているくせに、ペーターは構わず強引に迫ってくる。それはつまり、私のことを見ているようで、ちっとも見ていないということなのだろう。そのことが、すごく虚しくて、悲しい。寂しい。
「僕は、いつでもあなたのことだけを考えていますよ」
愛の言葉みたい。
でも、私の欲しい言葉ではないのだ。まるで噛み合わない歯車のように、少し擦れてはぎこちなく動き、それ以上は進めない。なのに、噛み合う瞬間を、ずっとずっと待っている。
握りしめられた手は痛く、いくら痛いと言っても、きっと離してくれないのだろう。
そして私も、かすかに震える冷たい手を、この独りよがりで勝手な人の手を――離すことができない。決して私の言葉が届かなくても、私を探して悲痛な声を出すこの人のことを、置いていくことを想像しただけで――。
『アリス』
また、幻聴が聞こえる。優しい、暖かな声。懐かしくて、涙があふれそうだ。
ねえ、姉さん。
帰るわ。帰るけれど――。
あと、もう少しだけ待って。
01 彼の人を想い貴方に恋をする