猫の額








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『夢のあと』
#エース スペード黒 ベストED後

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 幸せな夢を見ていた。

 目を開けて、まずそう思うような夢だったのだろう。
 でも、どんな内容だったのかは欠片も思い出せない。もどかしさと、わずかに残る幸福感で、とろりと再び落ちそうになる瞼を押し上げる。
 視界いっぱいに広がるのは、白い雲が浮かぶ青空。ざわりと木々が揺れる音に続いて、風に流された髪が頬をくすぐった。

「あ、起こしちゃった?」

 声のする方に目線を向ける。

「……エース」
「君の髪、柔らかくて気持ちいいからさ。引っ張っちゃったかな」

 どうやら私の髪で遊んでいたらしい。ゆるゆると首を振れば、そっか、と穏やかな声が返ってきた。

「――寝ちゃってたのね、私」
「俺もだよ。君より少し前に起きた」

 何かがあってもなくても、気が向いたら青い花畑に来るようになっていた。それこそ、彼が寂しくなくても、だ。
 今日は、私はサンドイッチ、エースはいつものキャンプセットのコーヒーやカップを持って、ピクニックに来ていた。緩やかに流れた風が、畳まれたランチョンマットを揺らす。

「食べてすぐ寝ると、太るわよね……」
「あっはは。君はもう少し肉付きが良くなっても大丈夫じゃないか?」
「……あなた、デリカシーというものがないわけ?」
「え、何? 俺、別に胸の話はしてないけど」
「私だってしてないわよ!?」

 身を起こしながら抗議するが、彼は朗らかに笑い続ける。

「いやだって、ちょうどいい大きさだと思うぜ。俺は好きだな」
「……ねえ、これ以上この話を続けるなら、私にも考えがあるけど」
「ごめんごめん」

 ちっともそう思ってなさそうな顔で、声で、笑うエースの顔は。とても柔らかだ。

 ――怒る気も失せるじゃない。

 立てた膝に頬をつくことで、緩みそうになる顔をごまかした。

「俺さ。夢を見てたんだ」
「へえ」

 急に変わった話題に、自分も夢を見ていたことを思い出す。幸せだったということしか、思い出せないが。
 そして前にもここで、二人して夢を見たのだ。あのときは、ペーターの贈り物。過去の焼き増しではない、私たちが願ってやまないもの。
 満たされると同時に、胸の奥が痛くなる夢だ。だって、『いつか』『ずっと』を願ってしまうから。

「どんな夢?」

 口角を上げ、できるだけ無邪気に見えるよう問いかけた。

「君がいたよ。君と、ピクニックしてた」
「あら、今と同じじゃない」

 ユリウスの名前が出なかったことに、思わずほっとしながら笑う。けれど、エースは笑わなかった。ざあっと草が風でしなり鳴る。珍しく強い風。

「うん。……同じだな」

 静かな、感情を抑えたような声に、首を傾げる。

「……楽しく、なかったの?」
「楽しかったよ。今日みたいにさ」

 ごろりとエースが寝転がった。

「……楽しかったから、さ」

 ――怖くなった?

 浮かんだ言葉を、静かに飲み込む。私だったら、そう思うから。いつまで幸せは続くのか。いつか、きっと――。先を思えば思うほど、不安からはどうしても逃れられない。
 でも、二人して落ちることを、望んではいない。だから――。
 寝転ぶエースの横に手を突き、身を傾けた。

「アリス?」

 頭を垂れれば、髪がさらりと流れる。ためらったのは、一瞬。目を閉じながら、唇を落とした。

「…………」
「……え、っと」

 頬が熱い。する前よりも、後の方が恥ずかしい。驚いたように見開いたエースの目を見ていられなくて、咳払いをしながら逸らす。

「その……、」
「近くにいる」
「え」

 突き立てままの腕に、エースの手が優しく添えられた。

「だよな」
「……ええ」

 どうやら伝わったらしい。
 そのくすぐったさに、今度は隠さず頬を緩める。ゆっくり腕の力を抜いて、彼に身を寄せ体重を預けた。
 約束はできない、私達だから。

「好きよ、エース」

 今、ここだけに目を向けて。
 そこには欠片も、本当の願いを込めてはいけない。





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あとがき

スペード黒のベストエンド、ユリウスありきで大好きで、でもそうじゃない二人も書いてみたくて書きました。
リプレイしながらもうずっと泣いてましたね……。すべてはダイヤのせいです。
スペード黒、きっと、一番素直にエースに対して「好き」を言えるアリスですね。そんなエースルートがプレイできて良かった。

ハートの国のアリスシリーズ 編集

#その他
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録




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 厳かなパイプオルガンの音が、壁に反射して柔らかく響く。古びた木のベンチは、使い古された故の温もりを備えていた。
 毎週日曜にある礼拝の時間は、とても眠い。私が熱心な信者ではないからなのかもしれないし、陽の光が降り注ぐ、この空気が心地よすぎるせいなのかもしれない。
 うつらうつら、夢心地の中ぼんやりと窓際に視線をやると、マリア像を描いたステンドグラスが光に透ける様子が何とも美しい。この、光景は好きだ。
 ほうっと自然と溜息が漏れる。けれど、違和感を感じて首を傾げた。何だか、すごく久しぶりな気がする。

「アリス」

 パイプオルガンの音色に邪魔にならない程度のささやき声。そこで初めて、隣に誰かがいることに初めて気がついた。
 どうして気がつかなかったのだろう。
 少し困ったように眉根を寄せて、けれども優しく頬笑むのは、姉さんだ。私の顔を覗き込む目と目が合えば、不思議と胸が締め付けられた。

「寝ては駄目よ」

 ほんのり笑いを含んだ、私をたしなめる声。聴き慣れたその声音に、鼻の奥がツンとした。
 薄紫色のドレスとおそろいのボンネットは、教会の中では外され、今はベンチの上。その横には、週報と聖書、讃美歌集が綺麗に重ねられていた。

「……姉、さん」
「なぁに?」

 あぁ、姉さんはここにいたのだ。
 呼びかけて、返ってきた反応にじわりと涙が滲む。

「姉さん」
「あらまあ。どうしたの?」

 震えてしまった声に、姉さんが心配そうな顔をしながら、私の頬に触れた。暖かい。柔らかい。――生きている。
 私に優しく触れる姉さんの手に、そっと手を重ねる。とうとう、涙があふれた。




「姉さ――」

 掠れた自分の声に、びくりと身体が震える。
 遅れてゆっくりと瞼を押し上げた。暗闇。けれど目が慣れてくると、ぼんやりと自室の天井が現れ、ここがどこか理解する。
 穏やかでないのに、優しい世界の、私にあてがわれた部屋。

「……夢」

 居所がわかって肩の力が抜ければ、喉が乾いて張り付く。
 喉を潤そうと、ベッドから這い出て素足を床に着けた。冷たい床が、今は心地が良い。
 水差しからコップに注いだ水を一気に飲み干し、息をつく。

 ――何の夢を見てたんだっけ。

 疲労感がすごい。何か大きく心が揺さぶられていた気がする。が、中身を思い出すことができない。
 まあいいか、とベッドまで向かう途中にあくびを漏らせば、さっきまで必死に我慢していたような気がして――そんなわけないわね、と小さく笑う。
 夜にあくびをするのは、当たり前じゃない。
 まだ温もりの残るシーツにくるまれば、まどろみが遠慮なく襲ってくる。
 次の時間帯もまた夜とは限らない。仕事に支障が出ないよう、しっかりと身体を休めなければ。

 ――夢も見ずに、朝になりますように。





15 君と過ごした日々は過去になった

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#その他
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録




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 私がここでおかしな気分になるのは、立ち込める濃い薔薇の香りのせいなのか、それとも美しい兄弟のせいなのか。未だに、わからない。どちらも原因なのかもしれないし、わかったところで意味はない。



「お前もやってみるか?」

 ご機嫌な女王様は、花びらをむしった薔薇を私に差し出した。彼女は手癖のように、薔薇を握りつぶす。

「やらない」

 かわいそうよ、と言うとビバルディは馬鹿にするように鼻で笑った。

「散るために存在するのじゃ。かわいそうなことなど何もない」
「でも、ただの暇つぶしで、むしられるのはかわいそうよ」
「育てられておるから育つのじゃ。どちらにしろ、朽ちる運命。ならば、いつ散ろうが一緒じゃ」

 確かにそうだが、もったいないものはもったいない。ビバルディの足下には、無数の花びらが降り積もっている。しゃがみこんで拾えば、しっとりとした質感。こんなに綺麗なのに。しかも、ブラッドが手入れをしている薔薇だとういのに、少し離れ場所にいる彼は止めもしない。
 一つ溜息をこぼして、手元にある花びらに視線を戻す。何かに再利用できないかしら。ビバルディはまだむしり続けている。

「ねぇ、ブラッド」
「ん?」

 呼びかけた彼は、薔薇の手入れをしているのか、垣根を素手で触っている。手袋を外したブラッドの手は恐ろしく綺麗だ。反射的に彼の手に関する様々なことが蘇り――思わず頬が赤くなる。

「――これ、貰ってもいい?」

 暗いから、私の変化には気づかないだろう。それでもやや目線を落としながら、地面に降り積もった花びらを指す。お風呂にでも入れれば、きっといい匂いがするはずだ。

「構わない」

 ありがとう、とお礼を言って地面に座り込む。エプロンを受け皿にして、赤い破片をのせていく。白い布地の上に、それはよく映えた。

「っ、え」

 急に濃くなった薔薇の香りにむせ返る。続いて、子どものようなビバルディの声。

「おぉ、綺麗じゃ」
「……ちょっと」

 ビバルディが薔薇の数本をむしり、私に頭から被せたのだった。頭や肩にも大量の花びらが乗っている。遅れて、はらはらと落ちてくるものもある。

「見ろ、ブラッド。ここに綺麗な薔薇があるぞ」
「馬鹿言わないでよ」

 集める手間は省けたが、これでは歩けば落ちるだけだ。何か入れ物を持ってこようかしら、と思った時、薔薇以外の香りが濃くなった。

「ビ、ビバルディ?」

 彼女はドレスの裾が汚れるのも構わずしゃがみこみ、美しい手で私の顎を掴む。

「本当に、綺麗」
「え、ちょっと」

 続きは、薔薇の花びらに邪魔される。長い綺麗な指が、私の唇に花びらを押し当てたのだ。

「可愛い」

 恍惚とした表情でそう言われれば、先程の比にならないほど頬が熱を持つ。
 そして花びらを押し当てられたまま、ゆっくりと口づけられた。――甘い香りがするのに、苦い。

「……姉貴」

 急に聞こえた低い声に、びくりと身体が揺れる。

「何じゃ。こっちの薔薇を愛でるのは気に食わないか?」

 にやりと、意地悪そうにビバルディが笑った。

「当たり前だ」

 言うが早いか、ブラッドに腕を引かれ立ち上がらされる。反射的に花びらを踏むまいと意識したせいで、足下がふらつく。それを見て、ブラッドが舌打ちをした。

「独り占めはしないよ。――この薔薇だけは、二人で育てよう」

 甘く、それでいて妖艶なビバルディの声が、耳元で響いた。常なら受け入れられないことも、ここだと抵抗する気すら起きなくなってしまう。でも、それだけではない。確かに、心の奥から湧き上がるものがある。
 なのに、近づいてくるブラッドの顔をただ見つめることしかできない。
 まだ頭に残っていた薔薇の花びらが、はらはらと視界の端を横切った。






14 好きだと言いたいのに声が出ない

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#その他
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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「お嬢さん、君は今日も麗しいな」
「あら、あなたもとても素敵よ?」
「というわけで、だ。こんなに美しいお嬢さんを差し置いて私だけ――というのは私の信条に反する」
「へー、ブラッドにそんなものがあったの。あなたのことですもの、さぞかし立派な信条なんでしょうね」
「……あぁ、そうだ。だからこれを全て君に差し上げよう。いや、遠慮することはない。美しいお嬢さんのために、私はこんなことしかできないのだから」
「いいえ、十分だわ。居候させて貰っている上に、こんな豪華なお茶会まで。忙しいのに付き合わせて申し訳ないわ。あなたの目の前にあるケーキなんて、素晴らしく栄養価が高いし、紅茶だけじゃ倒れてしまうじゃない。――ほら、どうぞ」
「私の9割は紅茶でできているんだ。紅茶さえあれば何もいらない」

 爽やかに晴れ渡った昼下がり。今日も帽子屋屋敷ではお茶会が開かれていた。
 しかし、天候とは正反対に、卓上の空気はピリピリしていた。その原因は、私達の真ん中に鎮座する『あれ』だ。

「ブラッド、大丈夫? 人間の成分に紅茶は一ミリリットルだってないのよ? とち狂ったことを言いだすなんて、疲れのせいよ。いいわ。私の分もあげる。どうぞ」
「何を言う。客の菓子まで取り上げるわけがなかろう。いい。君が食べなさい。私の分まで」
「はあ? 自分の分は自分できちんと頂くのが最大の礼儀じゃない」
「そういう君だって、食べようとしない」
「あなたが先に言いだしたからでしょ」
「いや、君が――」
「お前ら……」

 表面だけの友好さをかなぐり捨てようとした頃、悲しげに揺れる声が割って入った。小さな声だったが、私達を黙らせるには十分だった。

「……食わない、のか?」
「「…………」」

 しょーん、と擬音が聞こえてきそうなほど、垂れた耳。図体のでかい男が、全身でがっかりとしたオーラを出したところで――なのだが。帽子屋屋敷のNo.2のエリオットが相手では、従わざるを得ない。……だって、胸が痛むからだ。

「な、何言ってるのよ。もう楽しみで楽しみで。取り合いなんてみっともなかったわね。――ねぇ、ブラッド。ありがとー、エリオット」
「……あぁ、そうだな」
「他の人の分まで手を出しちゃ駄目よね?」
「…………あぁ、そうだな」

 目の前には、エリオット特注の巨大オレンジ色のブツ。逃げ場は――ない。先ほど自分で断った。

「俺の分はたーっぷりあるから、いつもみたいに分けてくれなくていいぜ!」

 私の言葉に安心したのか、顔だけでなく全身から喜びいっぱいのオーラをあふれ出させるウサギ、ことエリオット。
 私とブラッド、それぞれの前にはオレンジ色のケーキ。テーブルの真ん中に鎮座する巨大なオレンジ色のケーキの、何十分の一とはいえ一人分にしてはかなり量が多い。オレンジ色のものは見たくない私達とっては、致死量である。


「平和だね」
「ああ、平和だね、兄弟」

 苦い顔をしながら、ケーキを口に運ぶ双子は、たとえ休みを増やされても、今の時間を勤務時間として認められても、まったく嬉しそうではなかった。

「まったく、本当に」
「「馬鹿らしい」」

 彼らのハモる声を聞きながら、フォークをさくりとケーキに突き立てる。ごくりと唾を飲み込み、目をつぶって口に『あれ』を放り込んだ。






13 確かに君たちが好きなのだけれども

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#ビバルディ
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録




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「恋愛において、両想いなどないよ。常に片想いなのじゃ」

 その言葉に、持ち上げていたティーカップの水面が揺れた。一方、彼女は涼し気にカップに口を付けている。まるで一枚の絵画のように完璧な光景だと思う。

「……常に?」
「あぁ、どれだけ想い合っていても、どちらかの想いがより強い」

 一生報われない、不毛なものだよ。
 そう言って、ビバルディはカップをソーサーに戻した。
 夕陽に照らされたその顔は相変わらず美しく、そしてどことなく寂しそうだ。
 二人きりで行われるお茶会は、いつも夕方。昼間だと誰かしら割り込んでくるのだけど、不思議とこの時間には誰も邪魔をしない。彼女の時間だと、誰もが心得ているからなのだろうか。

「……片思い」

 誰かを、何もかも投げ捨てて好きになったことのない私には、よくわからない。痛いほど美しく、誰かを愛せない私には。
 それでも、『両想いがない』という話は少しショックだった。だって、それは恋愛ごとにおけるゴールのような気がしていたから。ふと、最近頭の中を占めてやまない彼の顔を思い浮かべてしまい――ぐい、と紅茶で流し込む。

「だから、どうしようもない。心はかき乱されるのに、得られるものはない。無意味なものだよ」

 時間帯が変わらぬ限り、延々と沈まぬ夕陽は、この世界で最も異様で美しい。その赤を受けながら、ビバルディは自嘲するように口端を歪めた。その視線は紅茶の水面を見ているようで、どこか遠い。

 ――あなたは、誰かに恋をしているの?

 訊いてもいいのか悩んでいると、彼女は目線を上げて私に笑いかけた。

「そして度が過ぎれば過ぎるほど。のめり込めばのめり込むほど――虚像を愛していくのじゃ」
「それって――」

 恋愛っていうの? 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

「……虚しい、わね」

 私の言葉に、ビバルディは目を細めて笑う。

「お前も、いつかその無意味で、必要のない、でも捨てられないものに囚われる日がくるのじゃろうな」
「――私には無理よ」

 ビバルディは、とても厄介なものであるように言う。でも、たとえ虚像であったとしても、それは相手がいなければ成り立たない。――ならば、私にはできない。
 そんなに誰かを強く思うことなど、できないから。

「できるよ」

 励ますでもなく、ただ事実を告げるように、優しく妖しい声でつむぐ。

「――お前なら、そのものも愛せるのかもしれないね」

 何を根拠に。白けた気持ちで、紅茶を口に含む。もう冷めてしまったそれは、風味は薄く、どことなく苦みすら感じる。
 変わらないのは、沈まない美しい夕陽だけ。

「誰もが虚像を愛し、そして、本物は愛せない」

 私のことを好きだと愛しいと、語る口でそんなことを言う。
 ふと、彼も同じなのだろうかと考えて、胸がじくりと疼いた。ああ、なんて不毛な――。

「その日が楽しみじゃな」

 全然、楽しくなんかないわよ。







12 本当にあなたが愛したのは私じゃない

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#ナイトメア
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録




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 冷たい物ではないはずなのに、舌の上にあるそれは、ひやりとしている。転がせば、からころと軽い音。……正直、ちょっと、はまってしまった。

「おいしいのか?」
「どうかしら」

 おいしいものではない、と思う。暗い夢の中を明るくしてくれる星。といっても、おもちゃのような星だ。以前食べたときにもそう思ったが、私が金平糖のようだと思っているから、こんな触感なのかもしれない。
 星を食べる日が来るなんて、考えたこともなかった。

「貴重な体験ができていいだろう」
「ていうか、勝手に考えていることを読んで、話しかけないでよね」

 うざい。
 心の中で大きく、わかりやすく呟いてやれば、今日は比較的顔色の良かった顔色がさーっと変化する。
 ある意味、おもしろい見世物だ。

「私は道化師じゃない!」
「誰もそんなこと言ってない」

 叫んだせいか、咳きこみだしたナイトメアの背中をさすってやる。まさか、大の男の背中を撫でてやる日常がくるなんて。

「な、何が悪いんだ……」
「悪くもないけど、良いことでもないわね」

 面倒くさいだけだ。

「め、面倒くさい……」

 今度は、今にも吐きそうな顔をしながら落ち込みだす。
 背中を撫でる手を頭に移動すると、俯いた顔からぐすぐすと泣くような拗ねるような声が聞こえてきた。本当に面倒くさいのに、夢の中も悪くない、と思っているのだから、自分でも不思議だ。
 彼の髪は見た目通り固く細く、それでいて滑らかで、指先を滑る感覚は心地良い。
 まるで子どもをあやすように手を動かしながらも、口の中で小さなおもちゃみたいな星を転がし続ける。味はしない気がするのに、ひんやりとする塊はくせになる。――けれど、無味の食べ物を『おいしい』と分類するのはやはり違う。
 最初は、こんなおもちゃみたいな形をした星なんて非現実的だし、この夢の空間が明るくなっても大差ないと思っていた。けれども、気が向けばこうして星を散りばめてもらう。メルヘンなものはそんなに好きじゃなかったはずなのに、カラフルな星達を見ていると、少し気分が変わる。

 ――やっぱり慰められているのかしら。ナイトメアに。

 ちらりと横を見れば、具合が悪そうにしゃがみこんだままの夢魔。聞こえているくせに、こういうときは知らんぷりをする。

「ありがとう」
「……何のことだ?」
「あんたね、それ逆に失礼よ」

 まあいいけど、と彼の横に座れば、足下に光る星々が少し近く感じられて、悪くない。
 幻想的な光景に、まるで世界はここだけのような気がしてくる。
 目が覚めれば、普通の生活が待っている。
 そして、そこにナイトメアはいない――。

「あなた、私が起きているときはどうしているの?」
「もちろん、存在しているよ。これでも、私は忙しい身なんだ」
「……そう、なの?」

 忙しい。この人に最も似合わない言葉だ。もしかして、私だけでなく色んな人間の夢を覗いているのだろうか?

「覗く、とは人聞きが悪いな」

 同じことでしょと返せば、ぶつぶつといじけだす。けれどその顔色は、先程よりは良くなってきていた。

「夢の外には出てこないの?」
「出ることもある。だが、私はここが好きなんだ。外に出ると色々と面倒だからね」
「ひきこもり」
「何と言われても、私はここから出ない」

 何故か胸を張る彼に呆れつつも、ひきこもりというのもいいかもしれないと思い直す。

「私も、ずっとここに居ようかしら」

 銃弾飛び交う滞在地よりも、ここの方が楽そうだ。

「……君が?」
「ええ」

 案外、それもいいかもしれない。

「……いいのか?」
「うーん。いいんじゃないかしら」
「滞在先の奴らが放っておかないだろう」
「そんなの、私の自由よ」

 そうでしょ? と訊けば、ナイトメアが目を細めた。

「君は――」
「なあに?」

 ナイトメアは何かを言いかけ――細く息を吐いて笑った。その目は、いつも通り優しい。

「好きなだけ、ここにいればいい」






11 君と二人だけなら誰にも反対されない




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#エース
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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「俺、コーヒーを淹れながら笑う子って初めて見たな」

 背後からいきなり声を掛けられて、危うく手がお湯にかかりそうになってしまった。
 後ろから覗き込む彼に聞かせるために、わざと大きく溜息をつく。

「……ノックぐらいしたらどうなの?」
「いやー、盛大に迷っちゃってさ。やっと目的地に辿り着けて、嬉しくてノックも忘れちゃったんだ。ごめんな?」

 ――じゃあ気配を消して入って来るな。

 しかし、どうせ言っても意味がないと、再び溜息をついた。
 振り返れば、予想通り愛想の良さそうな笑顔を浮かべたエースがいた。けれど、その目の奥は笑っていない。いつものことだけれど、この威圧する類の表情は、未だに落ち着かない。
 せっかく良い感じにコーヒーが淹れられそうだったのに。最近は立ち上る香りと、蒸される状態で何となく出来が想像できるようになっていた。

「あっそう。お疲れ様」
「うん、ただいま」
「……」

 ていうか、近い。
 小さなキッチンだ。コーヒーを淹れる手元を覗きこんでいるせいもあるのだが、この男の距離感はおかしい。半歩身体を離しつつ、コーヒー豆が蒸されていく様子を眺める。

「生憎、ユリウスは今いないわよ。出かけてるの」
「知ってるよ」
「は?」

 だって、ユリウスに会いに来たんでしょ? そう思ったものの、一つしかない部屋に彼はいないのだ。訪れた時点でいないことがわかっても不思議ではないかもしれない。でも、さっきの言葉は、それとは違う気がした。
 エースは、もう興味が他に移ったのか、片付いた作業台を眺めている。彼の分も淹れてあげるべきなのかしら。ここにあるのは私一人分だ。
 あまり淹れたくはないが、そのまま放置というのも居心地が悪い。

「あなたも、コーヒー飲む?」
「いや、いいよ。ありがとう」

 その返事に少しほっとしながらも、別に安心するほどのことでもないと引っかかる。面倒くさいわけでもない。お湯だって沸いているし、彼が欲しがれば簡単に淹れられるほど手慣れたのに。湯を注ぎ終え、コンロにヤカンを置いたところで視線を感じた。

「……何?」

 エースが私を見て微笑んでいる。

「いや、難しそうな顔してるなーと思って」
「別に……」
「そういう顔、ユリウスに似てるよ」
「!」

 かっと顔に血が上ったのが自分でもわかった。

「似てないわよ!」
「そうかな。瓜二つだけど」

 今度鏡で見てみたら? と馬鹿にされてるとしか思えないことを言われる。

「ユリウスと仲良くしてるみたいで良かった。安心したぜ」
「…………」

 してない、と否定するのもおかしいが、エースが言うことをそのまま認めるのも腹立たしい。

「ユリウスのこと、好きなんだろ?」

 何と言い返してやろうかと考えていると、エースがとんでもないことを言った。

「っえ、」
「俺もユリウスのこと好きだからさ。同居しているのが君みたいないい子で良かったよ」

 ――そういう、好きか。ただの、好意。

「……ええ、好きよ。口は悪いけど良い人よね。ユリウスって」
「そうそう。誤解されやすいんだけどな」

 ユリウスという共通の話題に、いつの間にか強張っていた身体から、少し力が抜ける。

「こう、眉間に皺寄せて仕事している姿を見てるとさあ。思わず助けたくなっちゃうんだよな」
「確かに」

 眼鏡をかけて、時計の修理をする彼の姿を思い浮かべれば、頬が緩んだ。

「何か手伝おうか? って訊いても『そこで座ってろ』って断るんだけどさ。何回かやってると、根負けして手伝わせてくれるんだよな」
「ふふ、そうね」

 ユリウスの声真似に加えて、目尻を引っ張り顔つきを険しくさせるエースに笑う。ふとした瞬間、この人は『友人らしさ』を垣間見せる。違和感なく、純粋に、ユリウスの友達なのだと思わせる。

「なんだかんだ、押しに弱いんだよな、あいつ」
「本当に」
「コーヒーだって、いつの間にか君に淹れ方を教えてるし」
「そうね」

 エースが腕を組み、キッチンにもたれかかる。

「そして君は、ユリウス以外にはコーヒーを淹れてやりたくないぐらい、好きなんだよな~」
「そうそ……」

 …………。

「って、待って! 今のは違うの! 違うっていうか、その――」
「ユリウスも、君のことが好きだって言ってたぜ」

 一瞬、エースが何を言ったのかわからなかった。――好き? 好きって、言った?
 回らない頭。ただ視界に入っているだけのエースの顔が、再び微笑んだことだけ理解する。

「困る?」
「………………」

 困るに決まっている。恋愛ごとなんて。居候の身だし。
 なのに、答えることができない。

「――困る、ってことでいいのかな」

 ただ押し黙ることしかできない私に、エースはにっこりと笑う。

「嘘、だよ。君のことが好きだ、なんて言ってない。良かったな」

 嘘。
 嘘、か。
 どこかほっとしながら、『困る』と答えなくて良かったと、そんなことを頭の隅で思う。

「これからも、ユリウスに好かれないといいな」

 反射的に漏れた「そうね」は、自分でも虚しくなるほど弱々しかった。嘘。嘘なんだ。だから安心すればいい。なのに――。
 コーヒーを淹れ終わっていたマグカップを手に取り、口に含む。
 何も味がしなかった。






10 嘘を知らせないで 夢心地でいたかった

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#ユリウス
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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「……私、何か失敗した?」

 そう訊くと、ユリウスは驚いたように目を見開いた。眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れる。

「何故だ?」
「だって、さっきから、何か……」

 何か、不機嫌だ。
 いつも愛想がいい人ではない。特に仕事中は眉間に皺を寄せて作業するため、怒っているようにすら見える。
 それでも、息抜きのために持っていくコーヒーを飲むときだけは、ほんの少し、その表情が緩むのに。
 だから、コーヒーを淹れた。休んで欲しくて。なのに、コーヒーを飲んでも何も言わないどころか、顔は強張ったまま。疑問に思うのは当然ながら、こちらが不機嫌になってしまう。

「不味そうに飲んでるわ」
「そんなこと――!」
「ない?」
「ああ。ない」

 きっぱりと断言されて、コーヒーが不味いわけではないんだと胸を撫でおろすも、違和感は消えない。

「じゃあ、私仕事で何か間違えた?」
「そうではない。お前はよくやってくれている」
「じゃあ、」
「だから、お前のせいじゃなくて……」

 そこまで言って、ユリウスは溜息をつく。まだコーヒーが半分以上入ったカップを、作業台にことん、と置いた。
 冷めてしまうわ。
 おいしい、と言葉には出さなくても、ユリウスが私のコーヒーを喜んで飲んでくれるのは態度からわかるし、彼は意外とわかりやすい人だということも知っている。その様子を思い浮かべて、丁寧にコーヒーを淹れる。今まで、飲み物にこんなに神経を使うことも、誰かを想いながら淹れることなんてなかった。だから、コーヒーを淹れるという行為は、私の中でいつしか特別になっていた。

「……別にお前のせいではないんだ」
「じゃあ、何でそんなに機嫌が悪いの?」
「悪くない」
「悪いわよ」
「……少し、疲れただけだ」

 そう言う彼の横顔は、本当に疲れて見えた。イライラしていた気持ちが、心配に切り替わる。

「休んだ方がいいんじゃないの?」
「大丈夫だ」

 そう言いながらも、目頭を押さえる表情は暗いまま。どう見ても辛そうなのに、大丈夫だなんて言われると、突き放されたように感じてしまう。
 心配がまた、不満に変わる。自分を大事にしないユリウスにも、彼の行動に口を出せるような仲でもないという現状にも――。
 理不尽な怒りを自覚して目線を逸らせば、存在を忘れられたままのコーヒーが目に入った。

「……じゃあ、好きにしたら?」

 最悪だ。こんな態度をとれば、ユリウスが更に気を揉むかもしれないのに。
 コーヒーも心配も、私がやりたくて勝手にしていることだ。なのに見返りを期待するなんて。自分が幼くて嫌になってしまう。けれど、彼に謝る言葉が出てこなくて、苦い気持ちのまま踵を返したときだった。
 足が、床から浮いた。悲鳴をあげる間もなく、身体が後ろへと傾く。
 ユリウスに腕を引かれ、抱き留められていたことに気がついたのは、彼の腕の中に納まった後だった。

「すまない。……お前の、せいじゃないんだ」

 間近で響く、ユリウスの声。謝らなきゃいけないのは私の方なのに。

「その、エースが……。くだらないことを言っていて、それで」
「あ、ああ。エースね。いつもいつも、本当に困るわよね」

 鎖骨辺りにかかる、ユリウスの腕が思った以上に大きくて、早口で中身のない話題を並べ立てる。ほのかに香るコーヒーの匂いに気が付いて、どくりと心臓が大きく鳴った。
 混乱しているせいだろうか。
 エースがどうとか言っていたけれど、それとこの今の体制は、何か関係があるのだろうか。後ろから抱きかかえられて、じわじわと熱が上がっていく。彼は何も言わない。私も、何も言えない。
 背中からわずかに響くのは、乱れのない時計の音。でも、ユリウスの吐息はわずかにそれとずれていることに気が付いて、また心臓が大きく音を立てる。

 ――駄目。

 目をつむって、息を潜める。この、心臓の音が聞かれてはならない。また、何事もなく、コーヒーを淹れて、たまに彼の仕事を手伝って。そんな日常を続けたければ。
 この乱れた音を聞かれるわけにはいかない。






09 他の人が君を好きだと言っていた

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#ボリス
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録




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 やらなくてはいけないことがあった。


 目を開ければ、暗闇。夜の時間帯が続いているのかもしれない。横からは、規則正しい寝息。
 手を伸ばし、そっと柔らかな髪に触れれば、彼はうぅ、と小さく呻いてみじろいだ。本物の猫みたい。というか、やはり猫の類いに相当するのだろうか。くすりと笑いながら、健やかな寝息を立てる彼の顔を見つめて、目覚める前に浮かんだ思考を追う。
 あんなにもやらなくてはいけないと思っていた事は、何だったのだろう。
 結局ボリスといたくて、この世界に残ることになってしまった。後悔は――ないとは言い切れないが、これで良かったと思っている。でも、疑問は消えない。
 私は、何をしなきゃいけなかったんだろう。

「……ありす?」

 寝ぼけた声とともに、腕が伸び引き寄せられる。ベッドの中は、大きな猫がいるせいかとても温かい。

「ごめんね、起こしちゃった?」
「……また、変なこと考えてない?」
「変なこと?」

 耳を触ったり、尻尾を掴んだりってこと? 彼は猫と同じで、耳や尻尾を触れられるのを嫌がる。

「そういう意味じゃなくってさぁ……」

 舌ったらずだった声が、段々とはっきりしてくる。

「帰りたい、とか。そういうこと」
「あぁ」
「何、その言い方」

 呆れたような私の返事に、ボリスが拗ねる。でも仕方がないことだ。どんなに帰らないと言っても、ボリスはすぐに疑う。いい加減、その辺りにはうんざりしていた。いつまで経っても信じてくれない。

「考えてないわ。いつもそう言ってるじゃない」
「でも、元の世界のことを考えてただろ」

 怒ったような声に、ボリスの身体に身を寄せる。そのくらいで鎮まらないことはわかっているが、嘘はないのだと態度でも示したかった。

「考えても、帰りたいってことにならないわ」
「そんなのわからない」
 一体どうすればいいんだろう。面倒だなと思いながらも、こういう風に執着されることを、喜んでいる自分もいる。私って本当に面倒な子だわ、と少し自己嫌悪に陥る。
「私、帰らないわよ?」
「……信じたいけどさ」

 更に強く抱きしめられて、ボリスの髪が頬にあたる。ボリスがこんなに不安になっているというのに、温かさと柔らかさが、睡魔を呼び寄せる。とろりと瞼が落ちた。

「あんたは真面目だから――って、アリス?」
「う……ん?」
「……きーてる?」
「何か、眠くなっちゃって」

 腕を彼の背中に回せば、更に眠気が深まる。難しいことは考えないで、このまま寝てしまう方が良い気がする。

「……あんたってさぁ、酷いよね」
「今更だわ」

 知ってたでしょ、と夢うつつに返す。
 まぁね、とボリスの柔らかい声が降ってきた。


 やらなくてはいけないことが、あった気がする。でも、忘れてしまった。ボリスが、忘れさせたから。だって、ボリスがいなければ、きっと私は元の世界に帰っていた。
 これは責任転嫁だ。だが、ボリスは引き受けてくれるだろう。そのくらい信用しているし、依存している。
 もし、ボリスがいなかったら。会わなかったら。元の世界に帰って、やるべきことをしていただろう。たとえ、それが辛いことであったとしても。そう、すべきだから。

「……共犯、よね」
「はあ? 何が?」

 ボリスも眠たくなったのか、声が間延びしている。何でもない、と頬をすり寄せると、優しくキスをされた。
 ここはあまりにも温かすぎて、何も考えられなくなってしまう。

「おやすみ、アリス」
「おやすみなさい」

 これが夢なら、もう一生覚めなくていい。





08 此の恋は私と貴方だけの甘い罪


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#ゴーランド
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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 重い。
 溜息をつきたくなるような書類の重さに、うんざりしてきた。今日は資料を含めた書類の量が多く、両手いっぱいに抱えた束を落とさぬよう、気も遣う。――誰かに手伝ってもらえば良かった。一人廊下を歩きながら、皆の申し出を断った自分を恨む。
 壁際に寄り、書類の束を持ち直したところで、開いた窓から従業員達の笑い声が聞こえた。それから、よく耳慣れた人の声。覗いてみると、やっぱりいた。
 ゴーランドだ。

「……楽しそうにしちゃって」

 自然と、頬が緩む。
 遊園地のオーナーは、何を話しているのか従業員達と盛り上がっているらしい。気さくな彼らしい光景だった。
 しばらく彼らを眺めていると、従業員の一人がこちらに気づいて手を振った。それにつられて全員が上を仰ぎ見る。何かを言っているようだが、遠すぎて聞こえない。
 それでも、私を見つけたことで、嬉しそうにしていることはわかった。それを受けて、私も微笑み返す。
 そして、穏やかなゴーランドの視線に、胸がほんのりと熱を帯びた。



「何を話してたの?」
「大したことじゃねぇんだ。次のイベントの話で――それより重かっただろ。ありがとな」

 屋敷の窓から眺めている私を見つけたあと、ゴーランドはすぐ私の所に来てくれた。書類の束をあっという間に取り上げ、ぽすぽすと頭に手を置く。まるで子どものような扱いだが、気にならない。私は手ぶらで、今は二人で彼の執務室を目指して歩いている。
 こういう何でもない日常が、こそばゆく、それでいて愛しい。こんな風に、小さなことでも嬉しくなったり、それを素直に認められる自分がいる。
 でも、正直なところ戸惑う。
 以前の自分とは、あまりにも違うから。ボリス、それから他の友達からも「変わった」と少々呆れ気味に言われる始末。もし自分が逆の立場でも、同じように気味悪がるだろう。実際、自分が一番違和感がある。

「何だ、疲れたか? だったら休んでもいいぞ」

 ゴーランドにそう声を掛けられ、おずおずと顔を上げる。

「そうじゃないの。……ただ、ね」

 私、気持ち悪くない?
 そう直接訊くのは、ためらわれた。変に心配されてしまうかもしれないし、ゴーランドのことだから勝手な設定を繰り広げられそうな気もする。

「ただ?」
「ただ、その……。私、変わったでしょ?」

 重い書類を抱えたまま、ゴーランドはきょとんとする。

「何だ、嫌なのか?」

 やっぱり変わったんだ、私。けれども彼は大して気に留めていないようだ。

「嫌ってわけでもないの。ただ何か慣れないっていうか……。その、」

 ――ゴーランドは、嫌じゃないの?

 今度は、勇気がなくて訊けなかった。
 周りの皆は、私の変化を生ぬるい目で見ている。気がする。でも彼のことだから、今の私も受け入れてくれるだろう。訊けば期待した答えをくれるはずだ。
 でも、彼は変わる前の私を好きになってくれたから、今があるわけで。もし、前の方が――なんて言われても、どうしようもできない。

「変わったことが慣れないのか?」
「うん、まあ……」

 うーん、とゴーランドは首を捻った。

「ていうか、具体的にどう変わったかその辺りがまずわからねえが――」
「――は?」

 あんたさっき何も言わなかったじゃない。思わず半目で睨みつけてしまう。

「あんたが慣れないなら問題だよな。何が変わった?」

 大真面目な顔で訊いてくるゴーランド。色ボケで毒気が抜けたなど、本人に言えるはずがない。

「……どこが変わったかもわからないの? 愛が足りないわよ」

 あぁ、間違えた。こういう切り返しも十分恥ずかしい。昔の自分ならそんなこと言わない。
 恥ずかしさに内心頭を抱えている私を知ってから知らずか、ゴーランドは一生懸命考えているようだ。

「……変わったこと、変化、か。うーん……」
「――ばあか。さいってー」
「え、な! す、すまん!」

 慌てふためくゴーランドに、思わず噴き出す。
 私は変わった。周りの皆も、自分もまだ慣れない。でも、私が変わったことにも気づかないこの人がそばにいるなら、別にいいのかもしれない。だって、大したことではないってことだろうから。

「じゃあ」

 両手のふさがった彼の頬に手を伸ばす。小さくつまめば、眉が情けなく下がった。

「これで許してあげるわ」

 許されているのは、私の方だけど。





07 貴方はいいと言うが 周りの人は否定する



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#ディー&ダム
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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「……ねぇ、その。別に言葉だけでも十分伝わるわよ?」

 柔らかな日差しが差し込む午後。自室のソファで、頬に残るむず痒さを気にしないようにしながら、慎重に言葉を選ぶ。
 しかし彼らは、きょとんと不思議そうな顔をした後に、拗ねるような駄々をこねる顔になってしまった。さすが双子というべきか、そのタイミングは同時だ。

「何でさ。お姉さんもこれは好きでしょ?」
「そうだよ。嬉しそうにしてたじゃないか」

 確かに、彼らのその『行為』は嬉しい。嬉しかった。けれど、最近は困っていることに気がつかないのだろうか。いや、気がついていてわざとしている可能性もあると、一つ咳払いをして話し出す。

「ええ、嬉しいわ。……でも、人目は気にしましょう?」
「えー、ただのお礼だよ?」
「それに、誰も気にしていないと思うよ」

 むしろ、それが一番問題かもしれない。彼らの『行為』を受け慌てる私を、日常の光景として反応しなくなってきた屋敷の面々を思い浮かべ、思わず大きな溜息がこぼれた。

 最近、彼らは私にキスをする。
 といっても頬にだ。親愛の印。はたまたお礼に。キスする理由は様々。
 両隣から挟み込むように、腕をやや強引に引っ張られて行われるそれは、照れくささを伴う。他者からそんな風に触れられるのは、何だかくすぐったく、嫌ではなかった。でも、彼らだからそう思うのかもしれない。
 だから、『頬にキス』という可愛らしい行為だけなら、別に困ってはないのだ。が――。
 問題は、所構わず、人目を気にしない――という点だ。
 使用人が居ようと、エリオットが居ようと、最悪ブラッドが居ようとまったく構わない。その様子を、使用人は微笑まし気に、エリオットは「すっかり懐きやがって」とやや呆れ気味に。ブラッドは……。

「――思い出したくもないわ」
「何が?」
「独り言? 独り言が増えると疲れてる証拠なんだって聞いたよ。大丈夫?」

 誰のせいだ。
 ちっとも伝わりそうのない状況にこめかみを押さえつつも、ここで引いてはならぬと、自分なりに最大級の笑顔を作る。

「あのね、ディー、ダム」
「……何、お姉さん。気持ち悪いよ」
「そうだよ。そうだよ。何か怖いよ」

 ぴくりと引きつりそうになる頬を押さえる。

「――頬にキスしてくれるのは嬉しいの。でも、やっぱり人前では止めましょう? ね?」
「何で?」
「別にいいじゃないか」
「だからね、人前でそういうのは――」
「何で何で何で?」
「僕ら、お姉さんのことが好きなんだよ⁉︎」

 ぎゅっと二人に勢い良く抱きつかれ、思わずよろけそうになる。好きだろうが何だろうが、それとこれとは別の話だ。説得しようと二人の顔を見て――思わず、言葉を失った。

「何で?僕らが嫌いになっちゃった?」
「そんなの嫌だよ、お姉さん」

 今にも泣きだしそうな、見たことがないほど必死な表情。自分がとても酷いことを言った気がして、胸がずきりと痛んだ。

「……そうじゃないのよ」

 けれど、双子の表情は変わらない。すがる瞳の底を見て、『怯え』という言葉が浮かぶ。どう伝えればいいのだろう。

「ねえ、嫌いなんかじゃないの。違うのよ」

 私に抱きつく双子の背中に手を伸ばし、二人の間に顔を埋める。そして、彼らの力に負けないように、強く抱きしめた。

「私、あなた達のことが大好きなのよ」

 ――だから、そんな顔しないでよ。言葉にはできず、涙がじわりと滲んだ。
 彼らが楽しそうだと嬉しい。逆に、彼らが辛そうだと涙が出るほどには、私はディーとダムのことを大切に思っている。

「……本当に?」
「……嫌いじゃないんだね? 好きなんだよね?」
「えぇ、大好きよ」

 顔は見えなくても、声の調子から彼らが安心したのがわかる。
 抱きしめていた腕をゆっくり緩めると、思った通りの笑った顔がそこにあった。

「良かったあ。嫌われたのかと思っちゃった」
「そうだよ、びっくりさせないでよ。お姉さん」
「うん。……ごめんね」

 少しだけ三人で笑えば、張り詰めていた空気が緩む。それでも、さっきの彼らの怯えた瞳が脳裏に張り付いて消えない。

「僕、お姉さんとお別れなんてしたくないんだから」
「僕だってそうさ。出来れば、話したり、笑ったり、動くお姉さんがいいよ」
「?」

 首を傾げるも、彼らはそんな私には気づかず話し続ける。

「そうそう。だから、生きたまま僕達のそばにいてね?」
「僕達を嫌いになんかなったりしたら、お姉さんを殺さなきゃいけないんだから」
「――」
「だからさ」
『そんなこと、させないで』

 どちらがそのセリフを口にしたのか、よくわからない。ただ、恐怖よりも何よりも、どこまでも理解し合えないのだと、突き放されたような寂しさが胸に刺さる。

「「お姉さん、大好きだよ」」
「……私も、大好きよ」

 無理やり口角を上げ、彼らに再び手を伸ばす。彼らは満足そうに笑みを浮かべ、私の抱擁よりも、強く抱き返してきた。






06 笑顔の裏に隠した涙がこぼれた




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#エリオット
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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「悪い!」

 廊下を歩いていると、いきなり背後から肩を引っ張られ、無言で悲鳴を上げる。何事かと思えば、エリオットが必死な形相で私の肩を掴んでいたのだった。

「え、な、何?」
「……約束、してたのに。本当にすまねぇ」
「……約束?」

 意味がわからない。
 そんなもの、してたかしら。
 疑問符だらけの私に気づいていないのか、エリオットは悲痛な表情でまくしたてる。

「今度! 今度絶対埋め合わせするからな! だから、だから……」

 しょん、と耳が垂れる。うっ、と沸き起こる衝動に耐え、エリオットの話に耳を傾ける

「――だから?」
「……嫌いにならないでくれよ?」

 私にどうして欲しいんだろうか、このウサギは。

「本当に、ごめん。でもなアリス、俺、アリスのこと大好きだからな! それだけは信じてくれ!」
「わ、わかった、わかったわ。ちょっと落ち着いて……」

 エリオットの垂れきった耳やら、言動やらに耐え難いものを感じながら、口の前に指を立てる。エリオットの声は馬鹿でかく、いつ誰に聞かれるかわかったものではない。どうせエリオットとの仲は周囲の知るところであろうが、聞いて欲しい内容でもない。

「……今度の埋め合わせ、楽しみにしてるから」
「っ、あぁ!」

 何に対する埋め合わせなのか。わからないままに返事をすれば、表情が一瞬で切り変わり、耳はぴんと伸びる。

「それよりも、仕事気をつけてね?」
「大丈夫だ。すぐ、帰るから。待っててくれよな? どこにも行くなよ?」

 ぎゅっと両手を握って焦る姿は、恋人というよりも子ども、もしくは動物のように見える。いや、動物なのだが。まあそんなことはどうでもいいぐらい、この図体の大きな男が可愛くて、思わず頬が緩む。

「えぇ。屋敷でずっと待ってるから、安心して?」

 それでやっと安心したのか、彼は満面の笑顔になった。この全身で向けられる好意が苦手だったはずなのに、今はとても心地良い。そして、私も愛情を素直に返して行けたらいいのになと思う。

「いってらっしゃい」
「いってくる」

 片手を軽く上げて、何度も私を振り返りながら去って行く。その姿に寂しさと、暖かな気持ちがないまぜになる。
 こんな風に、誰かの帰りを待つ自分は嫌いじゃない。

「お嬢さん」
「!」

 いきなり背後から声をかけられて振り返れば、眠そうな目をしたブラッドが立っていた。

「人手が足りなくてな。少し手伝って欲しいことがあるんだが」
「い、いいわよ」

 見られてないわよね、と心臓が早鐘のように鳴る。あんな、超バカップルなところを他人に見られていたら――特にブラッド――恥ずかしくて穴から出てこられない。

「では、使用人室に行ってくれないか。あとは部下が説明する」
「……あなたも出かけるの?」
「ああ、面倒だが仕方がない」

 ブラッドが赴くぐらいだから、緊急事態なのだろう。おまけに私にも手伝いを頼むなんて――。
 エリオットは大丈夫なのかしら。不安がよぎる。

「――それにしても、人とは面白いな」
「は?」
「クールな君が、まさかこんな風になるとは思わなかった」
「…………見てたの?」
「ああ、見ろ。この鳥肌をどうしてくれる」
「死ねば?」
「エリオット以外には、相変わらず、か。ますます気持ち悪いな」

 薄く笑いを浮かべた彼に引きつる頬を返し、殺意を抑えながらブラッドに別れを告げる。

「お嬢さん」

 荒々しく振り返ると、珍しくブラッドが真面目な顔をしていた。

「仕事、しっかりと頼む」
「言われなくてもするわっ」

 ブラッドが、笑う。

「あと、エリオットのことも――」
「さっさと行きなさいよ!」

 肩を竦めるブラッドを睨みつけながら、ふと、エリオットの顔が思い浮かんだ。約束って何だったのかしら。まあ、帰って来てから訊けばいい。先程よりも不安な気持ちは薄れていた。ああ、そうか。
 足を止めたまま、じろりと家主を睨め付ける。余計を気遣いを、と思いつつも『わざわざ仕事を用意してくれた』ことには感謝する。

「……エリオットに、あまり無茶させないでよね」
「あぁ。約束しよう」

 私にできるのは、無事に帰ってくることを信じること。彼の、帰りたいと思う居場所であることだけだ。





05 目の前の人よりいない人を想う





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#ブラッド
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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 いきなり差し出されたものを前にして、思わず固まってしまう。

「……何?」
「何、とは……。知らないわけではないだろう?」

 呆れたように言われて、そういう意味じゃない、と言い返すことができない。それぐらい、私は戸惑っていた。
 今、ブラッドが持っているものが、『何か』ぐらい当然知っている。
 薔薇の花束だ。
 薔薇一本はもちろんのこと、全体のまとまりも非常に美しい。
 ブラッドといえば、薔薇。そう連想できるほど関連の強いものだが、花束を差し出すことには結びつきづらい。それに――、

「…………今更?」

 ぼそりと呟く。
 男性が女性に贈るものとして、花は定番だろう。今までにも、豪華な服や装飾品とともに贈られたこともある。だが、手渡しで直接貰ったのは今回が初めてだ。
 しかも、私達は夫婦。恋人時代には色々送りつけられたが、今になってこんな『正当な』ものを『正攻法』で渡されても、どう捉えていいのかわからない。

「受け取らないつもりか?」

 高圧的に言われ、それが花を贈る態度かと睨み上げれば、彼は彼で怒ったような顔をしていた。
 だが、違う。これは照れているときの顔だ。
 その表情を見て、やっと喜びが湧いてくる。これは、素直に喜んでいいものだ。

「――ありがとう」

 やや頬を緩ませながら、手を伸ばす。意地っ張りで素直じゃない、私達にはいつものやりとり。
 花束を受け取れば、ずしりとした重さとともに、濃厚な薔薇の香りに息が詰まりそうになる。でも、嫌いな匂いではない。どこか安心する。ブラッドが、いつも漂わせている匂いと同じだからかもしれない。

「……嬉しいわ」

 もう一度、礼を言う。純粋にあふれた感情が、勝手に言葉を押し出してしまった。もしかしたら顔が赤いかもしれないと思うほど、彼からの贈り物に心が躍っている。
 花束の隙間からブラッドを見ると、眉根を寄せている。――どうやら、嬉しいらしい。

「嬉しいなら、素直にそういう顔をしたら?」
「べ、別に私は……」

 特徴的なシルクハットに手を触れながら、顔を逸らせ更にしかめっ面。その耳が、少しだけ赤いのは気のせいではないはずだ。
 変な人。
 今更薔薇の花束を贈ってみたり、照れてみたり。付き合う前後にあるようなやりとりだってそう。自分のことを棚に上げながら、深く息を吸い、またその香りに恍惚とする。

「――これ、どうして?」

 今日は何かの記念日だろうか。結婚記念日……というほど月日は立っていないし、そもそもこの世界に記念日なんてものはないはずだ。

「別に。意味はないさ」

 気怠そうに話しながらも、目を合わせてくれない。この人が、こんなにわかりやすい人だなんて思いもしなかった。ブラッドは、一緒にいればいるほど印象が変わる。
 冷たいようで、実はすごく優しい。善人よりも悪人に見られたい。ひねくれた人。そんなところも含めて、どうしようもなく愛しいと思う。
 一生、言ってやる気はないけれど。

「ねえ。今、暇なの?」
「あぁ、粗方片付いたところだ」

 目の下の隈が、少し濃くなっている気がする。また、仕事が忙しくなっているのかもしれない。

「じゃあ、ちょっと付き合って」

 直接休めと言っても、休む人ではない。結婚してから何度も喧嘩し、学んだことだ。
 予想通り、ブラッドはほんの少し眉を上げて、気怠そうに答えた。

「――奥さんのお願いだ。聞こう」

 表だけは、面倒くさそうに承諾する姿に、笑いを抑えきれない。

「で、何をするんだ?」

 どこまでいっても、素直じゃない人。それでも、愛されている事は十分伝わってくる。

「まず、花瓶にこれを生けて。それから……」

 今日は、月の綺麗な晩だ。外でこの薔薇を眺めれば、また違った美しさがあるだろう。

「私のために紅茶を淹れて」

 ブラッドが微笑う。そして、庭に行くために私の手を取った。

「お安い御用だ、奥さん」

 素直じゃない私達だから、どんな言葉もあなたには届く気がする。






04 優しい貴方に愛してとは言わない

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#エース
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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「俺、君といると安心するんだ」

 愛おしげにそんなことを言われたら、普通は嬉しかったりときめいたりするものかもしれない。
 私だって例外ではなく、冷めたところはあるものの、多少は心動かされるはずだ。
 なのに、まったく動揺しないどころか、気持ちが盛り下がっていくのは何故だろう。


 エースだからだ。


 それ以上でも以下でもない。他に理由なんてない。

「……ありがとう」
「……顔と言葉が一致していないみたいだけど?」

 そういう彼は、困ったような、不思議そうな表情。これだけを見ていたら、とても良い人を困らせているみたい。だが、彼は良い人とは程遠い。かといって、悪い人かといえば疑問の残るところでもある。――だって、『悪い』とかいう範疇に収まらない人だから。

「理由を想像すると、こういう顔になるの」
「理由って……。君を好きな? つまり――うじうじしてて、自分が嫌いで、常に自己嫌悪の嵐で、後ろ向きで、その他色々な理由が?」

 嫌われているとしか思えない。というか、聞くたびに増えている気がするのは気のせいだろうか。色々って何よ(聞きたくないが)。

「……それを、本人に堂々と言うからよ」

 溜息をつきながら、頭をエースの肩にもたれかけさせる。自分の趣味とはかけ離れた、ハートの城オプションの派手なソファーは、座り心地は良い。外に出ない日は、とりとめもない話をしながら、彼とソファーでだらだら過ごすのが日課になってきていた。エースはというと、私の右手をとって、指を曲げてみたり、握ってみたりと遊んでいる。こうして気軽に触られることにも慣れてしまった。

「だって俺、君には誠実でいたいからさ」
「……せいじつ」

 ってどういう意味だっけ。別に彼が嘘つきだとか、そんなことは思わない。だが、誠実という言葉がこれほど似合わない人間もいるだろうか。

「逆に聞きたいんだけどさ」

 私の手をグーパーさせながら、エースが話しだす。

「俺が言ってることって、『そのままの君が好きだ』ってことなんだぜ? それって嬉しくないのか?」

 それは、あんたの言い方が悪いからよ。
 でもその答えは最適解ではないと、言葉を選ぶ。油断してぶつけた言葉で、理不尽なカウンターを喰らいたくはない。

「――私、自分が嫌いだから、それを好きだって言う人が信用できないのかも」
「でも、俺はそういうところが好きだからな……。困ったな。いつまでも信用してもらえない」

 ちっとも困ってない様子で、片手は私の手を握ったまま、もう片方の手は私の髪をそっとすくう。

「どうしたら、信じてくれる? もっと態度に表した方がいいのかな?」

 以前にも聞いた言葉。突如変わったささやき声に、反射的に身を固くする。もう彼の目は私の手ではなく、瞳を捉えていた。逃さないとでもいうように見据えられて、背中をソファに押しつけることで、少しでも距離を取る。……無駄だとはわかっているけれど。

「結構よ」
「遠慮しなくていいんだぜ?」
「全っ然、してないから。私、あなたのこと全面的に信用しているから。これ以上態度に出さなくても十っ分にわかってるから」

 さっきよりも近いエースの上半身を、さりげなく手で押し返しながら、横にずれる。

「アリス」

 髪に触れていた手が、すっと頬に落ちる。そこはどこよりも、エースの熱が直に伝わってくる気がする。でも、それは錯覚だ。だって彼は、手袋をはめているのだから。
 だから、今熱くなった頬は、私の内から起こった熱だ。

「好きだよ」

 明らかに『意図』を含んだ言葉。何度も言われたことのある言葉なのに、鼓動が早まり顔が更に火照る。目を合わせられないほど恥ずかしいと思うのに、逸らすことができない。
 乾いた手袋が私の頬を撫でる。その感触を頭の隅で感じながら、静かに唇に落ちた熱で、やっと瞳を閉じることができた。
 でもそれは一瞬で、すぐに離れた温もりに寂しさを覚えてしまう。彼との行為は、その繰り返しだ。より深くなることがわかっていても、離れた瞬間はそれで終わりなような気がするし、実際に終わるのだ。ずっとこうして、触れたまま生きていくことなどできないのだから。

 ――そっか。

 私といると、安心すると彼は言った。それに心が動かなかった理由が、今わかった。
 赤いコートの背へと手を伸ばし、まるでしがみつくように衣服を掴む。エースが小さく笑ったのが、気配でわかった。
 一緒にいても、安心なんてできない。ほんの少し離れただけで寂しいのだから。






03 優しい温もりは貴方とともに消える

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#ビバルディ
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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「わらわは、妹が欲しかったのじゃ」

 うっとりするような薔薇の香りが立ち込める中、されるがままに髪を梳かれる。何度も訪れた、ビバルディの自室。相変わらず、辺りには可愛いんだか、微妙なんだかわからない人形達があふれていた。
 そして、今、私はその人形の一人。

「あなた、妹って感じだわ」

 そう言うと、鏡に写った美しい女王が、驚いたように目をみはった。いや、今は女王というよりも少女だ。初めてビバルディに会ったとき、王女様かと尋ねたことがあるが、彼女は時々とても幼く見える。けれどそう思うのは私だけのようだし、そんな姿を見せるのも私にだけなのだろう。

「初めて言われた」
「だって、妹の方が似合うもの」
「……あやつが聞いたら、笑うだろうな」
「え、誰?」

 意味深なことを呟いて、何でもないよ、と妖しく笑う。一瞬で、少女が女王様に変わる。この、多彩な変化も好きなのかもしれない。

「でも、そうね。妹がいたらきっとすごく美人でしょうね。可愛いと思うわ。そして……」

 あなたのお人形にされてそう。
 今の私のように髪を整えて、服を着せて、また着せ替えて。完璧なまでに美しい姉を前にして、その妹は何を思うのだろう。

「……やはり、妹などいらぬな」

 先程までのご機嫌はどこへやら、ビバルディは急につまらなそうに言い捨てた。
 はあ、と忌々しげに溜息をつきながらも、彼女は私の髪をいじる手を止めない。

「もしかしたら、弟のように可愛げのない奴かもしれぬ」
「まあ、それはわからないけれど……。あなたの弟だから、かっこいいんでしょうね」
「たとえ顔が良いとしても、中身が駄目じゃ」

 時折、ビバルディは弟のことを話す。そして、『つまらない』とか『どうでもいい』とか悪態をつく。そのくせ、その目は優しい。そんなとき、あぁこの人は姉なのだと思う。でも、ロリーナ姉さんとは全然違う。姉さんは、好意をもっと素直に表すから。ビバルディとは違う。――だから、彼女といると安心するのかもしれない。

「おお、できたぞ。可愛いだろう?」

 もう気持ちを切り替えたビバルディは、自信作を見せる子どものように、誇らしげだ。鏡の中に映る私。それが、自信作だ。

「……似合わないわ」
「そんなことはない。似合っているぞ?」

 はっきり言って気持ち悪い。と、手間暇かけた本人の前では言えないが、鏡の中に映る私は異様という言葉がしっくりする。
 栗色の長い髪は、ビバルディによって肩から下をくるくると巻かれ、程よいバランスで散っている。きっと女王とお揃いにされたのだと、この世界の住人なら思うだろう。――そう、姉さんのことを知らない人達なら。私だって、自分の髪でなければ、素直に美しい髪型だと思えた。

「――私、こういうの似合わないもの。あなただから似合うのよ」
「何を言う。可愛いぞ」

 ビバルディは私の両肩に手を置いて、うっとりと鏡を眺める。お人形さんの髪型がうまくいってご満悦のようだ。おそらく、このあとは普段着以上にフリフリな洋服が待っている。いつもその格好で居ろとは言わないからマシだが、気が重いものは重い。

「本当に可愛いのう。何故、今までこの髪型にしなかったのだ? ストレートもいいが、こういうのもよく似合う」

 ビバルディはよほど気に入ったのか、はしゃいでいるらしい。『何で』って。するわけがないわ。

「服、用意してあるんでしょ。着ましょう?」

 話を逸らそうと催促すると、ビバルディは喜んで服の準備を始めだした。
 こういうときのビバルディは本当に幼い。姉のようだったり妹のようだったりする彼女だが、身内のどちらにも似ていない。
 身内に不満はないと思ってきた。多少の息苦しさはあっても、育ててもらっている身だし、義務的なものだけでなく、本当に愛しく思っている。はずなのに。妹、父の顔がどんどんおぼろげになっていく。

 ――長い間、会ってないからだわ。

 軽く掌に力を込め、揺れる心に気づかぬふりをする。
 帰れば、以前と変わらぬ私でいられるはずだ。

「服はすぐに決まったのだが……。なかなか合う帽子がなくてな。特別に作らせてみた。どうじゃ?」

 ビバルディは話しながら、高級そうな箱の中から帽子を取り出した。形は、薄紫色のボンネット。リボンがひらひらと踊りながら、私の頭に被せられた。顎の下で結ばれて、息が止まりそうになる。

「おぉ、よく似合う」
「……そう?」

 白いレースに縁取られたボンネットを私に被せ、うっとりと呟くビバルディ。よりによって。そう、よりによって、この髪型に、この帽子。
 姉さんのことは好きだ。
 大好きだからこそ、同じ格好はしたくない。
 綺麗に巻かれた髪。形は違えども、似た色のボンネット。私には、ちっとも似合わない。――同じ物を身に着けてたとしても、私は、姉さんみたいにはなれない。
 鏡の中の、格好だけを真似た偽物。突き付けられた事実に、喉の奥からこみ上げてくる衝動を、必死で飲み込んだ。





02 貴方から別れるまでは涙を堪えていた

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#ペーター
ハートの国のアリスオールキャラ本 『Forget me』WEB再録



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透き通った空には、まるで絵画のように、均整のとれた雲。
 多すぎず、少なすぎず。
 その空の下には、更に完璧な薔薇の庭園。鑑賞する者への配慮なのか、あるいはただの飾りなのか。自分以外に利用しているところを見たことのない、見事な装飾のベンチに、私は一人腰掛けていた。
 暑くもなく、寒くもなく、至って過ごしやすい気候。
 風という風はないのに、雲はゆっくりと流れていく。
 まるで、姉と過ごした日曜日の午後を彷彿とさせる。時々、そんなことを思う。


 『アリス』


 誰かに呼ばれた気がして、辺りを見回す。そして、自嘲するように息を漏らした。
 『誰か』なんて。
 今私が今思い浮かべたのは、たった一人ではないか。そう。穏やかに、私の名前を呼ぶ――ここにいるはずのない、姉のこと。


「アリス!」

 物思いに耽る静寂を破った声は、今度は幻聴ではない。それにうんざりしながらも、同時に鼓動が少し早まる。
 声がした方を振り向けば、切羽詰まった様子で白兎が向かってくるところだった。

「アリス!」
「……聞こえているわ」
「アリス‼」

 アリスアリス、と名前を連呼しながら走った勢いのまま抱きつかれる。がたっとベンチが倒れそうなほど傾くものだから、頬を引きつらせながら思わず彼の腕にしがみついた。

「ちょっ――」
「……アリス」

 文句の一つでも言ってやろうと口を開いた途端、顔の見えぬ彼から漏れる弱々しい声。ペーターはいつも自意識過剰なストーカーのようなことばかりを言うけれど、たまにこんな、何ともいえない声を出すことがある。悲しい? 寂しい? 当てはまる言葉は出てこない。――そして、私はこの声に弱い。

「どうしたのよ……」

 疲れ切った様子を装って、彼の頭を撫でてやる。仕方なく。そういった体で。でないと、駄目な気がした。
 彼の髪は、兎の毛のように柔らかく、まっすぐで滑らかだ。小さく光をはじく銀糸を見つめながら、小さく溜息をついた。頬に触れる長い耳はくすぐったいけれど、引き剥がす気にもなれない。

「……あなたが、消えてしまいそうで」

 そう言って顔を上げたペーターの赤い目は、今にも泣きそうに潤んでいる。

 ――私、いつかは帰るのよ。

 常なら何のためらいもなく出る言葉。でも、今は何も言えなかった。いや、『最近は』という方が正確だ。
 姉さんのところに、戻らなくてはならない。帰るべきなのだ。だから、ずっとここにはいられない。これはこの世界に落とされた日からずっと、変わらず思っていること。だというのに、私は、この白兎に情が移り始めている。
 こんな顔をされたら、突き放せないほどに。
 だからこそ、早く帰らなくてはと思う。これ以上深入りしないうちに、私はここを去らなければならない。

「アリス」

 私の存在をなぞるように、名前を呼ばれる。応えたい気持ちが沸き起こるが、それは白兎への誠意にはならないのだ。はっきりと、言うべきだ。私はいつかは帰るのだと。

「……ペーター、」
「帰らせません」

 けれど、私の言葉は遮られ、はっきりと宣言されてしまった。その顔は険しく、彼が持つ残忍性が一瞬垣間見える。帰らせない。どんな手段を選んでも。そう、言われたように気がする。
 しかしそれに怖さは感じても、私に触れる手を振り払おうとは、微塵も思えなかった。

「ずっと、ずっと、ここにいてください」

 ただただ彼の言葉を受け止めていると、泣きそうな顔に戻る。私の両手を強く握りしめる様は、子どもが必死に懇願しているようだ。でも、握る力は痛みを伴わせ、私を現実に引き戻す。

「……あんたは、私の意志なんてどうでもいいの?」

 帰らなきゃいけない。恋愛はしたくない。厄介なことになりたくない。
 そんな私の思いを知っているくせに、ペーターは構わず強引に迫ってくる。それはつまり、私のことを見ているようで、ちっとも見ていないということなのだろう。そのことが、すごく虚しくて、悲しい。寂しい。

「僕は、いつでもあなたのことだけを考えていますよ」

 愛の言葉みたい。
 でも、私の欲しい言葉ではないのだ。まるで噛み合わない歯車のように、少し擦れてはぎこちなく動き、それ以上は進めない。なのに、噛み合う瞬間を、ずっとずっと待っている。
 握りしめられた手は痛く、いくら痛いと言っても、きっと離してくれないのだろう。
 そして私も、かすかに震える冷たい手を、この独りよがりで勝手な人の手を――離すことができない。決して私の言葉が届かなくても、私を探して悲痛な声を出すこの人のことを、置いていくことを想像しただけで――。

『アリス』

 また、幻聴が聞こえる。優しい、暖かな声。懐かしくて、涙があふれそうだ。
 ねえ、姉さん。
 帰るわ。帰るけれど――。


 あと、もう少しだけ待って。





01 彼の人を想い貴方に恋をする

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『EAT ME』 #ブラック×アリス
スペードのブラックさんとアリス。CP未満ですが、以前リク頂いた「甘め」のボツ話なので、甘めのつもりです、
黒発売カウントダウンでリサイクル。









「わた、しを食べて……?」




 いつも通りといえばいつも通り。いつのまにか目の前に立っている建物の戸を開ける。今日出迎えてくれるのはどちらだろうか、あるいは誰なのか。けれど、予想に反して中はもぬけの空だった。躊躇ったところで後ろに帰る道が現れるでもなく、仕方なく中へ入る。かららん。ベルが鳴り戸が閉まり、ふと目についたのは、カウンターにぽつりと置かれたガラス瓶。中には色鮮やかなアイシングクッキー。思わず手に取れば瓶の首にはタグがくくりつけられており、
『わたしを食べて』
と書かれたままに読み上げた声が、ぽつりと落ちたときだった。
「なんだ、食わねえのかよ」
「ぎゃあっ」
 急にかけられた声に振り返れば、眉を顰めた『彼』がいた。ブラックさんだ。その表情を見なくたって、話し方だけですぐにわかる。
「なんつー悲鳴」
 耳に指を突っ込みながら顰められた顔に、赤面しながら答える。
「い、いいじゃない。それに、子どもじゃないんだから、家主がいないのに食べたりしないわよ」
「はあ?ガキのくせに何言ってんだ」
 否定しようと口を開こうとしたが、その前に彼に瓶を奪い取られてしまった。きゅきゅっと音を立てて、コルクの蓋があっさりと彼の手によって外される。そうして瓶を傾け転がり出たクッキーは、まるで装飾品のように可愛らしいのに、とても美味しそうだった。
「ほら、食えよ」
「い、いいわよ」
 つまんだクッキーを、口元に押し付けられそうになり身を引けば、軽い舌打ちが聞こえた。
「食えって書いてんだから、食えばいいだろ」
 躍起になったように強引なそれに困惑しながらも、ふわりと漂う甘い匂いに判断が揺らぐ。迷って迷って、受け取ろうかと手を伸ばし口を開いたときだった。
「っ、ぐ」
 ――口に押し込むとか! 戸惑いと怒りに味もわからず、ただ必死に目の前の男を睨み上げることしかできない。
「ほんっと、記憶がなくなっても、ぐずぐずしたとこは変わんねえな」
 だから、こんなとこに来るんだよ。
 なんだか聞き覚えのあるような言葉に気を取られていると、ジョーカーの指先が唇に触れた。
 撫で上げるように指の腹が滑り、爪の切っ先がその後を掠っていく。
 背筋まで響くようなその感触に、頭が、真っ白になる。
 ごくり、と反射で飲み込んだ頃には指も離れ、彼は何事もなかったように自分の口にもクッキーを放り込む。そしてあろうことか、その指を、さっき私の唇に触れた指を――ぺろりと舐め上げた。
「? どうした」
「…………何でもないわよ」
 大した意味なんてない。きっと、大した意味なんて――。
「〜〜〜コーヒーちょうだい!」
「うるせえガキだな」
 笑った顔を、まともに見ることができなかった。

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『どんなに面倒でも』 #クイン×アリス
スペード白、ベストエンド後。
黒発売カウントダウンで書きました。



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「随分とご機嫌ですね」
 そう言った本人は、至って機嫌が悪そうだ。思わず書類をまとめていた手を止める。
「そう?」
「ええ。今にも鼻歌が始まるかと思うほどでした」
 にっこり。きっと、少し前ならそう笑っただろう。けれど今、彼は明らかに面白くなさそうに、組んだ手の上に顎を置き目を細めている。
「……私、何かしたかしら」
「いいえ? 教団を変えてやると啖呵を切るだけに留まらず、正に飛ぶ鳥を落とす勢いで色んなことが変わっていますよ。あなたに意見を聞きたいが、どこにいるかと今日も尋ねられました。何かしていないなど、謙遜にも程がありますよ」
「…………」
 一息で言い切った彼は、やはり笑わない。確かに皆の信頼を得られ始めている手応えはある。しかし、教団を変えてやるとは言ったが、クインを引き摺り下ろしたいと思っているわけではない。何と返したものか。内容によっては中々に面倒だ――と思案していると、クインが組んでいた手を外し、ため息をついた。
「本当に、あなたが楽しそうで何よりですよ」
「――そうは見えないけれど」
「そうですか? 結構本気で思っていますけどね」
 立ち上がり、私の横へ並ぶ。そうしてそっと触れた先は、彼に嵌められた銀色に光る指輪。それを撫でる指先は、壊れ物でも扱うように優しい。
「婚約者を放置しても、全く気にしないところ。私は結構好きですから」
「ご、ごめんなさい……」
「好きだと言ったんですが」
 ああ、何て面倒な人。整った顔立ちと、荘厳な衣装に似合わない不機嫌そうな表情。そして周りくどい言葉。それらはきっと、皆の知る彼からは程遠く、少し幼くすら見えて、ぐっと胸の底が突き上げられるような感覚に、観念して口を開いた。
「――私も好きよ」
 それはそれは嬉しそうに笑う顔も、きっと私しか知らないのだろう。

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『いつかの束の間』 #ユリウス
ハート時計塔ED後ののユリアリです。(多分)ハッピー寄り。




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「どこか、出掛けるか?」

 急な私の言葉に、アリスはコーヒーを置こうとしていた手を宙で止め、目を瞬かせた。ふわりと香ったそれに、今日も心を込めて淹れてくれたであろうことを思い、胸がいっぱいになる。
 ただ役目をこなすだけの日々しかないはずだったというのに。こんな感情に包まれる日がくるなど、思いもしなかった。

「――今、何て?」
「……嫌ならいい」

 満ち足りた気持ちとは裏腹に、突き放すような言葉が出る。こればかりは、変わりそうもない。アリスは慌てて、嫌なんて、と首を振り――そして笑った。

「すごく、すごく嬉しいわ」

 頬を染め、目尻を下げて。幸せとしか言い表せない顔に、口元が緩むのを自覚した。

「行く場所はお前が選べ」
「でもユリウス。お仕事は大丈夫なの?」
「お前と少し遠出するくらい、構わない」

 もう、仕事しかなかった私ではない。ちょっと待って、と真剣な顔で悩み出した彼女の姿を小さく笑い、道具を箱に仕舞う。そう、役目のことを一瞬でも忘れられるほど、大切なものができたのだ。

「えっと……、遠出ってことは時間帯が変わるようなところでもいいの?」

 その方が人も少ないかしら? ちらりと伺うようにこちらを見る彼女に、緩く首を振る。

「どこでもいい。私のことは気にせず、お前の行きたいところにしろ」

 ちょうど大きな案件を終え、落ち着いたところだ。これを逃せば、いくら彼女に時間を割きたかろうが、ままならないこともある。
 私と違って、いつか終わりが来る彼女との時間は限られているのだ。
 彼女に少しでも幸せな瞬間を増やしてあげたいし、その姿を焼き付けておきたい。
 それが『いつか』の日を、どれだけ辛いものにしようと、後悔はしない。それ以上に有り余る幸せを、彼女はくれたのだから。
 淹れてくれたコーヒーを口に含めば、予想通りの求めた味で。曇った眼鏡ですら、心を和ませる。

「私が、コーヒーを飲んでいる間に考えておけ」

 焦らせぬよう、ゆっくり言葉を紡げば、また彼女が微笑んだ。



 この愛しさを含んだ眼差しを、いつまでも覚えていようと思う。

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『幸せの、』 #ユリウス
「ハートの国のユリアリ(甘い感じ)」のリクで書きました。二人が幸せであればあるほど私一人胸がい。




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 おそらく、きっと、そこそこ高い場所にあるであろう塔の一室。展望台まで上がれば吹く風も、この部屋の窓ガラスを揺らしはしない。まだ湯気の立つコーヒーカップを手に外を覗き込めば、ああこんなに高かったのか、と広場や領土を見渡すことができる。けれども、喧騒も何かもここには届かない。
 だからこの部屋に響くのは、ユリウスが立てる工具の音ぐらいだ。
「……どこか、出掛けるか」
 唐突に掛けられた声に振り返れば、作業用の小さな眼鏡をかけたユリウスが、じっとこちらを見つめていた。何か言いたそうな『音』だなとは思っていたが、デートのお誘いだったらしい。気恥ずかしそうに提案されるそれに、笑って小首を傾げた。
「どこか出掛けたいの?」
「いや、そういうわけではないが」
「じゃあ、別にいいわ」
「…………」
 返ってきたのは、想像通りの渋い顔。
 何度か誘われるままに、あるいは誘って外に出てみたし、それも楽しかった。でも、帰ってきたときのほっとする感じを思うと、やはり私もユリウスも、ここで過ごす時間が一番ではと思うのだ。
「私に付き合って、しばらく外に出ていないだろう」
「まあ、ね。でも、別に今出掛けたい気分でもないの。買い出しも特にないしね」
 話しながら、お揃いのカップを手に持ったまま窓から離れる。どこかに出かける気になっているのなら、おしゃべりを楽しめる余裕はあるだろう。ユリウスの作業机の横の、私用にと増やしてくれた椅子に腰掛ける。カップを置けば、コトリと柔らかな音が鳴った。
「こうして、ユリウスの仕事を眺めてるのが一番好きだし」
「……本当に変なやつだな、お前は」
 眼鏡の下の目元を赤らめながらも、下げられた目尻。以前なら、同じセリフでも、もっと素気なく言われたはずだと思うと、変わった関係に口元が自然と緩んでしまう。
「出掛けたいときは誘うから、そのときは付き合ってちょうだい」
 ――今は、ここがいいの。
 そう告げれば、彼は柔らかに息を吐いて、リボンを避けて私の頭をくしゃりと撫でた。大きな手の下から合った目線にお互い小さく笑い、ユリウスは作業を開始する。
 再び、小さく緻密な金属音が部屋の中を満たしていく。
 ユリウスらしい、丁寧で、淀みのない、安心する音。
 ここにしかない音を聴きながら、満ち足りた胸で息を吐いた。

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『まるで湖の底』 #ルイス
ルイスルート、エンド後のお話です。2022年4月28日~29日のネップリ企画用に書き下ろしました。糖度高めを目指して書きました。




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 真新しい油の匂い。カチャカチャと鳴る軽い金属音。彼が武器の手入れをしていることを、まどろみの中で悟る。
 絵面もやっていることも、物騒としかいいようのないはずなのに、その音で落ち着いてしまう私はやはりおかしいのだろう。
 思うように開かない瞼に眉をしかめて身じろげば、私が起きたことに気がついた彼が『怪獣ちゃん』と呼ぶはず――。

「アリス?」

 けれど、掛けられた声は想像とは違うもので。ゆるゆると目を開ければ、いつの間にか近くに寄ってきていた彼が私を覗き込んでいた。

「すみません、起こしてしまいましたか?」
「……ううん」

 怪獣ちゃん、なんて。
 久しく呼ばれていないのに、何故そんなことを思ったのだろう。一人苦笑しながら、ベッドから身を起こそうとしたところで彼に肩を抑えられる。肩紐以外は剥き出しの肌にじわりと移る熱に、思わず彼から目線を逸らした。

「まだ寝ててください」
「でも、……もうお昼よね」

 私のために締められたのであろうカーテンからは、わずかに光が洩れている。
 時間帯はただの目安だけれど、やっぱり明るい時間には起きていたい。それに、お互い休みの時間帯なのだから、共に過ごしたいと思うのが普通だろう。
 彼の手を軽く押し退ければ、今度は少し唇を尖らせるだけで、私の背に手を添えて起こすのを手伝ってくれる。ルイスは相変わらず『過保護』という言葉がぴったりな扱いをする。
 ふと、彼がシャツ一枚の軽装であることに気が付き――すっかり変わってしまった関係を思い起こし、頬が熱を持つ。望んでいたこととはいえ、まだ『恋人』に慣れるのには時間がかかりそうだった。

「? どうかしましたか」

 私の変化を敏感に悟った彼が、再び顔を覗き込むように近づける。心臓が跳ねるような感覚とともに、息が詰まる。

「……何でも」
「ないことないでしょう」

 そして彼は私に身を擦り寄せる。今のは、『以前』のような触れ方。だけれど、異なるそれを知ったあとでは、慣れていたはずのものでも動揺するには十分だった。
 きっと赤くなっているであろう顔を隠したくてシーツを引き寄せたところで、彼は声のトーンを落として話し始めた。

「――俺、ちゃんとあんたのこと大事に出来てます?」
「は?」

 急に何の話だろう。思わず顔を上げれば、眼鏡の奥で揺れる彼の青い瞳。

「言ったでしょう? ペットは難しいけど、恋人ならちゃんと出来る気がするって」
「……だ、大事に出来てるんじゃない?」

 以前のような他意のない触れ方であっても、この至近距離。ましてや、彼の言わんとすることを察して口ごもってしまう。けれども別に嘘というわけでもない。
 『恋人』になった彼は、前にも増して私に丁寧に触れるようになった。彼の視線からも、触れ方からも。全身で、大切にされているのが伝わってくる。ただ、独占欲も更に増した。それは時に厄介でトラブルも引き起こすのだけれど、『怪獣ちゃん』と私を呼んでいたあの頃よりも、私のことが特別で大事なのだと思わせられる。少し窮屈であると同時に、私を満たしてくれていた。

 ――重症ね。

 内心呆れながらも、そんな自分は嫌ではなかった。
 ルイスはというと、じっと私を見つめたあと、するり私の頬に指を滑らせた。ほんのり香る油の匂いと、私より低い体温。そしてその触れ方は、先程とは違う艶かしさを含んでいて――。

「っ、ちょ」
「まだ、あんたに愛する方法を教えてもらえてないから……。うまく出来ているかわからないんですよね」

 ギシリ、とベッドのスプリングが軋む。彼が身体の重心をこちらに寄せ、私の上にのし掛かるような体勢になる。

「『壊して』はいなくても、――ちゃんと愛せているのかわからない」
「っ、だから、出来てるって言ってるでしょ‼︎」

 羞恥に耐えきれず、枕を掴んで彼の顔に押し付ける。顔は熱いし、胸はばくばくと早く脈打っている気がするし、嫌ではないけれど耐え難い。
 枕をさらりと除けたルイスは、ずれてしまった眼鏡を外す。思わずどきりとしたことが悔しくて、そっと唇を噛む。
 恋人になってから見せる姿は、心臓に悪い。もう乱れることはないはずなのに、以前の感覚のまま『ないはずのもの』があるように感じてしまう。

「でも」
「わ、私が――嫌とか……そういうのくらいは、わかるでしょう?」

 つっかえながらも言葉を紡ぐ。
 あなたのことだもの。きっと、私より私の変化には聡い。
 ルイスは私の言葉を受けて、きょとんと目を瞬かせて動きを止めた。

「もうっ、この話は終わ――」
「じゃあ」

 彼とは反対側からベッドを降りようと背を向けたところで、視界がひっくり返る。彼に、ベッドに押し倒されたのだ。

「あんたの思う『愛し方』を知りたいです」
「は、え……?」
「『されるばかりは嫌』。なんですよね?」

 そんなことを言ったこともある。でも、そういう意味で言ったわけじゃない。けれども、熱を帯びた青い瞳に見据えられ、出てきたのは僅かな抵抗の言葉。

「……私、起きたばかりなんだけど?」
「ええ。だからちゃんと待ってました」
「……私が何て言おうと、そのつもりだったんじゃない」

 くすりと笑って、ルイスが続ける。

「そういうわけじゃあないですけど――。あんたが、嫌じゃないとか言うから」

 私のせいにしないでよと軽く睨むも、彼は愛おしそうに目を細めるだけ。――何てずるい。そんな顔をされて、逃げられるわけがない。

『怪獣ちゃん』

 ふと脳裏をよぎるのは、かつての呼び名。あの関係も、欠けさせたくないほど私にとっては大事なもので。でも、やはり今の方が特別だと思い知らされる。
 一つ、ため息をついて。観念して彼の顔に手を伸ばし、頬に触れる。たったそれだけで、彼の瞳が、口元が、触れる手つきが。全身で愛しいと伝えてくるから。
 溺れてしまいそうなほどの幸せの中で、息が出来ない。

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『こいねがう』 #ペーター
「甘めのペタアリ」のリクで書きました。




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 絆された。
 押し切られた。
 決して前向きとは言い難い単語を浮かべながら、指先に当たる柔らかな毛に、思考がゆるゆると溶けてしまいそうだ。まだ、ウサギの姿なら許せていたあの頃から、ペーターの毛並みは白く綺麗で柔らかくて、触っている内に頬が勝手に緩んでしまう。
「ねえ」
「はい」
 目に痛いチェック柄の部屋のソファー座り、目に痛いチェック柄の服を着たウサギ耳の男を膝に乗せ。眼鏡の奥の目を細めた彼の表情に、まあこれは無理よね、と思う。何せ顔はいいのだ。そんな見目の良い男に、こんな蕩けそうな笑顔を向けられれば、誰だって落ちるだろう。
 無理もないはずだ、と、いうことにしておこう。
「あなた、次はいつから仕事なの?」
「あなたが望むまで、こうしていますよ」
 うっとりと紡がれる甘い言葉。質問に答えてくれないところは相変わらずだ。軽くため息をつき、耳ではなくまっすぐで光をはじく髪を掬い上げる。サラサラと指の隙間をすり抜けていく感触が何とも心地良い。その反対の手は、ペーターの胸の上で硬く繋がれ、彼の熱が馴染みきっていた。
「私は昼からなのよね。そろそろ準備もしておきたいし、帰っていいかしら」
「ええ⁉︎ 嫌です!」
「うん、そう言うと思った」
 だから早めに告げたのだ。けれど彼はその言葉に、「酷いです」とその綺麗な瞳と口を歪ませる。
「僕が悲しむと知ってて、そんなことを言うんですか?」
「知ってるから言ってんのよ」
 馬鹿ね、とこぼしたその言葉が、思ったよりも柔らかく響く。絆されたとか、押し切られたとか、そんなことを思いながらも、結局これだ。
 落ち切った髪をまた掬い、さらさらと指の間に滑らせていく。
「急にいなくなるより、いいでしょ」
 またこの部屋に戻ってくるからこそ、気兼ねなく言える言葉だってあるのだが、ペーターにはまだ難しいらしい。それでも、離れる度に嘆くウサギが、少しでも寂しい思いが薄れるように。握ったままの手に、祈るように力を込めた。

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『わすれません』 #ペーター
スペアリ、ルイスベストエンドの『あの人』視点のお話です。




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「私こそ、ありがとう」

 戻らない道を選んだ、彼女の想いのこもった言葉に無言で応える。その顔がほんの少し泣きそうで、酷いことに僕は何もかもが満ち足りた気分になってしまった。
 最後にきゅっと唇を引き結んで、踵を返した彼女の背中が遠のいていく。その足取りはしっかりと、まっすぐ前へと向かっている。それに胸を撫で下ろしながら、満ち足りたはずの胸がわずかに欠けた気がして、思わず胸を抑えた。
 ずっと願い続けた彼女の幸せは、これからも続くだろう。――もう、自分が関わることがありませんように。心からの望みのはずなのに、胸が締め付けられた。
 けれど、チクタクと規則正しく鳴り続ける時計の音が、胸の痛みを誤魔化してくれる。息を吸い、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「――ありがとうございます」

 虚空に向かって。届かないとわかっていて。それでも言わずにはいられなくて。

「僕を、愛してくれて」

 彼女の選ばなかったものをずっと大事に抱え、そばにいられなくても、会えなくても、ずっと見守っていよう。
 ただ一人、僕の愛した人を。

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『わすれないわ』 #ペーター
スペアリ、ルイスベストエンドのアリス視点の『あの人』のお話です




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 重い瞼を押し上げれば、枕元のライトがぼんやりと辺りを照らしていた。
 寝起きの耳に届くのは、規則的な呼吸と僅かに鳴るカチコチという聞き慣れた時計の音。身体中に響くような、それ。
 寝る時には居なかったはずだと思ったところで、脇腹から抱えられるように回された腕に気がついた。首を伸ばして後ろを見れば、ライトに煌めいた銀髪が白く見えた気がして、一瞬どきりとする。――どう見ても、違うのに。
 今私を抱く彼の閉じられた瞳の色は、深い青。通った鼻筋。薄い唇。どれをとっても似ても似つかない、はずなのに。ときおり、彼の向こう側に一人の影を見る。
 彼が、この世界で初めて出会った人だからだろうか。『忘れない』と誓った、かつての案内人のことを思い出すときは、どうしてもルイスを通してしまうのだ。

「……私、幸せよ」

 届かぬとわかっていても、呟かずにはいられない。
 だって、私の幸せを望む、私だけの白ウサギの耳なら――。
 淡い願いに想いを馳せていると、恋人の顔が涙で滲む。幸せ。幸せなんだけど。
 

 あの潤んだ、小さな赤い瞳の分、どうしても埋まらない部分があるの。

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『たったそれだけでも』 #ゴーランド
スぺアリカウントダウン企画の参加で書きました。
アリスが1人やきもきしているメリアリです。




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「忙しそうで何よりだわ」
 
 ド派手な黄色いジャケットを見かけて、弾む胸を押さえて駆け寄って。従業員に声をかけている、彼の久しぶりの横顔に胸が締め付けられながら、また一歩近寄って。
 そこまでは、恋する普通の可愛い女の子。――だったのに。
 私に気づいて振り返った彼の顔が、いつもと何ら変わらない笑顔であったことに、自分でも驚くほど絶望したのだ。
 そうして口から出た言葉は何とも可愛げのない、棘が見えそうなほどのセリフだった。
 
「……えーっと、アリス?」

 案の定、彼は困った様に首を傾げた。
 繁忙期(この世界にもそんなものがあるらしい)にあたる今、恋人の顔を見るのも数時間帯ぶり。働きながらどこかですれ違ったりしないかと、ずっと、ずっとそんなことを考えていたというのに。

 ――ゴーランドは、私に会えなくたって平気なんだわ。

 嬉しい気持ちを一瞬でかき消してしまった、子どもっぽい思考。胸に抱えた書類の束を掴む手に、思わず力が入る。
 これはただの八つ当たりで、ゴーランドがそう思っていない可能性だってあるのに。もっとわかりやすく喜んで欲しかったと思ってしまう、幼い自分を抑えられない。

「どうか、したか?」
「別に。遊園地が儲かってて何よりね」
「……うーん。まあ、そう、だな?」

 目線を泳がせ頬を掻く恋人の姿に、自己嫌悪の溜息を飲み込む。「じゃあ頑張ってね」と笑顔で去れば、ゴーランドなら何事もなかったかのように流してくれるだろう。だって、彼は私とは違って大人だから――。
 笑おう。
 笑え。
 すっと息を吸い込んで顔を上げる。それと彼の大きな手が私の頬に伸びたのは、同時だった。

「アリス」

 彼の指先が、私の耳の後ろまで撫であげる。じわりと伝わる体温に、心臓が大きく音を立てた。

「何怒ってんだよ」

 彼の手と同じぐらい暖かな声。私を覗き込む瞳は、どこまでも穏やかで優しい。
 今この瞬間、忙しいこの人の意識全てが、私のことで埋まっているのだろうと錯覚してしまう。

「……あなたに会いたかっただけよ」

 彼の温かな手や、優しい声に。たとえこの行為に特別な意味がなかったとしても。
 簡単に満たされてしまうぐらいには、この人に溺れている。

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『理由は何でも』 #ボリス
「ジョカアリのボリアリ(甘々)」のリクで書いたものでした。




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「ね、ねえっ。もう、おまじないはいいわよ」
 焦って出たうわずった声に、猫の嗜虐心が刺激されたらしい。きらりと光った瞳にしまった、と頭を抱えたくなったが、いくらこの変な世界でも時は戻らない。

 遊園地から少し離れた森の中。大木の根本、ではなくその上の方のどっしりした枝に、私とボリスは並んで腰掛けていた。友人の頃と変わらない距離感で談笑していたというのに、ふわりと間をすり抜けた生ぬるい風が合図だったのだろうか。彼は急に距離を詰めたかと思えば、「おまじない、しておかなきゃね」と耳元で囁いた。耳に当たった吐息と、打ち身の痕を『おまじない』と称してあちこちに口づけられていた件を思い出し、ひゅっと息が詰まる。続けて浮かんだのは、あまりにも生々しい記憶。それらに焦ったまま口を開く。
「き、効いてるわ! もう全然痛くもないし、痕も残ってないし――」
「へえ。おまじないの痕も?」
「……え、ええ」
 残って、いない。綺麗さっぱり消えているのは、今朝(と言うべきか)確認済みだ。そして、私は逃げ場のない木の上でじりじりと追い詰められている。背中が、硬い木にぶつかった。
「じゃあさ、確認させて――」
「――ボリス」
 だけれど、良い加減しつこい。
 意図的に思いっきり声音を落とせば、にゃはは、と誤魔化すように彼は軽く笑った。無理強いするようでいて、引きどころは心得ている猫だ。腰に絡みついた腕はそのままだが、ぐいぐいと迫る気配は消えた。
 ほっと息を吐いて居住まいを正せば、ギィっと幹が音を立てたけれど、すっかり高いところに慣れた私には何てことはない。
「ねえねえ、じゃあさ」
「……何よ」
 今度は何だと、ややうんざりしながら返せば、腰に絡んでいるのと反対の手が、私の右手をそっと持ち上げる。そして、そのまま手の甲にチュッと口付けた。
「……何?」
「好きだよ、のキス」
「…………」
 意味わかんない。
 そう突っ返したいのに、首から上が暑過ぎて、言葉が詰まって出てこない。通り抜けた風が、さわさわと葉を揺らす。
「――おまじないは、いらなくてもさ」
 小首を傾げた、猫の金色の瞳が怪しく光る。
「キスならいいだろ?」
 視線に射抜かれ、どきりと心臓が大きな音を立てる。――高い木の上にいたって平気になったのに、相変わらずボリス本人には、いとも簡単に乱されてしまう。
「……場所によるわ」
 悔しい。そんなことを思いながら、やっとのことで絞り出した言葉に、ボリスが息を吐くように笑った。
「一応聞くけどさ、それ、どっちの意味で?」
「どっ……ち?」
 問われている意味がわからず頭を傾ければ、猫はニヤリと口端を上げた。
「どこ『に』、キスしてもいい?」
「……? っ‼︎    ど、どこ『で』、よ!」
 意味がわかって狼狽する私にボリスは大きく噴き出し、そして、それはそれは楽しそうに笑った。
 生ぬるい風が、また間を通り抜ける。早く日が落ちればいい。火照った身体には、冷えた風がちょうどいいだろうから。
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ハートの国のアリスシリーズ 編集

『告白というにはあまりにも、』 #ボリス
どこかの国の私の猫の話。




****************




「俺、あんたになら首輪をつけられてもいいな」
 
 とろりと溶けてしまいそうなほど、ご機嫌な声。いや、ご機嫌というには艶が含まれ過ぎていて、思わず目を泳がせた。
 それでも、膝の上にあるピンク頭を撫でる手は止めない。黒い毛の生えた耳が、時折ピクピクと動く。
 窓からは夕陽が差し込む、一日の中で最もゆったりした時間。次にくるのは夜か昼か。そんな落ち着かなかった日常にも、すっかり馴染んでしまった。あんなに恥ずかしかった膝枕も、いつの間にか当たり前になってしまっている。
「あなた、猫のくせに……」
 どう答えたものかと、困って絞り出した言葉。飼い猫のダイナに首輪をつけるときは、それはもう大変だったのだ。首輪など窮屈なもの、本来ならば喜んで迎え入れるものではないだろう。
「確かにね」
 今度は、あくびともともに返ってきた言葉。可愛い、と思うまもなく彼の頭が太腿と腹に擦り付けられて、びくりと身体を震わせた。
「ちょ、っと」
「でもさ」
 ごろりと猫が仰向けに転がる。ぴたりと合った目線。頬が熱くなるのを感じながらも、細められた金の瞳から目を逸らすことができない。
「俺、アリスといられるなら、猫じゃなくてもいいよ」
 
 きっと、私の猫にとっては至上の愛の言葉。

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『恋も末』 #ブラッド
「恋人未満、甘めのブラアリ」リクで書きました。




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「本は借りなくてもいいのか」
 身支度を終えても、気怠さはまとわりついたまま。それが不快でないことが嫌だった。
 だから、掛けられた声を一瞬無視してやろうかという考えが、一瞬頭をよぎる。けれど、機嫌を損ねて圧をぶつけられる方が面倒だ。ため息をこらえながら振り返れば、襟元のボタンを閉める彼の長い指が目に入り――諸々を想起させるものだから、不覚にも頬に熱が走った。
「――ここで読むからいいわ」
 出来るだけ素気なく返したつもりだが、ブラッドは満足したように口端を上げた。――ここで腹が立つより先に胸がときめいてしまう辺り、とことんこの顔に弱いのだと思い知らされる。
 けれども、彼の望む解答をしてしまったことが悔しくて、振り切るように再び背中を向ける。そしてまだ疼くような身体の芯を無視して立ち上がろうと、足を伸ばしたときだった。つ、と頭が後ろに引っ張られる感覚。何事かと身を翻せば、ブラッドが私の髪の一房を手に取り――口付けていた。
 何が起きたのか理解できず、ただただ彼の伏せられた瞼をふちどる長いまつ毛を眺める。
「な、なに?」
「……いや」
 やっとのことで絞り出した声に、ブラッドが顔を上げる。そして己の手のひらの上にある私の髪を不思議そうに眺め、ぽつりと呟いた。
「……名残惜しいらしい」
 気の抜けた声音に、胸が押し潰されるかと思った。
「――帰るわ」
 唇を固く引き結び、ソファから逃げるように靴に向かって足を下ろす。てんでばらばらに転がったそれらにすら、脈が上がる。幸い、靴を履ききり早足で歩く私に、ブラッドは追いつけなかった。いや、追わなかっただけかもしれない。
 重い扉を押し開け、振り返らずに廊下を歩く頃には、部屋に向かって走り出していた。頭の中に残った、さっきの彼の顔と声を置いていきたいのに、こびりついてちっとも消えてくれそうにない。
 日に日に、または触れられる回数が増える度に。勘違いさせるような言葉と表情が増えている。最近なんかは特に酷く、廊下ですれ違ったときですら、愛おしげに視線を向けられて身が焼かれそうだと思う。
 何より、彼自身が、気持ちに追いついていなさそうなその姿を見せられる度に、『本物』ではないかと錯覚させられそうで。子どもらしく求めていたものを、この人が埋めてくれるのかもなんて、甘ったるい考えがぞわりと内股から這い上がり気持ちが悪い。
 そう、気持ちが悪い。面倒で、不毛で、どうしようもない。何より、昔の恋人と顔が似ているなんて救いようがないにも程がある。
 そんな風に、どれだけこの感情が真っ当でないのだと卑下しても、私はまたあの部屋に向かうのだろう。もう、本なんてしばらく触ってもいないのに。

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『銃弾飛び交う麗しき世界』 #ブラッド
帽子屋非滞在のアリスとブラッド(友人)のお話です。




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 茶褐色の液体が、音さえも美しくティーカップに注がれていく。紅茶をより映えさせるために作られたカップ。香ばしい香りの焼き菓子。長いテーブルに敷かれたテーブルウェアも一級品だと一目でわかる。
 空は相変わらずの晴天。精緻に刈り込まれた生垣。
 どこもかしこも整えられたマフィアの邸宅の庭に、私はいた。
「……この上なく完璧なのよね」
 持ち上げたカップから漂う香りは、好みのもの。
 横めには、耳をぴくぴくとご機嫌に揺らしながら、この屋敷のナンバー2がオレンジ色の食べ物を頬張っており──まあ、これは光景そのものだけなら微笑ましい。
「気に入ってもらえて何よりだ。全てこの紅茶に合わせて作らせたのだよ」
 この屋敷の主が、満足そうに紅茶に口をつける。
 その所作が、これまた素晴らしく美しく、まるで絵画の中から抜け出たように見えなくもないところが腹立たしい。
 だがしかし、問題はそこではなかった。
 
 ズガン!

 と一際けたたましい銃声音。
 一発ではない。二発、三発。全て違う銃声音であり、それを聞き分けられるようになってしまった自分が嫌になる。
 音は近くでもないけれど、遠くもない。つまり、優雅なティータイムを楽しめる雰囲気とは、程遠かった。
 ありったけの息を吐ききり、そっとティーカップをテーブルに戻す。
「どうかしたか。菓子もお嬢さんが好みそうなものを用意したつもりだが」
「──どうもこうもないわよ。せっかくの紅茶が台無しじゃない?」
「まあ、硝煙の匂いさえ届かなければ、好きにさせている」
「……あっそう」
 何が、と言わずとも理解してくれる程度には知己の仲だ。だが、この男に何を言っても無駄だ。いや、自分のこの主張を「そうだな」と全面的に賛成してくれ
る人間など、この世界にはいないだろう。
 自分の滞在先の面々を思い浮かべ、もう一度ため息をつく。
 改めてカップに手を伸ばし紅茶を一口含めば、思った以上に豊かな香りと程よい苦味が広がった。
「おや、楽しむ気になったか?」
 涼しげな目元を綻ばせながら、彼が話しかけてくる。
 忌々しげにその笑顔を睨め付けながら、細工の美しいクッキーに手をつけた。
「銃声なんか気にしてたら、一生お茶にありつけないもの」
「逞しくなったものだな」
 友人の笑い声が、穏やかな午後のティータイムに響いた。

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『ただの気まぐれ』 #ブラックさん
「ブラックさんとアリスで甘め」というリクでした。添えた気がしないですが、書くのは楽しかったです。




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「何だ、また来たのかよ」
 不思議と、話す前から彼だとわかっていた。表情? 立ち姿? ううん、目に入った瞬間からわかってしまうのだ。これは、ブラックさんの方だって。
「……仕方ないじゃない。季節を変えたかったんだもの」
 だが生憎、ホワイトさんはいないらしい。彼らはこうして不規則に、変わったり変わらなかったりする。そして私は、目的が果たせそうもないのに、心が浮き立っているのを自覚していた。――どうしてこの人に。
 ため息をつきながら近くにあった切り株へ座れば、遠くから子どもたちがサーカスの練習に励んでいるらしい声が聞こえてきた。その合間には鳥の鳴き声。暗く、冷たい監獄とは違って、森の中は小さいけれど音がある。いや、あそこも別に静かなわけではない。金属音が絶え間なく響く日だって――。
「おい」
 言葉とともに、ごつりと頭を小突かれた。
「ふらふらすんな」
「……してないんだけど」
 座って、休憩しているだけだ。唇を尖らせながら頭をさすれば鼻で笑われ、馬鹿にされたとわかっているのに、どきりとしてしまう。
「……あなたはゲームしないのね」
 動揺を悟られまいと口を開けば、彼は一気に不機嫌そうな顔になる。
「別にいいだろ」
「弱いとか?」
「言ってろ」
 挑発に乗らなかった彼は、今度は私の頭をくしゃりと撫でた。小突かれたときよりも強い衝撃に思えて、慌てて唇を引き結ぶ。考え事をするフリをして頬杖をつけば、手のひらに伝わる熱は思ったよりも高かった。
「今日は何もねえぞ」
「そう」
「さっさと帰れ」
 余所者だと誰もが珍しがる中で、こんなことを言うのは彼とユリウスくらいだ。でも、そのユリウスだってもう帰れなんて言わないのに、彼だけはそう言い続ける。憐れみと、苛立ちを織り交ぜて。それでいて、どこか引き止めるようにそう言う。――だから、気になって仕方がないのだろう。それ以外に、理由なんてないはず。
「……少し休んだら、そうするわ」
「はっ。暇人だな」
 馬鹿にするように、でも決して嫌な感じではなくて。その事実が、心の底を波立たせる。そして追い出しもしないから、私はまたここに足を向けてしまうのだ。

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